院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

このたびの地震に寄せて(21)

2011-04-17 23:00:34 | Weblog
 中井久夫氏(神戸大学名誉教授)が、毎日新聞東京版3月23日付朝刊で発言していたらしい。このほどWeb版の毎日JPにそれが転載されている。

 PTSDについて述べている部分を転載しよう。

以下引用------------------------------------------------------------

 大災害や大きな事件・事故に伴って起こる症状を表す医学用語「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」を新聞やテレビでよく見聞きするが、わが国では16年前の阪神大震災を機に広く知られるようになった。不眠や悪夢を見るなどの症状が長い期間続く。阪神大震災の時は医療従事者もそのような症例を診察した経験がなく、被災者も自分たちの心の中で処理すべき問題だと思って、口に出すことを避けてきた部分もあるだろう。それゆえか、さまざまな心身症状の中で最も遅く症状が現れてきた。

 PTSDは、被災者が「自分たちの存在が忘れられていく」と感じることと深い関係がある。阪神大震災時には、誰かがそばに「いてくれる」ことがいかにありがたいことかを、被災者となった私自身が再認識した。だから、被災者のそばに「いること」こそが最大の安心を与える、と折に触れて言ってきた。

引用ここまで---------------------------------------------------------

 中井氏は、私がこの欄で述べてきたPTSDの成り立ちについては、先刻ご存じのはずだ。しかし中井氏はPTSD概念をあまり批判しない。それは、ひとつにはPTSDの名称だけはよく知られていること。もうひとつは、PTSD概念を無反省に使用している専門家やジャーナリストを貶めないためだろう。

 中井氏はJ.ハーマンとA.ヤングを翻訳した本人である。両者は同時に翻訳が始まったが、事情でハーマンの『心的外傷と回復』(みすず書房)が随分先に出版されてしまった。ハーマンはDSMに記載されたPTSD概念を、レイプや幼少時の性的虐待にまで拡張してしまった人だ。

 この翻訳が出たとき、ある臨床心理士の人が雑誌・週刊新潮で「精神医療の神様も遂にヤキが回ったか」という論調で中井氏を批判した。まったく同じ見出しではなかったと思うが、「精神医療の神様」という言葉は使っていた。

 この臨床心理士はよくできる人で、私と同じようにハーマンはやり過ぎだと思っていたらしく、そのような(アメリカで人々を煽動したような)本を訳して出版までした中井氏を批判した。中井氏はなんの反論もしなかった。

 確かに中井氏の『心的外傷と回復』でのあとがきには、ハーマンに批判的な言辞はなかった。しかし、同時に翻訳の過程にあったヤングの『PTSDの社会人類学』(みすず書房)がハーマンの本より5年遅れ(2001年)で出版されたことが、ハーマンと上記の臨床心理士への返事となっているだろう。ヤングは人類学者として、努めて中立的な立場から研究を行っている。

 中井氏がハーマンを批判しなかったわけは色々あろうが、まず2点は思いつく。ひとつは阪神淡路大震災のときに、ハーマンの本は中井氏の導きの糸となっただろうこと。もうひとつは、中井氏はハーマンと文通をしており、文通相手が書いた本を翻訳して批判することは常識人ならしないだろう、ということである。

 今回の毎日新聞での中井氏の発言で注目すべきは「PTSDは被災者が『自分たちの存在が忘れられていく』と感じることと深い関係がある」という部分である。ひどいストレスは誰にでもさらされる。しかし「自分たちが忘れられていく」体験は、そうない。

 ここでは、やはりベトナム帰還兵が意識されていると思う。ベトナム戦争のとき、若者は金やコネで兵役を逃れようとした。逃れられなかった者がベトナムへ行った。そのときに戦地に送られた若者は「アメリカから捨てられた」と思ったそうだ。

 そして、彼らがベトナムへ行っているうちに、母国で反戦意識が強まり、帰還したときには英雄として迎えられるどころか、嫌な眼で見られたという。その嫌な眼で見る集団の中に金やコネで兵役を逃れた者が入っていたという。

 これがPTSDの本態だろうと中井氏が考えているフシがある。だから、中井氏は「強い恐怖にさらされた」と言わずに、「自分たちが忘れられていく」点に注目したのだろう。深読みが過ぎると思う向きもあろう。しかし、中井氏の発言や記述は、5年も10年も後にならないと本当の価値が分からないことが多い。

 実は私のPTSD批判も、ベトナム戦争、その補償、DSMがなぜPTSDを自らの「哲学」を曲げてまで載せたかなどの知識は、元を質せば中井氏の記述によるところが大きい。

モダンジャズの歴史(番外編)

2011-04-17 10:07:02 | Weblog
 女性ジャズピアニストの平原某という人は本物である。アメリカを中心に活躍している。32歳、静岡県浜松市出身。

 高校時代は体育を全部「見学」にして、指を痛めるのを防いだ。高校は、浜北高校。浜松随一の進学校で、平原某は卒業後すぐにアメリカのバークレー音楽院に留学し、主席で卒業した。

 バークレーへ行った嚆矢はナベサダである。昭和40年台に嘱望されてアメリカに渡った。行くときも帰ってくるときも、ファンは騒いだ。ナベサダは期待を寄せられていた。(ナベサダより前にバークレーに行った人に秋吉敏子がいるが、彼女は現地のミュージシャンと結婚して、まだ帰国していない。彼女の演奏はすばらしい。)

 ナベサダはジャズ理論を持ち帰った。日本を発つ前からうまかったが、バークレーでいっそう洗練されて帰国した。私にとってナベサダの演奏はいまひとつだけれども、彼が日本のジャズ界に与えた影響は大きい。

 ナベサダは自分の音を持っている。誰と言われなくても、ナベサダの音は分かる。ナベサダの声と言ってもよいかもしれない。ナベサダはイージーリスニング風の演奏をして、けっして難解にならず、支持層を広げた。

 だが害もあった。アルトサックスと言えば、未だにナベサダで、40年以上も居座っている。彼のアドリブはびっくりするような演奏ではない。なのに峰康介やマルタ以外にアルトサクソフォニストは育っていない。

 平原某はとてもうまい。自分の音楽をもっているし、テクニックもすごい。そのうちに我が国でも逆輸入されてビッグになるだろう。

 それに引き換え、女子高校生のアルトサクソフォニストとしてチヤホヤされた娘はどうなったのだろう。ニュースTV番組「報道ステーション」では、始まりのテーマ音楽に彼女の演奏を未だに使用しているけれども、素人芸の域を出ない。

 その娘もバークレーに行きたいと言っていたが、その後どうなったのだろうか?「報道ステーション」での演奏を、現在では恥ずかしく思っているのではないか?

 ジャズ演奏の上手下手が分からない方でも、「報道ステーション」で彼女のアルトサックスのパートが終わって、ピアノのパートになるとホッするのではないか??ホッとすると言うことは、ジャズを聴く耳をもっているということだ。

「安部公房伝」

2011-04-16 07:04:04 | Weblog
 表題の本が新潮社から出たので、どういう人が買うんだろうと思いながら、買った。

 私が買うのには必然性があった。私は中学高校のころ安部公房に心酔した。その前は、川端康成だった。

 川端康成の「雪国」は何度も読んだ。これはノーベル賞を貰うぞと親や友人に話していたら、ほんとうに貰ってしまった。

 川端は三島由紀夫を買っていた。それで三島由紀夫を読んでみた。「午後の曳航」という作品から読んだのがいけなかったのだろうか?ちっとも面白くなく、名作と言われる「金閣寺」も読む気が失せてしまった。三島は安部を買っていたと本書にある。

 大江健三郎と安部公房が懇意だったことも、この本で知った。この本の著者である一人娘の安部ねりさんという人がいることも、初めて知った。なかなか筆が立つ人で、私は本書を面白く読んだ(本業は医者だという。安部公房自身も東大の医学部出身だった)。

 以前に述べたけれども、私には大江健三郎の小説は面白くなかった。読者に媚びているような感じがした。安部が死去した翌年、大江はノーベル賞を貰った。私は今度も「次のノーベル賞は安部だ」と触れ回っていたのだが、死去により大江にお鉢が回ってきたのだなと思った。

 その大江が言うに、日本の小説家と言えば凄いのが二人だけいると。一人は安部公房で、もう一人はいつぞや私が面白くないとここに書いた夏目漱石である。

 「飢餓同盟」という安部の小説がある。高校のころこれを読んで、ものすごく嫌な気分になった。文字だけで、どうやって人をこんなに嫌な気持ちにさせるのか、その技に感心した。自分だけ嫌な気分では詰まらないので、親友に読ませた。そうしたら、親友は「本当に嫌な気分になった。今日は何もやる気がしない」と自宅に遊びに来た。大学受験で鬱屈していたころだった。その日は勉強をせずに親友と語らった。

 この親友は建築家になり、昨年、娘夫婦の家を格安で設計したもらった。表題の本は、われわれのような安部フリークにとっては涎れが出るほどに面白いのだが、ほかにどういう人が面白がるのだろう?

 まあ、世界の安部である。読者はたくさんいるのだろう。安部は小説ばかりでなく、評論というか科学的、哲学的論考も面白い。彼の評論集「砂漠の思想」は、高校のころ私がその文体をまねて、句読点の打ち方などを学んだ私の「バイブル」である。

このたびの地震に寄せて(20)

2011-04-15 11:52:14 | Weblog
 「寄らしむべし、知らしむべからず」という言葉は現在では悪い意味とされる。しかし、元来はよい意味で使われていたのである。

 つまり、民衆が「あの殿様に任せておけば大丈夫だ」と感じるように政治をせよという教えであって、瑣末なことは民衆に知らせなくても、信頼を勝ち得ることはできるということだ。

 民主主義では、知らせることは基本である。でも、やはり「寄らしむ」ことも重要である。

 今回の災害で、政府は「寄らしむ」ことができなかった。だから、徹底的に知らせなくてはならない。なのに、「知らしむ」ことさえできていない。

 「知らしむ」ことにマスコミも協力していない。専門家に聴けば分かりきったことが多いにもかかわらず、あとで批判されることを恐れているのか、大切なことを報道せず、枝葉末節ばかり報道している。

 大本営発表以外に戦争報道をしなかった戦前のマスコミの態度が、今のマスコミの態度に重なって見える。アメリカ海兵隊がパラシュート部隊で仙台空港に侵入し、重機を次々と持ち込んで1ヶ月で空港が使えるようにしたことを報道しない。

 台湾が人口当たりの金額としては、アメリカよりも多い額の義捐金を寄せたことを報道しない。

 前から思っていたけれども、マスコミはアホであるばかりでなく偏向していることが、このたびの災害でよく分かった。

このたびの地震に寄せて(19)

2011-04-14 11:34:27 | Weblog
 コウナゴから基準値以上の放射能が検出された。それに関するK君の見解(要約)を記す。K君は某国立大学教授で、専門は海洋物理学。

(1)放射性物質はコウナゴに吸収されて、肉にまで至ったのではない(時間が短すぎる)。つまり、エラにはさまった放射性物質が検出されたと考えられる。

(2)汚染水は陸地に沿って流れ、沖合い20キロまでである。それより沖合いは大丈夫。

(3)汚染水を通過した魚は、エラに放射性物質を貯めるかもしれないが、肉のほうは大丈夫(エラを取ればよい)。

(4)コウナゴの体全体が汚染されていると考えるのは間違い。

女優・菊川怜さん

2011-04-13 11:34:30 | Weblog
 女優の菊川怜さんは美しい。しかも、東大出だそうだ。才色兼備というのは、このような人のことを言うのだろう。

 だが、女優としての菊川さんは、いまひとつだ。彼女がブレイクする機会はあった。その最たるドラマが、NHKの「出雲阿国」だったのではないか?

 「出雲阿国」の監督は、阿国役の菊川さんに、妖艶でもっとドロドロとした演技を期待していたと思う。だが、菊川さんには、それができなかった。私も残念に思ったし、監督もそうだろう。まったく普通の女性のように菊川さんは振舞った。もっとクドい「押し」が必要だった。たとえば、男優だが竹中直人さんや本木正弘さんのような濃いクセが彼女にあったなら、向かうところ敵なしだろう。

 菊川さんには、そうしたクセがない。これは女優として決定的に不利である。せっかくの「出雲阿国」というチャンスを逃してしまったので、彼女が大女優の道を歩むことは、もうできないだろう。

 大女優で一生独身という人は少なくない。女性の大芸術家でもそうだ。才能に溢れた女性は結婚どころではないのだろう。

 菊川さんは結婚したほうがよい。花の命は短いのである。

 ただし、今度は東大出というブランドがアダになる。東大出の女性は結婚しにくい。男性のほうが引いてしまうからである。東大の女子学生は在学中に、すでに相手を見つけておかないと、あとで困るという。

 菊川さんのような美女は、男にほっておかれないと思われるかもしれないが、東大出はほっておかれるのである。

PTSDという架空の疾患

2011-04-12 08:47:42 | Weblog
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)という名称がじわじわと宣伝されている。

 中日新聞愛知県版の4月11日の朝刊では、署名入り記事で「(子供たちの)PTSDを心配している親もいる」という表現で、PTSDが疑いなき疾患単位であるかのように書かれている。

 同じく4月11日のフジテレビでは、なんとあの池上彰さんが「(PTSDは発症が遅いから)これからPTSDが出てくることが心配される」と説明していた。池上さんは影響力が強いから、PTSDは無邪気なアメリカ人が政治的に作った概念で、医学的な病名とは言いがたいというところまで解説してほしかった。

 このようにして、やがてPTSDは大騒ぎになるだろう。そうなる伏線はもう敷かれている。

 トラウマのない人なんかいないのだから、PTSDがあたかも確立した疾患のように言うのではなく、またPTSD概念の胡散臭さを私のような開業医が言うのでなく、もっと影響力の強い「権威」に言ってほしい。

 2011-3-29 のこの欄の記事を参照してほしい。

もし女子高校生がドラッガーを・・・

2011-04-11 15:23:28 | Weblog
 ベストセラーは読まないようにしている。まず面白くないからである。私が表題のベストセラー小説も、もし新幹線で待つことがなかったら、読まなかっただろう。そして駅で売っていなかったら・・。

 面白かった。これを小説と呼んでよいのかとも思った。なんだかシナリオというか、企画書というか、文学的な文体がないのである。徹底的にストーリーが書いてあるだけであり、面白いことは面白いのだけれども、2度読もうとは思わない。

 作者は「とんねるずのみなさんのおかげです」をプロデュースし、秋元康氏のもとでAKB48をプロデュースしたと、裏表紙に書いてある。それで、企画書みたいになっているのだろう。

 作者は10年ほど前に、自作の小説をいくつか出版社に持ち込んだことがあるという。いずれもボツか、読まれさえしなかったこともある。そこでリベンジとしてその時の原稿をふたたび出版社に持ち込む予定だそうである(TVで知った)。

 でも初めボツにした出版社は正しいと思う。表題の「小説」を読む限り、ストーリーとしては面白くても小説としてはどうか?極めて素人的で、読ませる文章ではない。「すると」なぞという童話専用と思われるような接続詞が頻回に使われている。情景描写も稚拙である。

 好意的に新しいスタイルの小説と呼んでもよいかもしれない。それは面白ければ・・という前提において。

 AKB48は歌手として上手くない。それでも人気がある。AKB48を歌手と呼ぶなら、表題の文章を小説と呼んでもよいかもしれない。

モダンジャズの歴史(3)

2011-04-10 15:02:22 | Weblog
 前回、西欧クラシックは単純で、モダンジャズのほうが複雑だと述べた。でも、それは西欧クラシックの悪口を言ったのではない。誤解を防ぐために補足したい。

 西欧クラシックがアイオリアン(長調)とエオリアン(短調)だけを採用し他を捨てたのは、第一義的には美しさを追求するためだった。この2種類の旋法が当時はもっとも美しいと感じられたからである。

 一方モダンジャズがいろんな旋法を貪欲に採用したのは、必ずしも意識的にではない。黒人たちが勝手に演奏している曲を、音楽の専門家が分析したらそうなっていた、ということが本当のところである。

 モダンジャズが発祥したころは、アメリカ黒人が成功するためには、ミュージシャンになるかボクサーになるしか道がなかったのだ。だから、ハングリー精神で彼らは猛烈に練習した。インパクトを与えられるものは何でも採用した。その結果、旋法は何でもありなったのである。

 西欧クラシックはもともと上流階級のものだった。モーツアルトだってショパンだって、芸術家というより、貴族のお抱え職人みたいなものだった。だから、美しさが優美さが求められた。

 西欧クラシックとモダンジャズは、出自からして対照的だったのである。

モダンジャズの歴史(2)

2011-04-09 07:32:06 | Weblog
 古典的な音階には7種類がある(ギリシャ音階)。アイオリアン、ドリアン、ミクソリディアンなどなど。このうちアイオリアンが長調として、エオリアンが短調として採用された。和声法などが組み立てやすかったからである。

 ほかにも音階は多々あるけれども(日本音階、沖縄音階、中東音階、インド音階・・・)、モダンジャズはギリシャ音階のすべてと、ブルーノートを含む音階、全音音階、半音音階など、幅広く採用した。

 クラシックのメロディーは単純である。ベートーベンの第九の「喜びの歌」も単純な長調で、「咲いた咲いたチューリップの花が・・」や「白地に赤く日の丸染めて・・」と同じ音階である。

 それに引き換え、モダンジャズのメロディーは極めて複雑である。この複雑なメロディーの中で生き残っているものから見ると、「喜びの歌」なんて単純すぎて面白味がない。

 クラシックよりモダンジャズのほうが、旋律的に進化しているのだが、クラシック・ファンはそれに着いていけないようだ。和声法もクラシックよりモダンジャズのほうが格段に進歩している。

 モダンジャズの和声法については、またいずれ。

モダンジャズの歴史(1)

2011-04-08 13:41:34 | Weblog
 音楽のいわゆるクラシックでは、ピアノ曲あたりは、演奏と作曲が同時だった。すなわち、ほとんど即興だった。

 モーツァルトもショパンも自分で弾いた。それを譜面に起こしたものが現在残っている。リストは超絶技巧をもっていたから、超絶技巧練習曲なんていうものも残している。

 現在、クラシックというと、彼らの作品を指していて、それ以降の楽曲は見向きもされない。ということは、クラシックはすでに完成されたものであり、それ以上に出ることが難しいのだと思われる。

 ジャズは、スイング、デキシーランドなどの種類があったけれども、それらは現在、一部の好事家のみが聴くだけである。今でも聴かれているのは、それ以降に出てきた「バップ」と呼ばれたモダンジャズである。

 すでに述べたけれども、バップは1960年台の曲や演奏スタイルが、現在、飲食店や居酒屋のBGMになっている。BGMになっているということは、すなわちクラシック(古典)になったということだ。

 1960年台の演奏スタイルが残っていて、それ以降がすたれたいきさつは、クラシック音楽が辿った道と似ている。ベートーベン、ブラームスたち以降は、せいぜいR・シュトラウスが残っているくらいで、他は見向きもされない。

 1960年台のモダンジャズは譜面に残されるようになった。昔、ジャズの世界ではオリジナルが重んじられ、コピーが蔑まれたものだが、今では譜面を見て弾くプレイヤーもいる。

 モダンジャズはその名称とは裏腹に、いまやクラシックとなってしまった。

このたびの地震に寄せて(18)

2011-04-07 15:19:11 | Weblog
 本日発売の雑誌週刊新潮に、「アメリカと旧ソ連の冷戦時代に、核実験が盛んに行われてたころ、今以上に(何万倍?)放射性物質が降っていた」と報道された。

 これが本当なら、アメリカにも降っていただろう。それを日米のマスコミは報道しないのはなぜだろうか?

 同誌の記事は、記録が気象庁に残っていると述べている。それが発表されないのはなぜか?

このたびの地震に寄せて(17)

2011-04-06 14:44:19 | Weblog
 福島原発の低濃度汚染水の海洋投棄が始まった。それとは別に漏れ出ている高濃度汚染水は止まった。これを止めたのは聞きなれぬ「水ガラス」という物質だ。この物質を作っているのは、中学高校の同級生I君が社長をしている会社である。

 I君が申し出たのか、誰かが気がついてI君の会社に申し入れたのかは知らないが、とにかくI君のところにはTBSとフジテレビが取材にきたそうだ。

 今回の低濃度汚染水の海洋投棄に関する某大学教授のK君の見解(要約)。

(1)今の量で汚染水を流すと、30年間流し続けたとして、プールにスポイト一滴くらいの量。(日本人がこう言っても、言い訳にしか聞こえないが、アメリカの学者も同じことを言ってくれている)。

(2)ただし、拡散するのに時間がかかるから、(1)の表現は拡散しきってしまった段階での感覚であることに注意。

(3)海水との混ざり合いを促進したいなら、4%くらいの食塩を汚染水に混ぜるべき。(海水と同じ比重にするべき)。

(4)いずれ沖合いに流れていくのだから、最初から沖合いに投棄すべき。

(5)福島沖に温水塊があるので、汚染海水はいったん北上するが、やがて親潮や黒潮にぶつかって東へ曲がり、劇的に薄まる。

(6)河川が汚染されているとすれば、淡水は海水の上を流れて、地球の自転の影響で右に曲がり、茨城の方へ流れていくかも知れないが、データがない。

(7)フランスのトゥールーズ大学のHPでのシミュレーションは、空気中からの降下物が海でどのように分布するかを図にしたものである。それを中部大学の教授が、海に流れ出た物質の移流拡散と間違えてHPに引用している。(確かに間違えやすい図であるが、説明を読めばちゃんと良心的に書いてある)。

このたびの地震に寄せて(16)

2011-04-05 08:41:37 | Weblog
 私が一番知りたかったこと。それは福島原発内に残されている核燃料の量であることは先日述べた。その概要がようやく分かった。

 広島原爆で燃やされたウランは800グラムだそうだ。この量は、原爆が高濃度濃縮ウランを用いていたことを考えれば、ウランそのものの量といってよいだろう。

 原発で100万キロワット発電するのに必要な核燃料の量は何トンという単位だそうだ。しかし、原発で用いられるのは低濃度ウランだから、ウラン単体としての量は分からない。

 情報源の原子力専門家は、福島原発にあるウランの量は広島型原爆の1000倍と言っていたけれども、両者は濃縮の度合いがまったく違うから、次に私が知りたくなるのは、純粋のウラン換算でどれだけの量が福島原発に残っているかということだ。

 ただ、これまでの情報だけで分かることは、原発内のウランの量は、広島型原爆の2倍や3倍ではなく、もっと大量だということである。

 原理的に原発が核爆発を起こすということはない。だから、だらだらといつまでたっても核燃料が漏出することになるだろう。全部出るまで100年くらいかかるのだろうか?

 原発内の核燃料の量が何故いつまでたっても発表されないことかが、うすうす分かった。そのようなデータなら、東電が最初からもっていたはずである。

 やはり隠されているとしか思えない。広島型原爆の1000倍と発表されれば、パニックになるだろう。これが核爆発なら、日本滅亡である。だから発表されないのだと私は思う。

 それを糊塗するかのように、どこそこに亀裂があるらしいなぞと、枝葉末節ばかりが発表されるのだ。

日本3大女優

2011-04-04 13:28:31 | Weblog
 ある芸能記者の評価だが、これまで最も存在感のある3大女優は、夏目雅子さん、宮沢りえさん、沢尻エリカさんだそうだ。

 夏目雅子さんは、ほんとうに美しい女優だと私は思った。夭折したためか「伝説」となった。白血病だったそうだが、今なら治ったかも知れない。

 宮沢りえさんは12歳でデビューした。当時、週刊誌の表紙を飾った。私は当時の職場で「この子はやがて天下ををとると思う」と言ったら、賛同はまったく得られなかった。

 宮沢りえさんは、落ち目になるとヌード写真集を出したり、貴乃花と浮名を流したりして、結局4半世紀ももっている。若い人に中には彼女の来歴を知らない人も多いのではないか?

 沢尻エリカさんのことは、私はスキャンダルを通じてしか知らない。むろん出演映画なぞ見たことがない。最近CMに出ているので、その姿を見ることになったが、宮沢りえさんのときのような鮮烈な印象はない。確かに美しい人ではあるが、生き残るとは断言できない。

 以上の3名は、上の芸能記者が知っている範囲での「3大女優」だろう。だが、今でもドラマやCMに出る八千草薫さんの若いころの写真はゾクッとくるほどに美しい。最近出ないが、有馬稲子さんや佐久間良子さんもそうだ。

 沢口靖子さんも美しいし、今でも生き残っている(「科捜研の女」など)。沢口靖子さんがNHKの連続TV小説「澪つくし」で全国区なったのも、4半世紀前だ。笑うと歯茎が出るなぞと悪口を言われたけれども、スキャンダルもなく堂々と生き残っているのは立派だと思う。

 私が「澪つくし」を見ていたのも4半世紀前の職場でだ。同僚の保健師さんが昼休みに欠かさず見ていたので、つきあった。沢口さんの相手役は一度死ぬのだが、ドラマのあまりの人気にまた生き返ったのを覚えている。

 災害の情報ばかりでは、ブログが荒むので、今日は柔らかい話をした。