Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

クアラルンプール出張(6)

2014年12月25日 | 
 弱者、マイノリティー、そうした人々とアートとの関わりについて長いこと興味を持ってきた。高校から大学にかけて、最も深く考えた弱者は、権力の下である種の自由を奪われた人々、反体制、そうした人々と音楽について追求した。時代性、流行、そんなものとは無関係に生きる人々、そんな作曲家にも夢中になった。しかしその時の弱者は、あくまでも権力に抑圧された人々や社会、民族、コミュニティーだった。
 しかし今は、そんな人々に加えて、さもすればアートと密接に関われない、あるいはほとんど関わることのできない人々、あるいはアートと関わることによって生きる自信を持つようなそんな人々にも目を向けるようになった。たとえば日雇い労働者の街でアート活動をするNPO、取り壊される街の中でアート活動をすることでコミュニティーのアイデンティティを維持している人々、身障者。そこで展開されなければならないアートに強く共感するのだ。
 マレーシアの会議に行って学んだことは、「生きるためのアートマネジメント」が存在するということだった。誰かが、何らかの方法で、アートを届け、共有しなくてはならない。彼らは5,000円、6,000円のコンサートになんていけるわけはない。しかしアートが必要なのは、本当にお金を払える人だけなのか?逆なんじゃないか?アートが必要なのは、行きたくてもいけない弱者ないんじゃないか?
 演奏者は、このところあちこちで耳にする「アートマネジメント」なる言葉を毛嫌いする人が多い。「またあれか」、そんな言葉なのかもしれない。まるで流行語のようにあちこちに浮遊する言葉。実はそんなことを思う演奏家ほど、この言葉や役割の意味がわかっていない。「そんなこと、いつもやってるんだよ」と薄笑いを浮かべるパフォーマー達ほど、それが必要なのではないか?
 いや、自分だってわかっていなかったかもしれない。お金とは無関係に、生きるためにアートが必要な人々がいる。クアラルンプールのある地域の若者たちが自分たちで作り上げた小さなオルタナティブアートスペースは、大きなガラスから光がはいるわけでもなく、美しく飾られているわけではない。すべて手作りで、時にはその作業すらいまだに終わっていないまま放置されていたりする。修理したり、新しくするお金がないからだ。しかし「かれら」にとって、そんなアートスペースはかけがえのないコミュニティーのよりどころなのだ。子供たちの絵、パンクロックのコンサート、インスタレーション、コミュニティーの人々から借りた古い写真や生活道具の展示…。そんなイベントごとにさまざまな世代の人々がそこに集まり、コミュニケーションが生まれる。そこから世代を超えた「信頼と連帯」が育まれる。
 初心に戻ろうと思う。忘れていたものを取り戻そうと思う。研究者として、パフォーマーとして、教員として、いや、一人の人間として自分にできることは何か、今一度考える時なのだろう。