Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

静岡の慶喜

2016年10月14日 | 浜松・静岡

 徳川慶喜といえば、かの水戸御三家出身の江戸幕府十五代将軍である。幕末を描いた歴史小説の中では、戊辰戦争の最中、自身は幕府高官とともに江戸城に逃げ帰った弱腰将軍として描かれることが多い、ちょっぴりかわいそうな将軍だった。江戸城開城後は水戸に戻るが、実は明治2年から30年まで、慶喜は静岡の街中に建てられた豪邸に住んで、莫大な隠居手当をもらいつつ悠々自適な生活をしているのである。駿河城の家康に始まり、慶喜が再び静岡に戻ったわけだ。
 現在、慶喜の住居の一部は、豪華庭園を配した浮月楼という名前で残されており、美しい庭を眺めることのできる結婚式やら高級料亭として今も営業されている。本当に静岡の繁華街のど真ん中に位置し、その場所だけ別世界が広がっているように見える。ちなみに「お客様」でなければ庭園を楽しむことはできない。ただし塀や建物の隙間から垣間見ることはできるが。
 浮月楼の一部にひっそりと建つ石碑を見つけた。ほとんどの若者はこんなものに気が付かないし目も向けない。悲劇の英雄の坂本龍馬だったらまだしも、やっぱり家康とは違って、「敗者」の慶喜である。だいたい若者はヨシノブと読めるのだろうか?ところで静岡では、ヨシノブではなく、「ケイキ様」とよばれて親しまれたというから、読み方なんてどうでもよいのかもしれぬ。
 1837年に誕生し、26歳の1862年には将軍後見職につき、1866年から1867年まで十五代将軍。将軍職を引退したときはまだ30歳。彼の人生はそこから「余生」ということになっている。亡くなったのは大正三年(1913年)なので、46年間も余生を送ったということになる。ぼくは数年間の将軍時代よりも、この「余生」を送っていた慶喜の方にずっと興味がわく。いや、もしかして、この46年間こそが、慶喜の人生真っ盛りだったのかもしれない。