Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

帰国しました

2007年09月20日 | 家・わたくしごと
 昨日、帰国しました。インドネシアで書いた文章に随時、写真をアップしていくつもりです。今日は9月17日の「鳥インフルエンザは?」の写真(新聞記事)をアップしました。ちなみに鳥インフルエンザは、インドネシア語ではFLU BURUNGです。たまに以前の文章も眺めて見てください。

関西空港に着くと・・・

2007年09月20日 | 
 海外から関西空港について税関を通りぬけると、そこには日本が待っています。私は那覇までの国内線の手続きを終えると、必ず空港ターミナルから外に出ます。外気に触れたいからではなく、私の生まれた東京と陸続きの本土の空気を胸いっぱいに吸い込みたいのです。私が最初に海外に行ったのは今から約四半世紀前ですが、その時私はインドネシアから成田空港に降り立ちました。3月末のその空気の冷たさの感覚を私の肺の気泡は今なお、かすかに覚えています。
 関西空港のターミナルを出ると、トランク、カバン、リュックなどさまざまな荷物を持った人々が私の前を足早に通り過ぎ、ターミナルの中へと消えていきます。私はそんな人々をいつもぼんやりと眺めます。久方ぶりに家族旅行に行くことで心弾む人々、遠距離に住む恋人のもとに行こうと、その嬉しさが顔に滲み出ている人々、会社の行く末や自分の人生そのものに大きな影響を与えるほどの大きな商談や会議に出るために表情をこわばらせた人々・・・、きっと旅人の目的は皆それぞれです。私だって沖縄から関空に降り立つときの状況や気持ちは、いつも同じではありません。そんなことを本土の空気の中でぼんやり考えたりするのです。でも私はここにただ立っていると、日本に帰った気がして、足早に通り過ぎていく人々に「ぼくは戻ってきたんだよ」と心の中で叫んでいるようです。
 この数時間後、関西空港からもう一度、沖縄に旅に出ます。私の住まいは沖縄なのにもかかわらず、私はこの空港から沖縄に「行こう」としています。「帰る」のか、「行く」のか、それは同じフライトであっても、私の中では大きく違います。もう私は関空に着いたことで、日本に帰ってきてしまっているのですから。
 私はいつまで沖縄に「行き」続けるのでしょうか?いつまで私は沖縄に「生き」続けるのでしょうか? 一ついえることは、「行く」か「帰る」は、時間が解決するものではないのだと思います。私は沖縄が好きです。でも「好き」なだけでは帰れないのです。
 ふと下を見ると、大阪駅行きのバスの前に大きなトランクを持った人々が大勢並んでいます。きっと海外から戻ってきた人々なのでしょう。彼らは、これから「帰る」のでしょうか、それとも「行く」のでしょうか? そんなことを思いながら、私はもう一度、大きな深呼吸をしました。心なしか息をフッと吐き出したとき、空港の喧騒とともに心臓の高鳴りが聞こえた気がしました。私はそんなことを考えてここに立っていると、なぜかとても嬉しいのです。


鳥インフルエンザは?

2007年09月17日 | バリ
 バリに行こうと思うのだけれど、鳥インフルエンザが怖いという観光客は少なくないらしい。バリの観光客数に影響が出ていることをニュースは伝えている。
 私がバリに着いた約1ヶ月前、バリ西部で鳥インフルエンザの患者が出て、数日後には中部・・・といったように数人の患者が出てデンパサールの隔離病棟に収容されていることはニュースや新聞でも詳しく報道されていた。
 ここ10日ばかりは、そうしたニュースはない。そしてテレビ、新聞では州の広報が繰り返し積極的に行われるようになった。病気になった鳥や死んだ鳥にはさわらないこと、すぐに村長に届け出ること、鳥に近づいたあと熱などの症状が出たらすぐに診療所にいくこと、タミフルが無料でもらえることなど。また鶏肉の調理の方法までもがテレビで行われている。これは鶏肉を食べない人々が増えたことが影響しているのかもしれない。そんな広報のせいか、私の調査している村の人々もその病気の恐ろしさや観光に与える影響などを実感するようになってきた。
 私は専門家ではないので、安全かそうでないかについて言える立場にはない。しかしひとついえることは、インドネシア政府も、バリの人々も積極的に対策に取り組んでいることだけは私に伝わってくる。あとは、バリへ行こうと考えている人々の判断次第である。

クラクション、鳴らしてみたら・・・

2007年09月16日 | バリ
 あいかわらず、インドネシア生活が続いている。そしてブログに書いた通り、つい先日まで街に出て信号待ちをするたびに、信号がかわった一秒以内に後ろの車に鳴らされるクラクションに悩まされていた。
 最近、少し冷静になり、朝、昼、晩とクラクションを鳴らされる頻度を自分なりに分析すると、やはり昼が圧倒的に多いことがわかってきた。特に夕方の海岸近くの大きな交差点などは、涼しい海風がふいているせいか、誰も鳴らさない。ようするに、これは明らかに暑さのせいなのであり、インドネシア人がせっかちだ、という結論に帰結するのは誤解である。昼はむちゃくちゃ暑いのである。もう日陰があれば、その前にスペースがあろうと動かない。日陰をとったものの勝ちである。
 ある暑い昼下がり、インタヴューからの帰り、暑い交差点の信号待ちに遭遇した。ともかく皆が暑さでいらいらしているのがよくわかる。私もその一人である。
 そうだ、そのときである。「私もクラクションを鳴らせばいいんだ!」という新たな行為を思いついたのである。そして信号がかわった。その瞬時、私は意を決してクラクションを鳴らしたのである。ところが日本と違って誰も振り返るオヤジなんていない。それどころか、まるで私の鳴らしたクラクションの音に呼応するように車が一斉に走り出すではないか!まるで「出発進行」と叫んだみたいだ。
 やはり「郷に入れば郷に従え」だったのだ。その日は、なんとすがすがしい一日であったことか!私はそれ以降、日々、クラクションを鳴らし続けているのである。まさに正しいインドネシアでのバイクの乗り方である。

修行僧のような?

2007年09月13日 | バリ
 インドネシアでは「水」で水浴び(インドネシア語でマンディという)をする。まさに字のとおりである。沖縄にいると普通はシャワーであっても「お湯」であるが、ここでは水である。もちろん「湯」がでるような上等な場所で生活していないからである。当然、バリ人の大半が水でマンディをする。
 現在はまだ乾季なので結構、朝は寒い。たぶん沖縄のよりもはるかに寒いはずで、暑がりの私ですら、夜は毛布に包まって寝ているほどだ。その朝に水でマンディをするのである。正直これには相当に勇気がいる。まず足さきに水をかけ、手の先から順にぬらしていき・・・もう面倒になって「えい!」と頭から水をかぶる。
 しかし私が調査にいっている場所は山村で、これがデンパサールなどの都会にくらべるともっと寒いのだ。もちろん冷たい水である。しかも水道は一日の朝と夕方の2回、約1時間ずつしか出ない。たまにまったくでないときは泉にいかなくてはならない。もうこうなると地獄である。
 なんだか私のインドネシアでの生活は修行僧のようである。心頭滅却すれば水もまた熱し、といったところだろうか。不思議と最近はこの行為が「快感」に変わりつつあるのだが・・・。これもきっと修行の成果である。

州立図書館でのできごと

2007年09月09日 | バリ
 金曜日、どうしても2003年の新聞記事を確認したくて、11時頃、テンク・ウマール通りにある州立図書館に行った。バリ関係の資料が保管されている部屋があり、ここの資料は持ち出し禁止である。といっても、さしてコピーサービスというのもなく、どうしてもコピーする場合は、パスポートなどの重要書類を預けてから、自分でコピー屋に持っていくシステムである。新聞記事の場合は許可をとって、デジカメで撮影させてもらう。それで十分にことたりる。
 さてこの日、この部屋に入ろうとすると鍵がかかっている。金曜日の開館は12時45分までで、どう考えても閉まるには早すぎる。受付で聞いてみると、「朝、担当者はいたから、飯でも食べにいっているんでしょう。」と言うだけである。10分待っても開かないので、別の部屋の館員に聞くと、「1階で会議があるから、そっちに出席しているんだろう。」という。とりあえず、1階の事務室に行って受付のきれいなお姉さんに聞いてみるが、そんな会議はないという。
 どちらの理由にしても、図書館の開館時間に勝手に鍵をしめていなくなるのは、元図書館員の私としては許しがたい。どないなっとるんや!と怒っても仕方がない。そうしても開かないのである。受付のお姉さんに「今日は絶対に開くよね。」と念を押すと、「だいじょうぶよ。」なんて微笑みかけられてしまう。その笑顔に敗北する。
 さて1時間待ったが、鍵は開かなかった。つまり私の調査はこの日進まなかったのである。館員はかわるがわる「きっと今日は儀礼で忙しいんだよ。」というのである。なぜ?どうして?ここは公共図書館じゃない?
 翌日、私は朝8時半に図書館に行った。鍵はもう開いていて、館員が一人、新聞を読んでいる。
「もしかして、昨日、待ってた日本人?昨日は忙しくて、帰っちゃったんだよ。」と笑って言う。
「あやまんねえのか、おりゃ!」なんて言えるはずはないので、「いいですよ。」と簡単に許してしまう。私も人がいい。ちなみに私はその日、この部屋に2時間ばかりいたのだが、図書館員の彼は、新聞を読み終わったあと、楽しそうに大きな音でテレビを見ていたのだった。何度もいうが、ここは貴重書のおいてある「はず」の図書館の一室である。

ミー・ゴレンは赤、それとも黄色いのがお好き?

2007年09月07日 | バリ
 バリでの滞在中は、スーパーで買ってきたパンを部屋で食べる以外は完璧に外食である。正直、毎回外で食べるのは相当に面倒である。儀礼の調査などで、その場で儀礼食などがいただけるときは正直、これ幸いと思うのである。特にワヤン一座とおとずれる家の食事は、どこもたいへんにご馳走である。
 私のポリシーとして、屋台で食事を買うときは、8,000ルピア以内と決めている。要するに100円である。これ以上は贅沢の極みであるとして律している。さて私は麺類が好きなので、よく5,000ルピアのインドネシア風焼きそば、ミー・ゴレンを注文する。できるだけいろいろな屋台で注文する。たいがいどの店にも自慢の味付けがあって、どこかが違う。まず、イスラム系とそれ以外だと、豚肉を使わないので味付けそのものが大きく違うし、焼き系、蒸系、煮る系と焼きそばといっても多種多彩である。
 出来上がったときの色は二種類に分類できる。トマト・ケチャップを味付けに使用する赤系、使わないで麺の色がそのままの黄色系である。さて、インドネシア通の方々はどちらがお好きだろうか?私の友人で日本人バリ・ガムランの重鎮の一人、「食通」のT氏はともかく赤でなければダメである。赤こそがミー・ゴレンであり、赤でないと怒りだす。かつて、あのバリ・ハイヤットで朝食を食べながら、出された焼きそばが黄色いのに文句をいっていたのを鮮明に覚えている。
 このところ、T氏の愛する赤系の焼きそばが続いていた。特においしくないということもなく、私は何でも「おししく」いただくのである。さて数日前、久しぶりに黄色のミー・ゴレンに遭遇した。6軒目にしてはじめてである。もちろんデジカメに収めたが、久しぶりに食べた「ふつう」の焼きそばはやはり旨かった。だんだんおじさんになってくると、「ふつう」に魅力を感じてしまうのだろうか?しかし、焼きそばにトマト・ケチャップを入れるなんてわざは、インドネシアと沖縄くらいしかできないのではなかろうか?ちなみに、沖縄に勤める大学のそばについ最近まであった食堂でヤキソバを注文するとおばさんにいつもこう聞かれたのだった。
「味付けは、ソース、醤油、それともケチャップ?」
 ちなみにケチャップで頼んだことがあったが、それはまるでバリのヤキソバであった。

車輪付き火葬塔

2007年09月04日 | バリ
 バリは今、火葬の季節である。どこもかしこも火葬の準備で忙しそうだし、街は頻繁に火葬行列(仮装行列ではない)の通り過ぎるのを待つための渋滞で混雑している。ウブドでは7日に王族の火葬儀礼があり、今は街をあげての準備で大忙しだった。
 さて、今日もデンパサールの街中で火葬の行列があって、渋滞に巻き込まれる。どうせ10分は待たなければならないのと、ガムラン・アンクルンの音色に誘われて「見物」に切り替え、なんとかバイクを歩道にのりあげて停車させた。だんだん行列が近づいてくる。ポクッ、ポクッ、ポクッと拍を刻むカジャルの音がだんだん大きくなる。少し胸が高鳴る。行列の先頭で演奏するガムラングループの後ろには、大きな火葬塔を担いだ人々が続く。とそのとき、この火葬塔の動きが妙に早いことに気づいたのである。おかしいぞ。あまりにもスムーズに動きすぎている。私はその火葬塔を凝視する。
 そのとき、発見したのである。火葬塔は、4つのタイヤの大きな台の上にのせられているだけで、なんと人々は担ぐ「フリ」をしているだけなのだ。つまり、車にのせられて、押されているだけなのである。なんと楽になったことか!
 デンパサールでは車の渋滞を避けるためにできるだけスムーズに移動できるこの車付き火葬塔が結構出回っているらしい。特に十字路などでは、火葬塔をその場でグルグルまわすのだが、その動きはまるで自転車を走らせているようだった。渋滞緩和はもっともな理由だけれど、実際のところはかなりの労力削減につながっているわけで、本音はどちらなのか?そんなことを考えながら、楽しく火葬行列見学のひと時を過ごしたのだった。

輪ゴムからホッチキスへ

2007年09月02日 | バリ
 インドネシアでは毎日外食である。しかし、外で食べると飲み物代がかかるので、よく注文したものをテイクアウトする。インドネシアでは、紙で「包む」ことから、包むを意味するブンクスという言葉を使う。
「おばさん、ミーゴレン(焼きそば)をテイクアウトで一つね。」というときは
「イブ、ミーゴレン、ブンクス、サトゥ(1)」といえば、通じるのである。ちなみに、私の留学中にバリに来た弟が覚えた最初のインドネシア語が、ブンスクだった。兄に命じられるまま、あちこちで買い物をさせられたからである。
 最近思うのだが、昔は包んでくれると、それに輪ゴムをして開かないようにとめてくれた。だから自分の部屋には、いろいろな色の輪ゴムがたくさんたまって、暇なときに輪ゴムを飛ばして、部屋で一人遊んでいた。
 しかし最近、輪ゴムでとめてくれる店などまずない。どこもかしこも、最後に、ホッチキスでパチン、パチンと止めて終わりである。確かに便利になった。確実に止められるだろう。ただ、問題なのはその芯である。うまくはずさないと、食べ物の中にまぎれてしまって見つからないのである。あの芯を飲み込んでしまったらと思うとぞっとする。
 最近は部屋で、ブンスクを開くとき慎重にホッチキスの芯をはずして、使わない灰皿の中にためることにした。もうシャカシャカなるほどたまってきた。たいしたことではないけれど、20年であれもこれも変わっていく。