Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

蓼仙の滝(りょうせんのたき)

2016年10月21日 | 

 御泉水自然園については昨日のブログでふれたのだが、しばらく平らな場所を歩いたあと、山側の斜面を登ってみようということになったのだった。どこかで昼食でも食べようと、途中のコンビニで買ったおにぎりを持って元気よく坂道を登り始めた。
 するとこんな文字の記された道しるべに出会ったのだ。
 「蓼仙の滝 0.7K」
しかも矢印は下りの道である。
 「0.7キロなんてすぐだよね。しかも下りだし。行ってみようよ。」
と私たちは元気よく歩き出したのだった。しかし、その下りがどんどん急になるうえ、どこまでいっても斜面をほとんどまっすぐ下に直進するような坂道が続いて、いっこうに滝が見えないし、音も聞こえないのである。かなり歩いたつもりで、次の道しるべをみると
 「蓼仙の滝 0.5K」
となっている。マジか!これだけ歩いて0.2キロなんてありえない。僕たちは騙されたんだ!と思いながらも人間は上るより降りる方が好きらしい。危ない、危ない、といいながらも下り続けたのである。なんとか滝に到着して、また長い長い坂道を登って戻ってきたのだが、最後にこんな看板を見つけたのだった。確かに精神力は強化されたと実感する。ところでこの滝だが、これは明日のブログのお楽しみ。

 


ヨーロッパの香り?

2016年10月20日 | 

 旅の二日目、白樺湖からほど近い御泉水自然園を散策する。この散策については別の文章で紹介する予定だが、この自然園の一角は、天気のせいもあったが、実に美しく整備され、すがすがしい風景が広がっていた。ここは、どこ?と思ってしまうような風景。なんだか写真でしか見たことのないような北欧の風景を思い浮かべてしまう。
 ふと感じたこと、空気の香りが全く浜松や東京と違うのだ。なぜか、香りから蘇ったのは自分の行ったことのあるヨーロッパの空気である。スイスだったか、オランダだったか…。どこだか思い出せないのだが、はるか10年以上前の香り、感覚が不思議と蘇ってくる。
 香りは記憶と結びついている。ぼくにとって、この御泉水自然園の香りは、懐かしい、もう戻れない素敵な記憶の一片と結びついた。その瞬間、芋づるのようにその時代の良い思い出ばかりが次から次へと脳裏に映し出されていく。至福の扉はいつ、どんな瞬間に現れ、開くのか、誰にもわからないものだ。


エース君、よく眠れたかしら?

2016年10月19日 | 家・わたくしごと

 先週末、わが一座のメンバーであり、人生の先輩K氏の所有する白樺湖に近い山小屋に遊びに行く。すでに夜になると気温は5度近くまで下がるため、冬の予行演習といったところ。それでも三日間晴天続きで、気持ちの良いマイナスイオンを半年分は吸い込んだ気がする。
 さて、この山小屋で私の睡眠場所はリビング。そして私と一緒に寝てくれたのが名犬エース君である。エース君とはすでに何度も対面しているのだが、彼は決して吠えることなく初対面の誰にでも優しい。ぼくのこともきっと覚えていないだろうが(最後にあったのは5月だった)、それでも優しく接してくれる。まさに名実ともに名犬である。二日間、諸事情により、ぼくは名犬エースと二人きり(一人とエース)で寝ることになったのだが、正直、これまでの人生の中でワンちゃんとこれほど近距離で寝たことはなかった。なぜなら、かつて私の家にいたコロちゃんは外犬だったから。
 夜中にふと目を覚ますと、すぐそばで丸くなって眠るエース君。なんてかわいいんだろう。私がお手洗いに立つと、すくっとたちがるのだが、すぐに寝床のソファの周りをくるくる回り、そして元と同じ姿に戻って、眠りつくのである。一つ気がかりだったのは、私のひどい寝言でエース君を夜中に何度も起こしてしまったのではないか、ということである。朝、僕が起きてもエース君は眠そうに目をしょぼしょぼとさせていたから、もしかすると、僕の寝言のひどさでしっかり眠れなかったのかもね。ごめんね、エース君。


しゃれた駅名標

2016年10月18日 | 家・わたくしごと

 駅名標という言葉をご存じだろうか?まず、鉄ちゃん以外は知らない「専門用語」である。ちなみにウィキペディアでこの言葉を検索すると、ちゃんと出てくるからたぶん間違いない。要するに鉄道の駅に設置された、その駅名を表示した看板である。大抵は、上り、下りの駅名が左右に表示されるので、次の駅がどこかその駅名標を見ればかわるようになっている。電車に乗る人々にとってはおなじみの駅名表記の看板であろう。
 この看板、最近はちょっと色がついたりしてオシャレになったが、やはり基本は文字である。国鉄時代の駅名標は、たいてい看板のようにホームの中心に立っていて、木製の白地に文字は黒と決められていた。しかもその文字は丸っこいイタリックと丸文字の間の字体だった。私はそんなレトロな駅名標が今でも好きである。
 ところが今回、茅野駅で出会った駅名標は、八ヶ岳の絵がはいっているしゃれたものだった。確かに目を留めるのだが、これ、駅にいる乗客ならいいが、電車に乗って通過する乗客には見えるんだろうか?それとも基本は駅の乗客にわかればいいものだろうか?それに、この種の駅名標はひらがなで大きく駅名が書かれていなかっただろうか?だいたい茅野を「ちの」と読めない人だっているはずだ。
 しゃれてはいるんだが、正直なところ、ちょっと落ち着きのない駅名標のような気がしてならぬ。こうして国鉄時代を知っている古い人間は、ノスタルジーに浸っているうちに「変わりゆく時代」に置いていかれるのだろう。まあ、そんな人生も素敵じゃないか。


浜松とブラジル人

2016年10月17日 | 浜松・静岡

 浜松には多くのブラジル人が住んでいる。市内の外国語表示がされている場所には、必ずポルトガル語が併記されているといっても過言ではない。製造業の不況によって、今から20年ほど前にくらべればその人口は半減したが、それでも現在のブラジル人人口は8600人前後である。
 「なぜ、浜松にはブラジル人が多いのか?」とよく聞かれるのだが、沖縄の人々がかつてブラジルに移民したようなそんなつながりがあるわけではなく、あくまでも1989年の入国管理法の改正により、日系ブラジル人とその家族が日本に移住できるようになったからである。工場の多かった浜松もその法律改正によって、多くの日系ブラジル人やその家族を受け入れたのだ。現在では多文化共生をうたう浜松市だが、もちろんコミュニケーションをめぐるさまざまな問題もあり、市やNPO、ボランティア団体はさまざまな取り組みにより、ブラジル系の人々と市民の距離を縮めようと努力をしている。
 ブラジルの人々が多いということは、やはりブラジル文化。浜松駅から目と鼻の先には、ブラジルの食材屋、レストランがあったり、そういう意味で国際色豊かである。コミュニティーラジオの番組でもブラジル語放送のプログラムが用意されているほどだ。そしてブラジル音楽として有名はサンバのフェスも開催される。浅草のサンバフェスティバルは日本人の出演者が多いことで有名だが、こちらはブラジルの人々と浜松の人々がともに集う大イベント。こうしたブラジル関連イベントもまた、浜松の特徴を反映した行事の一つである。
 


ふじの木の下で

2016年10月15日 | 家・わたくしごと

 国分寺の実家にはりっぱなヤマフジが植えられている。たぶん相当に前に植えたに違いない。私の小学生の頃の記憶の中にもこの木に咲く淡い紫色の花がはっきりと刻まれている。そして今なお、その花は初夏になると咲き乱れる。私が大好きな庭の花の一つである。野生種に近いヤマフジだから、鑑賞用のふじの花にくらべればちょっぴり寂しいと、これを植えた今は亡き祖父や祖母によく言われたが、私には自分のうちの庭先に咲くふじ。やはり世界でもっとも美しいふじの花である。
 先日、このふじの木の下にもぐってみた。こんな時期にここから上を臨むことなんてほとんどないだろう。緑のふじ棚から空を覗くことができる。まあ、当たり前の風景。ここまでくると幹もだいぶ疲れてきているのがわかる。もう長いこと植えているわけだし、年も重ねて生き続けているわけだから。
 寒い冬がやってくる。大嫌いな冬を思い浮かべるだけで「溜息」が何度も出てしまう。嫌だ、いやだ。何度、ブログで冬嫌いを表明しているだろう。しかし、それが過ぎればまた花の季節がやってくる。真冬の最中に、もう一度、この木の下で空を眺めてみようと思う。なぜかよくわからないが、そうすることによって、冬を前向きに過ごすことができるような気がするのである。来年咲くふじの花を思い描いて。

 


静岡の慶喜

2016年10月14日 | 浜松・静岡

 徳川慶喜といえば、かの水戸御三家出身の江戸幕府十五代将軍である。幕末を描いた歴史小説の中では、戊辰戦争の最中、自身は幕府高官とともに江戸城に逃げ帰った弱腰将軍として描かれることが多い、ちょっぴりかわいそうな将軍だった。江戸城開城後は水戸に戻るが、実は明治2年から30年まで、慶喜は静岡の街中に建てられた豪邸に住んで、莫大な隠居手当をもらいつつ悠々自適な生活をしているのである。駿河城の家康に始まり、慶喜が再び静岡に戻ったわけだ。
 現在、慶喜の住居の一部は、豪華庭園を配した浮月楼という名前で残されており、美しい庭を眺めることのできる結婚式やら高級料亭として今も営業されている。本当に静岡の繁華街のど真ん中に位置し、その場所だけ別世界が広がっているように見える。ちなみに「お客様」でなければ庭園を楽しむことはできない。ただし塀や建物の隙間から垣間見ることはできるが。
 浮月楼の一部にひっそりと建つ石碑を見つけた。ほとんどの若者はこんなものに気が付かないし目も向けない。悲劇の英雄の坂本龍馬だったらまだしも、やっぱり家康とは違って、「敗者」の慶喜である。だいたい若者はヨシノブと読めるのだろうか?ところで静岡では、ヨシノブではなく、「ケイキ様」とよばれて親しまれたというから、読み方なんてどうでもよいのかもしれぬ。
 1837年に誕生し、26歳の1862年には将軍後見職につき、1866年から1867年まで十五代将軍。将軍職を引退したときはまだ30歳。彼の人生はそこから「余生」ということになっている。亡くなったのは大正三年(1913年)なので、46年間も余生を送ったということになる。ぼくは数年間の将軍時代よりも、この「余生」を送っていた慶喜の方にずっと興味がわく。いや、もしかして、この46年間こそが、慶喜の人生真っ盛りだったのかもしれない。
 
 


ジョロウグモ

2016年10月13日 | 家・わたくしごと

 実家の庭に巨大な蜘蛛の巣が張っている。なぜ取り払ってしまわないのか、とも思うのだがもしかすると両親が観察するためにそのままにしているかもしれないので私も眺めるだけにした。そしてそのクモの巣の中心にはジョロウグモが微動だにせずに獲物が「網」に引っかかるのを待ち続けている。
 このクモの名称ジョロウグモ、漢字では「女郎蜘蛛」とも書く。それにしても、この蜘蛛と女郎、すなわち遊女がなぜ関係するのだろう?「美しさ」の象徴なのか?そんなことを想像しながらネットで調べてみるとこれまたびっくり。「女郎」とは別に、「上臈(じょうろう)」からクモの名前がつけられたという説もあるらしい。こちらの意味は、身分の高い高層、女官などを意味する言葉。ということは、クモの中でも体が大きく、美しいクモは、身分の高い「上臈蜘蛛(じょうろうぐも)」だったということか。王や王女になれず、「召使」というところが面白い。
 さて真面目な話をしてしまったが、私にとってクモといえば、初代仮面ライダーに出てくるショッカー「怪奇蜘蛛男」である。どんなクモを見ても、アカデミックに昆虫について考えることができず、仮面ライダーのショッカーを思い浮かべてしまうからこそ、私は理系の道に進めなかったのかもしれぬ。
 


エレベーターホールを抜けるとそこは白の世界だった

2016年10月12日 | 家・わたくしごと

 ブログなんぞで川端康成の言い回しをパクるとんでもない奴だ、と思われるかもしれないが、実は僕はこの光景に出会ったとき、まさに目をパチクリし、これがこの世の世界なのか、と一瞬思ったほどの体験をしたのだ。
 家の扉のことを数日前のブログに書いたのだが、実は今回の大改修、天井、そして壁を塗り替えている。天井は完全な白、そして壁は薄いグレー。とはいえ床の以外は白、白、白である。塗り替える前も白系だったのだが、できてから20年以上経過して、相当にくすんでいたに違い。塗り替えると、まるで別物のようだ。
 さて再び、あの日の話に戻そう。仕事で疲れ切った僕は、夜10時前にぼーっとしながらエレベータを上がった。14階のボタンを押して目をつぶった。一日の仕事を反芻してみる。忙しいようで、数えてみればたいした数をこなしているわけではない。いつもと同じようにため息をついているうちに家のフロアーについた。
 下りた時に驚いたのだ。「白い、白い、白すぎる! ここはどこ? 自分の家のあるマンションか?」実は僕はこの光景に出会ったとき、まさに目をパチクリし、これがこの世の世界なのか、と一瞬思ったほどの体験をしたのだ。  


キルフェボンを知っていますか?

2016年10月11日 | 浜松・静岡

 読者のみなさまはキルフェボンなる日本で超有名なケーキ(タルト)屋さんをご存知でしょうか?日本国内に11店舗あるようで、青山、銀座、スカイツリーなど、絵になるような有名どころにあるだけでなく、なんと、私の住むマンションの隣にあるんです。つまりわがマンンションも有名どころってわけなんです。まあ、そういうにはちょっと厳しいかもしれませんが、ここは土日になれば行列ができます。母の日、父の日、敬老の日、クリスマスなんていったらその行列は半端じゃありません。
 キルフェボンはウィキペディアにも項目があって、それによると最初の店舗は静岡に1992年にできているんですね。つまり静岡発のタルト屋さんであることから、その後、ついでに浜松にできたんでしょうね(その経緯はわからないですけど)。光栄ですね。そんな有名なお店が静岡発で、家の横にあるんだから。ちなみに、これもウィキペデアの受け売りですが、キルフェボンは「なんていい陽気なんだろう」という意味だそうです。このところ、陽気はよくないけど。
 浜松出身の学生によると、このタルトは浜松の人々にとって、超「ハレ」の日に、わざわざ買いに来るまさに超「特別」なものだそうです。味もさることながら、その値段をすばらしい!ちょっと買おう、という値段ではありません。ちなみに1ピース800円、900円は当たり前ですね。1ホールなんて、とんでもない値段になります。でも価格も重要ですね。特別だからこそ、高い値段を払うんだから。
 先々週の日曜日、やっぱりこの日も外まで列ができていたのでした。ちなみに正面からとると、とてもお洒落なお店なんですが、横から撮影すると高級な「タバコ屋」みたに見えるのは気のせいでしょうか?