いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

気の利かない Ron-kyaku。 dull controversialist

2010-08-28 20:17:52 | 日記
 15年ぶりという急激な円高株安に対して、首相と日銀総裁が電話15分の協議で済ませ
たことがマーケットに不安を加速させた。円高株安が止まらない。マーケットは、「気持ち」
に敏感に動くイリュージョン(illusion)。

 昨日の首相の「ぶらさがり」と言われる立ったままの記者会見。円高に対して電話協議で
済ませたことを気にしてか、首相から円高に政府が為替介入する意向を示したが、記者の
待つ会見場所に近づくと、ポケットから大きなメモを取り出して円高に対する記者の質問に、
終始目を下に向けてメモを見ながらの応答となった。
 実に自信なさそうに見えて、自分の哲学、信念とは思えない空疎な言葉で表現していた。
言葉でない言葉だ。

 円高株安不安に対する政府介入もありうるとのガイドライン的な内容だったが、それぐらい
メモなしで対応できないのか。この様子は、首相の間違ってもこの発言でマーケットに悪影
響を与えてはいけないとの細心の配慮の発言だろうけど、かえって意図に反して自信のぎ
こちなさをよく発信していた。
 具体策はなくとも、せめて自信だけはポーズで決めてほしかった。マーケットは「気持ち」
に敏感な「生きもの」だからだ。

 過去にいくつか失敗(財務相時代、マーケットの出す数字に好ましくないとの観測表明)
してきてよく学習しているはずの首相なのだから、学習効果を示す機会だった。
 首相は、民主党を代表する論客(controversialist)だとのうわさだが、首相になってから
少なくともそのカケラも見えないのはどうしてか。すっかり、気の利かない論客(dull controversialist)
になった。政治はドラマでもなければ野望のゲームでもない。政治家の信念は哲学だから、
普遍的な核心をついた見方、考え方、論理で話すものだ。

 分刻みでの政治行動だからといって、テレビで国民に発信する会見ぐらいは周到に責任と
自信を表現する配慮がなくては、自ら国をリードすることはむづかしい。首相が誰かのいい
なりになっているわけでもないだろう。
 政治家の言葉が軽くなって(いつからかと言われても、国民主権の政治哲学という重い言
葉にお目にかかったことはないが)、信念、哲学を語れなくなった。

 国外の大統領や地方自治体の首長のような、直接民主主義で選ばれた支持を背景とした
強いリーダー像ではなくとも、哲学、信念を感じる政治理念の高さは示してほしいものだ。
 首相の「気持ち」に敏感なのは、マーケットばかりではない。国民も、ずっとガマンの米国
の影響力、不況の中での生活の毎日だ。

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