(1)56年前に起きた名張毒ぶどう酒事件容疑者として逮捕され、その後死刑の確定判決を受けて収監中の15年に89才で病死した死刑囚の家族が受けついだ10回目の再審請求(10th appliance for a new trial)が名古屋高裁で棄却された。
再審請求には確定判決を覆す新証拠が必要であり、請求を重ねるたびに再審の可能性はむずかしくなる。名古屋高裁は「事件から長い時間が経過し(弁護団の『犯行薬物の真偽を』)実験で結論を導き出すのは合理的でない」(判決要旨、『』内は本ブログ注)として「実験は何の意味も持たない」(同)と結論づけて10回目の再審請求を退けた。
(2)法治国家で罪刑法定主義をとる日本では、裁判で事件を審議、解明し、容疑者を特定して必要な処罰を科することを事件解決の「すべて」(裁判至上主義)として社会のパラダイム(paradigm)とする。
しかし戦後混乱期の自白偏重の時代の無理で不十分な捜査から、近年になってえん罪事件があきらかになって死刑囚の逆転無罪判決が幾度かみられるようになった。
近代法治国家日本で検察による証拠デッチ上げに自白強要が横行して、司法改革の必要性が叫ばれて取り調べの可視化(録音)が進められている。
(3)司法への信頼が大きく揺らいでいる。冒頭の事件では容疑者として逮捕され死刑確定判決を受けた死刑囚が1審では無罪判決を受け、2審で逆転死刑判決となりその後最高裁で上告棄却され72年に死刑判決が確定(報道)した。
死刑判決確定から45年もの間執行されずに高令を迎えて収監中に病死したのは、司法としてどういう判断(死刑執行命令は時の法相)があったのか、世界的に死刑廃止論が広がる中で死刑執行すべきだということではないが死刑執行は継続的に命令されてきている中で、冒頭事件は45年間執行されずに来て死刑囚の病死を招いた。
(4)その間10回の再審請求が継続して行われて執行できない状況にあったが、異常な事態といえば事態だ。近年司法への信頼が大きく揺らいでいる中で、裁判至上主義がまた揺らいでもいる現実社会だ。
同事件死刑囚は確定的な証拠がない中の捜査で殺害を自供したとされるが、起訴前に否認しその後一貫して事件への関わりを否定し続けていた。
法治国家日本の制度上、裁判により判決確定したものは尊重されなければ社会のパラダイムは成り立たないが、前述のように間違いと認められるものもある。
(5)そもそも、人が人を裁く不条理(unreasonableness)な世界の裁判のなせるものだ。72年に最高裁が上告棄却して判決が確定し、昨日の10回目の再審請求では高裁判断で「(事件から長い時間が経過し新証拠の)実験は何の意味を持たない」として「犯人性は揺るがない」(判決要旨)とされる事件で、それはそれで尊重される判断ではある。
(6)それでも長年無実を訴えてきた死刑囚の名誉のために、残された家族が行えることは「事件から長い時間が経過し、何の意味も持たない」とする新証拠を求めて再審請求しかない。
もはや第三者が関与できない45年の「時」の深層の闇から、「時」が解決する領域なのだろうか。
再審請求には確定判決を覆す新証拠が必要であり、請求を重ねるたびに再審の可能性はむずかしくなる。名古屋高裁は「事件から長い時間が経過し(弁護団の『犯行薬物の真偽を』)実験で結論を導き出すのは合理的でない」(判決要旨、『』内は本ブログ注)として「実験は何の意味も持たない」(同)と結論づけて10回目の再審請求を退けた。
(2)法治国家で罪刑法定主義をとる日本では、裁判で事件を審議、解明し、容疑者を特定して必要な処罰を科することを事件解決の「すべて」(裁判至上主義)として社会のパラダイム(paradigm)とする。
しかし戦後混乱期の自白偏重の時代の無理で不十分な捜査から、近年になってえん罪事件があきらかになって死刑囚の逆転無罪判決が幾度かみられるようになった。
近代法治国家日本で検察による証拠デッチ上げに自白強要が横行して、司法改革の必要性が叫ばれて取り調べの可視化(録音)が進められている。
(3)司法への信頼が大きく揺らいでいる。冒頭の事件では容疑者として逮捕され死刑確定判決を受けた死刑囚が1審では無罪判決を受け、2審で逆転死刑判決となりその後最高裁で上告棄却され72年に死刑判決が確定(報道)した。
死刑判決確定から45年もの間執行されずに高令を迎えて収監中に病死したのは、司法としてどういう判断(死刑執行命令は時の法相)があったのか、世界的に死刑廃止論が広がる中で死刑執行すべきだということではないが死刑執行は継続的に命令されてきている中で、冒頭事件は45年間執行されずに来て死刑囚の病死を招いた。
(4)その間10回の再審請求が継続して行われて執行できない状況にあったが、異常な事態といえば事態だ。近年司法への信頼が大きく揺らいでいる中で、裁判至上主義がまた揺らいでもいる現実社会だ。
同事件死刑囚は確定的な証拠がない中の捜査で殺害を自供したとされるが、起訴前に否認しその後一貫して事件への関わりを否定し続けていた。
法治国家日本の制度上、裁判により判決確定したものは尊重されなければ社会のパラダイムは成り立たないが、前述のように間違いと認められるものもある。
(5)そもそも、人が人を裁く不条理(unreasonableness)な世界の裁判のなせるものだ。72年に最高裁が上告棄却して判決が確定し、昨日の10回目の再審請求では高裁判断で「(事件から長い時間が経過し新証拠の)実験は何の意味を持たない」として「犯人性は揺るがない」(判決要旨)とされる事件で、それはそれで尊重される判断ではある。
(6)それでも長年無実を訴えてきた死刑囚の名誉のために、残された家族が行えることは「事件から長い時間が経過し、何の意味も持たない」とする新証拠を求めて再審請求しかない。
もはや第三者が関与できない45年の「時」の深層の闇から、「時」が解決する領域なのだろうか。