いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

新聞の信頼度。 reliability of newspaper

2019-01-09 20:10:55 | 日記
 (1)日本の場合、新聞報道に関しては解説力、分析力、深読みにはいろいろあっても報道の事実についてはほとんど疑いを持たない。新聞への信頼度(reliability of newspaper)が08年72.0点から18年69.6点へ低下した。

 これをどう読むのか、そもそも新聞の信頼度が70点前後というのは低いのか、そんなものなのか判断は分かれるが、掲載新聞では10年でそれほど下がっていないと分析している。

 (2)冒頭にも述べているように新聞の報道事実についてほとんど疑いなど持たない(誤りには訂正記事が載せられる)と書いたが、信頼度が70点前後というのは相当に低いものと考える。
 10年間で72.0点から69.6点に低下したというのがさほど下がっていないと読むのか、優、良、可でいえば成績カテゴリーが良から可に落ちたともいえる。
 そもそも信頼度が落ちること自体問題はある。

 (3)全国紙は10指に近いものがあるが、たとえば安倍内閣支持率をみてみると40%後半から30%台まで各紙ばらつきがある。統計上の問題で回答者をアットランダムに選んで公平、公正性を確保しても設問の仕方とか統計上すべて同一線に並ぶということはもちろんないわけだが、相当に開きはある。

 やっかいなことに全国紙には自民党政権に近い立場とか批判的な立場にあるとか色分けされていることが問題だ。

 (4)事実関係を報道するのだから記事の事実報道には違いはないわけだが、当然切り口、見方、注目度、重要度、必要度、編成の取材判断では差異が出て当然で、それでこその各紙のアイディンティティ(identity)でありそれで支持、購買、読者が構成されていくわけだ。

 しかし前述のように保守系新聞とか革新系新聞とかレッテルが貼られて、たとえば安倍首相に好意的な記事内容が多く内閣支持率も比較高いといわれる全国紙もあれば、安倍首相が何かにつけて不利な報道が多いとやり玉にあげて同支持率も比較低い全国紙もあり、新聞の信頼度に影響を及ぼす要素にもなる。

 (5)米国の新聞、ジャーナリズムの場合には一般的に政権監視の役割、倫理観から政権に対して厳しい立場、批判的な記事が目につくが、選挙となると政党、候補者の支持を鮮明にしての報道が注目視される。

 ともに自由主義が重要で優先される米国の事情でもあるが、日本では各紙の保守系、革新系の色分けはあってもここまでははっきりとしたものではなく、むしろ政権、政治家からの批判、攻撃、支持があっての分別のように映る。

 (6)情報化時代で情報発信、収集、移動はタブレット文化に移行して、紙ベースの新聞は若者中心に読まれなくなったといわれて、世界的に経営難時代を迎えている。
 短絡な判断、独断性、性急性が横行している社会思想の要因も、多角的、比較的な分析、解析、解説の新聞記事を読まなくなった時代との関連性もあるのではないのかとも思わせる。

 (7)そうしたモロモロの時代背景が新聞への信頼度が70点前後に推移していることにつながっていると考える。
 本来は新聞の信頼度は80点以上の優が必要で、それがフェイクニュースが懸念されるタブレット文化の信頼度との大きな差異、利点である。

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