(1)「文藝春秋」というのは文字のとおり硬派の本かと思っていたが、読んでみて橋下徹、舛添要一などが出ていて選挙に勝つ方法を教えますとか意外とそうでもない印象だ。
新年発売(すでに二月号)の文藝春秋の「日本の顔」で財津和夫さんが特集されている。新年の巻頭を飾る写真特集で財津和夫さんが「日本の顔」といわれる年になってしもうた。
「年になってしもうた」と書いたが、いやいや「日本の顔」は年令とは関係ない。
(2)財津和夫さんは72年にバンド・チューリップとして自ら作詞、作曲して福岡のライブハウスで自主録音、制作した「魔法の黄色い靴」のテープ1本持ってひとり上京し、レコード会社のディレクターに聞かせてほとんど直すところがないと唸(うな)らせて認められて、その後福岡出身の5人バンド・チューリップとしてメジャーデビューをした時に、すでに財津和夫さんはあたらしい時代をきりひらく「日本の顔」(face of japan)だった。
(3)ビートルズ音楽に影響を受けて自ら作詞、作曲し、演奏し歌もうたう、それまでの日本の音楽にあまり例のないスタイルで登場して、あたらしい音楽カテゴリーをつくりだして、ニューミュージックと呼ばれて先駆的役割を果たして日本の音楽史にあたらしいページを書き込み、つくりだしてきた「日本の顔」である。
同時代に活動した赤い鳥やオフコースはそれまでのフォークの影響を強く受けていたのに比べて、財津和夫さんのチューリップはビートルズの影響を強く受けていた点で革命的であり「日本の顔」にふさわしい。
(4)今回文藝春秋があえて「日本の顔」として財津和夫さんを特集したのは、あの日から47年間バンド・チューリップ、ミュージシャンとして休むことなく音楽活動を続けてきて、歌手、作詞家、作曲家として影響力を示してきたことにあらためて尊敬、賛辞、評価を送る「日本の顔」特集だ。
財津和夫さんはバンド・チューリップとして当時として画期的で革命的な二度の鈴蘭高原コンサートを開催してラジオ中継し(現在でも鈴蘭高原で大規模なコンサートはむずかしいが)、名古屋城域内コンサートなど当時の音楽界の常識を超えたところで先駆的役割を果たしてきたが、それはチューリップを支える音楽技術者、スタッフのあたらしい時代をつくる熱意、意欲の共同、企画、協力を先導してのもので、財津和夫さんの「日本の顔」は47年前の上京してレコードディレクターを唸らせた「あの」時の顔だ。
(5)財津和夫さんがバンド・チューリップとして歩んできた歴史は、日本のポピュラー音楽が進化し成長、発展した時代と重なるものであり、日本の歌謡曲旋律にあきたらないビートルズが世界を席捲した創造的、創作的音楽、ビート、コード、ハーモニーに強く影響を受けて、やはり自ら作詞、作曲し演奏し歌うというそれまでの日本音楽に革命的なムーブメントを起こした。
(6)それは1、2曲で構成し評価するTVには出ないで、ライブ活動中心に日本のあたらしい音楽カテゴリーを確立した音楽革命にある。
文藝春秋の「日本の顔」特集の財津和夫さんはどれもとてもいい「日本の顔」だ。笑うよりはちょっと斜に構えた根性の顔のほうが財津和夫さんらしくて、よろしい。
新年発売(すでに二月号)の文藝春秋の「日本の顔」で財津和夫さんが特集されている。新年の巻頭を飾る写真特集で財津和夫さんが「日本の顔」といわれる年になってしもうた。
「年になってしもうた」と書いたが、いやいや「日本の顔」は年令とは関係ない。
(2)財津和夫さんは72年にバンド・チューリップとして自ら作詞、作曲して福岡のライブハウスで自主録音、制作した「魔法の黄色い靴」のテープ1本持ってひとり上京し、レコード会社のディレクターに聞かせてほとんど直すところがないと唸(うな)らせて認められて、その後福岡出身の5人バンド・チューリップとしてメジャーデビューをした時に、すでに財津和夫さんはあたらしい時代をきりひらく「日本の顔」(face of japan)だった。
(3)ビートルズ音楽に影響を受けて自ら作詞、作曲し、演奏し歌もうたう、それまでの日本の音楽にあまり例のないスタイルで登場して、あたらしい音楽カテゴリーをつくりだして、ニューミュージックと呼ばれて先駆的役割を果たして日本の音楽史にあたらしいページを書き込み、つくりだしてきた「日本の顔」である。
同時代に活動した赤い鳥やオフコースはそれまでのフォークの影響を強く受けていたのに比べて、財津和夫さんのチューリップはビートルズの影響を強く受けていた点で革命的であり「日本の顔」にふさわしい。
(4)今回文藝春秋があえて「日本の顔」として財津和夫さんを特集したのは、あの日から47年間バンド・チューリップ、ミュージシャンとして休むことなく音楽活動を続けてきて、歌手、作詞家、作曲家として影響力を示してきたことにあらためて尊敬、賛辞、評価を送る「日本の顔」特集だ。
財津和夫さんはバンド・チューリップとして当時として画期的で革命的な二度の鈴蘭高原コンサートを開催してラジオ中継し(現在でも鈴蘭高原で大規模なコンサートはむずかしいが)、名古屋城域内コンサートなど当時の音楽界の常識を超えたところで先駆的役割を果たしてきたが、それはチューリップを支える音楽技術者、スタッフのあたらしい時代をつくる熱意、意欲の共同、企画、協力を先導してのもので、財津和夫さんの「日本の顔」は47年前の上京してレコードディレクターを唸らせた「あの」時の顔だ。
(5)財津和夫さんがバンド・チューリップとして歩んできた歴史は、日本のポピュラー音楽が進化し成長、発展した時代と重なるものであり、日本の歌謡曲旋律にあきたらないビートルズが世界を席捲した創造的、創作的音楽、ビート、コード、ハーモニーに強く影響を受けて、やはり自ら作詞、作曲し演奏し歌うというそれまでの日本音楽に革命的なムーブメントを起こした。
(6)それは1、2曲で構成し評価するTVには出ないで、ライブ活動中心に日本のあたらしい音楽カテゴリーを確立した音楽革命にある。
文藝春秋の「日本の顔」特集の財津和夫さんはどれもとてもいい「日本の顔」だ。笑うよりはちょっと斜に構えた根性の顔のほうが財津和夫さんらしくて、よろしい。