いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

本当に良いもの。 genuine something fine

2019-01-29 20:10:15 | 日記
 (1)2018年の書籍と雑誌の推定販売額がピーク(1996年)から半分(報道)に減った。報道でも書籍と雑誌を一緒にはできない事情もあり、書籍は話題本の出版も多いが雑誌の廃刊は相次いでいる。

 新聞も若者中心に読まれなくなり世界的な経営難時代が続く。情報化時代、社会で情報はデジタル、タブレットから取得する社会構造の変革が主な原因だが、仮にこの世から紙ベースの新聞、書籍、雑誌もなくなったらどういう社会生活になるのか、なかなか想像するのはむずかしい。

 (2)記録も資料も乏しくなり考える力、想像する力、比較する力、創作する力など人間のポジティブ(positive)な思慮、思考能力の刺激、自立がなくなり減退、衰退するのではないのかと危惧する。

 本来好奇心の強い、固まりの人間性を持つので、その分何かほかの社会性に対して関心、興味をみつけまったくあたらしい行動を起こすことも十分考えられるから、それはそれで思想、情報革命となることはある。

 (3)そのひとつがデジオタル、タブレット文化であり高度高速通信技術、システム化でいつ、どこでも、どことでも早く意思疎通、情報伝達が可能で、多種、多様な情報取得が可能な文化をつくりあげた。

 それがいちいち手でページをめくって読む紙ベースの活字文化の後退につながっている。新聞、書籍類の紙ベースの情報は記録性、資料性、解説、解析性、書き込みさらに装飾性ついでに踏み台にもなって多様な特性、使い道はあると書いたが、冒頭のようにピーク時から販売額が半減しているデータを見るところでは、今日的時代、社会ではその価値観があまり必要とされていない傾向が示されている。

 (4)その傾向、流れから書店の数も減少して、ただし品揃えの特色、配置をいかしたあたらしいブック・クオリティ・スタイルの書店も注目されて登場しており、あたらしい試みもみられる。

 中高生の読書離れも学校教育での読書見直し指導により一定の成果、改善がみられて、紙ベースの書籍類復活には後押しのいい傾向もみられる。
 紙ベースの活字文化が廃(すた)れた社会の弊害を書いたが、読むことは書くことにつながり、読むことにより書くことの意味、意義がより人間性の能力、構成、向上により刺激的(incentive)であると考える。

 (5)読むことは多様な題材をかき集めようとすれば相当の量が必要であり、それが基本ではあるが書くことにより量を情報として分類、分析、整理して自ら構成、編集することが可能であり、独自の情報をつくりあげることができる。

 読むことは受動態、的、であり、書くことは能動態、的であり、書くことはよりポジティブに刺激性が強いといえる。

 (6)書籍の文化も骨のある硬派の強い作家の登場が待たれて、必要で、文豪と評される作家の登場が必要だ。そういう作家を育てることも文壇社会の重要で大切だが、それが年2回も芥川、直木賞を選考して新聞広告でタレントまがいの書籍宣伝をするという軽さがふさわしいのか考えさせられる。

 書籍が商品化して権威と結びついて、賞として評価される今日的書籍文明論が書籍価値を下げている原因でもある。文壇社会も骨のある硬派の強い文豪作風、作家開拓にふさわしい方法論(methodology)を考えなければならない。

 (7)紙ベースの新聞、書籍類のない世界など想像できない弊害も多い社会であることは書いたが、本当の危機というのは情報化時代、社会の中での被害意識のほうであり、考え方によっては書籍類の販売が半減したことにより本当に良いもの(genuine something fine)が残ったともいえる。

 本来タブレット文化と紙ベースの新聞、書籍類は別物であり共存できるものである。

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