ああ・・・。
「普通」って一体何なんでしょうね
恐らくは、共通観念とか(行動に於ける)最大公約数的な選択の事、、、なんでしょうけど、
それを強要したりある種の暗黙の了解にしてしまうと、「個性」が死に絶え選びたい人生を選べなくなってしまう気がします
大体、「普通」「普通」とはいうけれど、分母が大きい類の行動を「普通」としてしまうと、
それに当て嵌まらない/当て嵌まりたくない人間の居場所が無くなってしまう
手前のものさしを相手に当てはめて「異常だ」という人間も、
言われた方から見れば手前のルールを押し付けてくる分「異常だ」ってなるんですよね
「普通」「普通」「普通」・・・その言葉に囚われてしまうと、人間結局周りとアジャストするだけの、
人形的判断をせざるを得ない存在になっていくしかないような、、、という気もします。
この国に住んでいると、
どうも「周り」と「違う行動」を「取る」、それ自体が悪・・・というのは大袈裟かもしれませんが、
訝し気な目で見られがちな節があります 要はイレギュラーな存在を安易に排除したがりがちなのです
つまりは、“認め合う”“分かり合う”なんてのは所詮おとぎ話の出来事であって
実際にはそこかしこに火花が日常茶飯事に散らばりがちなんですね。
分からなければ分からないままでいい、
でも、そこで矯正を促したり
茶々入れて嘲笑うのは正直「違う」と思う
想像力の欠如、、、というか、みんながみんな「普通」という曖昧な範疇に囚われて生きてる訳じゃないんですよね
人それぞれに正義や本音があって、ただそれに従って生きている。それだけなんです。
ただ、かなえ自身が本当に幸福か・・・と言えばそれは違う
正直向き合えずに逃げている部分もかなり大きいんじゃないかと思います
みんながみんな正しく生きれるわけじゃない、
だけど、本当はみんな叶うならば正しく生きたいと思うんですよね
つまり、寛くんの告げた助言はある種の「強者の理屈」になっちゃってた訳です
あそこで告げるべき言葉はそんな圧を掛けるような言葉ではなかった、とは断言出来る
そりゃ、みんな出来るならば「あなたのように」生きてみたいはず
だけど、誰もが寛くんのように生きれるわけもないんですよね
それを理解した上で向き合わなければ行けなかった・・・んですが、
1話のカラーページから察するに寛くんとどーこーなりそうなので、挽回のチャンスは残ってるんでしょうね
ただ、その結果あの見開きのブラッディ模様に移行する、、、と考えると複雑なんですけど(笑
2話目の引きもまた不穏そうなんで、ドキドキしつつも3話目を待ちたいと思います。
人間は多かれ少なかれ、「誰かの何かになりたい」気持ちを持っているものだと感じます
或いは、ただの塵芥から、ただ一つの「何か」になりたい気持ちだって持っているはず
それがなきゃなんだかんだ人間は生きるモチベーションを無くしてしまうと思う
ただ飯食って排泄して寝て起きて仕事してのサイクルを繰り返すだけの「動物」なら良かったんですけど、
そうじゃないですからね。
残念ながら・・・ね。