18才でオーディオを始めて、「沢山の音楽を聴きたい」と願っていた。当時は社会人になってまもなくで、世の中の事も仕事も良く判っていなかった。そんな中でも「老後は音楽三昧」で過ごしたいと思っていた。
若い時に無理をし過ぎて身体を壊し田舎に帰って来た。この時に一度オーディオ機器を全て処分した。その後体調の復帰と共に再就職をして、またオーディオを復活させた。しかし、都会と地方では給与の格差が激しく、田舎で1カ月働いた給料が都会の1/3では何ともやりきれない。こんな給料では所帯を持つなど到底無理と判断し、結婚1年後に転職した。
食品関係の学校を出たので「食品関係の仕事」に延べ8年ほど就いていたが、給与には地域格差が有るが、業種間格差も大きい。思い切ってオーディオに近い業種と云う事で「電子部品」の会社に転職した。転職した当時は、給料の事しか気にならなかったが、仕事を認められて「技術職」になる頃には「仕事・仕事・仕事」の生活だった。5月の連休・夏休み・正月休みも返上の忙しい日が続いた。当時はバブルの時代に差し掛かっていた。経済的にも余裕が出来て当時の憧れのSP「JBL:#4343」を手に入れ、アンプもビクターのラボラトリーシリーズやマッキンC29・MC2500へとグレードアップを続けていた。
20才頃に欲しかった機器をほぼ揃える事ができたのは40才の頃。途中15年ほどは仕事に追われる毎日だったが、それでも風呂上がりの1時間は音楽を聴けて至福の時だった。
子供二人の大学卒業で50才頃には「自分のやりたい事」をしたいと思う様になっていた。「電子部品」の会社で25年務め、色々なスキルや考え方を学んで来た。20才当時、「60才」までにオーディオシステムを完成させて、後は「音楽を楽しむだけ」の様な事を考えていた。現実にその夢は実現できたと思う。しかし、「音楽は主食では無い」と云う事を最近は痛感している。他に仕事をしていて、その疲れをいやす為に音楽を聴く様なシチュエーションの方が、私の感覚に合っている。
この10年以上「音楽を主食」にして来たが、他に主食を探して「間食」で音楽を楽しんだ方が「音楽」の有難味が判ると思う。「音楽三昧」の日々も10年もすれば飽きて来ます。
若い時に無理をし過ぎて身体を壊し田舎に帰って来た。この時に一度オーディオ機器を全て処分した。その後体調の復帰と共に再就職をして、またオーディオを復活させた。しかし、都会と地方では給与の格差が激しく、田舎で1カ月働いた給料が都会の1/3では何ともやりきれない。こんな給料では所帯を持つなど到底無理と判断し、結婚1年後に転職した。
食品関係の学校を出たので「食品関係の仕事」に延べ8年ほど就いていたが、給与には地域格差が有るが、業種間格差も大きい。思い切ってオーディオに近い業種と云う事で「電子部品」の会社に転職した。転職した当時は、給料の事しか気にならなかったが、仕事を認められて「技術職」になる頃には「仕事・仕事・仕事」の生活だった。5月の連休・夏休み・正月休みも返上の忙しい日が続いた。当時はバブルの時代に差し掛かっていた。経済的にも余裕が出来て当時の憧れのSP「JBL:#4343」を手に入れ、アンプもビクターのラボラトリーシリーズやマッキンC29・MC2500へとグレードアップを続けていた。
20才頃に欲しかった機器をほぼ揃える事ができたのは40才の頃。途中15年ほどは仕事に追われる毎日だったが、それでも風呂上がりの1時間は音楽を聴けて至福の時だった。
子供二人の大学卒業で50才頃には「自分のやりたい事」をしたいと思う様になっていた。「電子部品」の会社で25年務め、色々なスキルや考え方を学んで来た。20才当時、「60才」までにオーディオシステムを完成させて、後は「音楽を楽しむだけ」の様な事を考えていた。現実にその夢は実現できたと思う。しかし、「音楽は主食では無い」と云う事を最近は痛感している。他に仕事をしていて、その疲れをいやす為に音楽を聴く様なシチュエーションの方が、私の感覚に合っている。
この10年以上「音楽を主食」にして来たが、他に主食を探して「間食」で音楽を楽しんだ方が「音楽」の有難味が判ると思う。「音楽三昧」の日々も10年もすれば飽きて来ます。