昨夜はKさん宅での「同級会の練習会」。小学校、中学校の同級生、少人数の面白い取り合わせで、かなり長く続いている会だ。普段はホテルや旅館が多いが、主婦が旦那を放ったらかして年末の温泉行は難しいということで、今回はこういうことになった。
山奥氏と別れ芝平から帰ってきたら、Mがたくさんの野菜を持ってきてくれた。とても一人では食べきれないような量を横目に、炬燵に当たり二人で話し込んでいたら、練習会に参加するMCMから電話。酒類は各自が好きな物を持ち込でむことになっていたので、とりあえずそのMCMにビール半ダースを買ってきてくれるよう頼んで、Kさん宅へはMに送ってもらった。
イヤー、まいった。料理は出来あいで会費制の話だったが、MCMは事前に比内鶏とほうとうの豪華な鍋料理や、超の付く高級ミカンなども手配済みだった。経済力の差は日本と中央アフリカ以上とはいえ、彼のいつもの気配りには感服、他の人たちも多数の手料理を持ち込んでいた。
それにひきかえ、当方は文字通りの手ぶら、あまりの不覚、恐縮した。それでも会はいつものように豪華で愉しく、話題はまたしても時空を超えて尽きなかった。
宴が終わり、乗せてきてもらったEさんの車から降りると、冬の夜風が身に沁みた。「花を買いきて妻と親しむ」こともできぬ身、しばしHALと戯れた。
昨日の芝平からの帰り、水量のすっかり落ちた山室川を眺めながら、台風19号とその後の大雨が残した爪痕の深さに改めて気付かされた。大水で川底がかなり深く掘られた所や、石積みの堤防が激流によってえぐられた場所が、あの時の豪雨の凄まじさを見せつけていた。川床が下がれば大水の心配が減るかと言えば、必ずしもそうではない。奔流は弱い所をえぐるように流れ、あれ以上削られたら土手の崩落にまで繋がってしまう。それに、川の中にゴロゴロと残る大きな岩が、再び大水が出た時、どういう動きをするのか予想もできない。
昭和36年(1961)伊那谷に大被害をもたらした大雨、通称「三六災害」は、芝平を廃村にまで至らしめた。その後、災害の元凶となった山室川は改修工事が進められたようだが、あれから50年以上が過ぎ、最近は地盤の弱い所で地滑りなども起きている。さらには某宗教団体の農場だった場所に、最近ソーラー発電所建設の話が持ち上がり、その影響がどうなるかと、今では少なくなった住民の不安を煽っている。
今週末、そして28日から年始にかけても上に行く予定。車で行ける間は、かんとさん1名でも受けなければならないし、撮影の下見もある。
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