入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「冬ごもり」 (28)

2019年12月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 このUme氏のPH、わが時代遅れの山小屋の雰囲気を余すことなく伝えてくれている。撮影日は昨日、高遠の街中にも降雪があり、氏はそれで入笠へ今冬初の本格的な雪の景色を期待して上がったというわけ。長年、入笠の自然を撮影対象にしてきた氏らしい。
 
 返信には「このPHでも今冬訪れる人がなかったら、冬期の営業は止めます」と書いた。これは本気。
 ただし2,3日前にも呟いたことだが、この独り言を読んでくれている数多くの読者が、冬季営業は馴染の人ばかりを対象にしているのではないかと、そのように誤解されているふしがあると最近知った。もちろん、そんなことはなくて、どなたでも利用していただきたい。
 それともう一つ、「酒と美味い物を持って」ということにも一言。これはあくまでも、愉しい冬の山の夜を過ごしてほしいという思いだけで、即席の食料であれ何であれそれは本人次第、もちろん酒を飲まない人には一滴でも余計な物。
 大した山行でなくても冬期ともなれば、それでも食料は切り詰めたし、行動食などは1食いっしょくを計量した。とてもここで披露できるような食糧計画ではなかったが、サラミ1片、レーズンひと粒が身体に吸収されるのを実感したものだ。しかし入笠は、そこまですることはない。それよりむしろ、冬の静かな山や小屋を楽しんでください、という思いで言ったこと、ご理解いただきたい。
 それと、当山小屋は管理上の理由から、飲食に関するものは頑なまでに販売してこなかった。ないわけではないが(笑)、小屋にある乏しい酒類は、食料に負けず劣らず大変に貴重。もしそれを当てにされ、在庫が切れてしまったら・・・、もう、塩の切れてしまった牛や鹿のようになってしまう。それで、つい、あんな言い方をしてしまったという次第、悪しからず。
 
 ここは1千700メートルの山小屋で、原則飲食の提供はないし、ホテルや旅館並みのことまではできない。水汲みもある。しかしそれでも、山小屋としての任には充分に応えていると思っている。他所にはない利点だっていろいろとある。願わくば、こんな素朴な山小屋だから行ってみたいと、そう思う人がいてほしい。
 冬季営業の意義は来てくれた人の満足感と笑顔。それだけだし、それがなければやらない。

 今年度の「冬季営業」の詳細については、下線部をクリックしてご覧ください。
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     「冬ごもり」 (27)

2019年12月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                               Photo by Ume氏

   「2019/12/22 10:23:50 ebinademaru
   かんとさんの星空写真を早く見たいです。」
 かんとさん、こういう通信が海老名出丸さんから来ています。
 
 一昨夜の星空、かんとさんによれば、30分ぐらいで雲に覆われてしまったとか。ともかく、海老名出丸さんばかりでなく、「無窮の遠(おち)」を再現してくれるだろう写真に期待したい。また今週末から上に行きそのまま年を越すことになるが、今度も冬の天の川や煌めく星座を仰ぎ見ながら、過ぎていく1年を振り返る機会にしたいと思う。

 昨夜は雪の予報だった。夜中に外へ出てみたら、部屋から漏れた光の中に雨に混ざって白い物が見えた。それでも気温が予報されているほど下がっていなかったから雪にはなるまいと思いながら寝た。ここからでは様子は分からないが、上はどうだったのだろう。
 外に出てみたら、意外にも西山は麓まで雪だった。標高で言えばわずか100メートルくらいの差で、それよりか上部は雪だったとは。ちょうど経ヶ岳の中腹に残る雲が薄れていくところで、昨夜の降雪がそれなりのものだったことを知らせていた。
 裏手の萱野高原も麓の集落くらいまでは雪だったようだから、当然、われらが入笠も今行けば銀世界が待っているはずだ。それで、弩日陰の曲がりや初の沢の大曲がりばかりでなく、日陰の山道はもう雪は融けずに、根雪になってしまうだろう。喜び半分、困惑半分、いや、後者の方が大きい、といったところが正直な気持ちだ。
 実は昨秋、川の中を重い丸太を担いで歩いている際に、右足を痛めた。どうも筋のようだ。歩くにはそれほどの支障はないが、以来深く折り曲げたり、立ち上がろうとすると痛みを伴う。大分日が経つのに治る様子がないから、諦めている。これからも、スノーシューズや山スキーで入笠へ行くことは可能だと思っているが(そうでなかったら問題だ)、もう簡単なゲレンデでも、スキーは無理かも知れない。ムー。

 冬の入笠も結構人気があるが、牧場の山小屋までは訪れる人が少ない。今冬は思い切ってどうですか。
 今年度の「冬季営業」の詳細については、下線部をクリックしてご覧ください。
 
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     「冬ごもり」 (26)

2019年12月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 今朝8時の気温はマイナス6度、曇天。取水場へ水を汲みに行ったら、充分過ぎるほどの水が流れ出ていて、たったそれだけのことで安堵、満足する。水道の水をいつでも自由に使える人からすれば、さながら、洞穴の住人のようなものだ。
 1週間前にここへ来て、気温は同じくマイナス6度だったのに、土鍋と小鉢2個を洗うことにも寒さにふるえたと呟いていた。ところがきょうは「寒さは大したことない」と、呟くつもりだった。その時々の気分も影響して「寒かったり」、「大したことなかった」りするのだろう。繰り返すが、この程度の寒さは、許容の範囲だ。

 昨夜かんとさんと話し込んでいて、夜も更けたから寝ようということになった。ところが外に出たら、驚いたことに諦めていた夜空に、いつの間にか無数の凍れる星々が煌き、中天よりか少し西の位置にはオリオン座を中心にして「冬の大三角形」、さらに「冬のダイヤモンド」や、プレアデス星団が見えているではないか。「冬の天の川が見える」とかんとさんが言った。薄っすらと赤い帯状の星の川が見えたから、急いで愛用のカールツアイスを部屋へ取りに戻った。
 かんとさん、先程までの眠気は嘘のように消えたらしく、三脚にカメラを取り付け、10秒、15秒の露光、さらに感度を変えてと撮影に一念没頭。もうそうなれば寒さなど意に介さないらしく、少し風が吹いたりすると却って、それで夜空がさらに澄むのだと喜んでいた。本当に星空が好きなんだ、感服。

 撮影の下見も感触は悪くなかった。これもかなり大きな仕事になりそうで、決まれば撮影は来年の夏を過ぎてからになるだろう。映画はCMと違って、時間がかかる。この間の夏の間に撮影した映画も、公開は来年の冬ぐらいになるらしい。

 この独り言を読んで、ここの山小屋は、もしかしてお馴染みさんしか対象にしないのかと思われたら、それは全く違います。どうか普通の山小屋と考えていただきたい。越年営業も、まだ多少余裕があります。
 K山君、了解しました。今回も冬の法華道を歩くと知れば、北原のお師匠が大いに喜ぶことと思います。

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     「冬ごもり」 (25)

2019年12月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 昨日上に行ったUme氏の話によれば、雪はおろか、初の沢では当然目にするはずの氷結すら期待外れだったという。きょうの氏の写真が語るように、白樺やダケカンバの樹幹ばかりが目立つ色彩の乏しい、侘しい風景だったようだ。これで、少し雪でもあれば、また印象も変わるのだろうが、つい「暖冬」などという言葉が浮んできた。
 で、昨年のこの時季はどうだったかと、一年前のこの呟きを聞いてみた。相も変わらずあれこれと独り言ちてはいるものの、昨年もそれほど雪はなかった。12月の頭にCM撮影があり、それが終わってからは、山奥氏と露天風呂の土台にするクリの木を製材屋に持ち込んだり、ウン十万円もする座卓を小屋へ運んだりして、なかなか入笠ばかりか山奥氏とも縁が切れずにいる。
 それで、降雪があったことも思い出した。300キロもありそうな座卓を小屋まで運んだはいいが、さてそれをどうやって中に入れるかと二人して途方に暮れていた時に、雪が激しく降ってきた。そしてたちまち周囲を白い世界に変えた。しかし、その時の雪も根雪というまでには至らなかったのは、その後の写真の様子から分かる。
 結局、入笠が雪化粧に変わったのは暮れも押し迫ってからで、それは、新年が明けて1時間もしないうちに、某氏が機嫌をそこね山を下りかけ、側溝に車を落としエライ目にあったことをしっかりと覚えているからだ。今も思い出すだに笑う。

 越年、もしくは正月の三か日に入笠へ行かなかったことは過去13年間で一度もない。歩いていったこともあったかも知れないが、ほとんどの場合、車で行ってる。雪が深くなってそれができなくなるのはやはり1月半ばぐらいからだろう。
 それにしても、一昨年まではいくらここで越年営業を叫び、吠えても、いつも寒い孤独で、貧相な年越しばかりだった。それがようやく、チラホラとだが人が来てくれるようになった。しかも、昨年に引き続きというのが嬉しいではないか。28日から2泊で3人家族もやってくる。越年には新人もいれば、二人連れだって来る。感涙。
「奇人」だとか、「原人」だとか言われているのは知っている。独りよがりだとも。結構だ。それが時代遅れの山男にとっての、失いかけた矜持だろう。山奥氏もそうだが、冬期はあくまで個人の自発的な行いである。

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     「冬ごもり」 (24)

2019年12月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜はKさん宅での「同級会の練習会」。小学校、中学校の同級生、少人数の面白い取り合わせで、かなり長く続いている会だ。普段はホテルや旅館が多いが、主婦が旦那を放ったらかして年末の温泉行は難しいということで、今回はこういうことになった。
 山奥氏と別れ芝平から帰ってきたら、Mがたくさんの野菜を持ってきてくれた。とても一人では食べきれないような量を横目に、炬燵に当たり二人で話し込んでいたら、練習会に参加するMCMから電話。酒類は各自が好きな物を持ち込でむことになっていたので、とりあえずそのMCMにビール半ダースを買ってきてくれるよう頼んで、Kさん宅へはMに送ってもらった。
 イヤー、まいった。料理は出来あいで会費制の話だったが、MCMは事前に比内鶏とほうとうの豪華な鍋料理や、超の付く高級ミカンなども手配済みだった。経済力の差は日本と中央アフリカ以上とはいえ、彼のいつもの気配りには感服、他の人たちも多数の手料理を持ち込んでいた。
 それにひきかえ、当方は文字通りの手ぶら、あまりの不覚、恐縮した。それでも会はいつものように豪華で愉しく、話題はまたしても時空を超えて尽きなかった。
 宴が終わり、乗せてきてもらったEさんの車から降りると、冬の夜風が身に沁みた。「花を買いきて妻と親しむ」こともできぬ身、しばしHALと戯れた。

 昨日の芝平からの帰り、水量のすっかり落ちた山室川を眺めながら、台風19号とその後の大雨が残した爪痕の深さに改めて気付かされた。大水で川底がかなり深く掘られた所や、石積みの堤防が激流によってえぐられた場所が、あの時の豪雨の凄まじさを見せつけていた。川床が下がれば大水の心配が減るかと言えば、必ずしもそうではない。奔流は弱い所をえぐるように流れ、あれ以上削られたら土手の崩落にまで繋がってしまう。それに、川の中にゴロゴロと残る大きな岩が、再び大水が出た時、どういう動きをするのか予想もできない。
 昭和36年(1961)伊那谷に大被害をもたらした大雨、通称「三六災害」は、芝平を廃村にまで至らしめた。その後、災害の元凶となった山室川は改修工事が進められたようだが、あれから50年以上が過ぎ、最近は地盤の弱い所で地滑りなども起きている。さらには某宗教団体の農場だった場所に、最近ソーラー発電所建設の話が持ち上がり、その影響がどうなるかと、今では少なくなった住民の不安を煽っている。

 今週末、そして28日から年始にかけても上に行く予定。車で行ける間は、かんとさん1名でも受けなければならないし、撮影の下見もある。

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