日々

穏やかな日々を

今日も無事

2011年03月21日 23時58分34秒 | 私自身や健康
今日も無事に済んだでしょうか?
一日中孫二人と遊んで別世界におりました。

レンギョウが黄色い蕾を大きくしていっています。
雪柳はどうでしょうか?

今年はチューリップはなしです。

春が近づいています。

フリージアはどうかな?

ラッパ水仙は花盛り
今年はことのほか多くの花をつけました。

もうすぐ春
もうすぐ桜
もうすぐ来る

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すっごいね~ 避難所いま 誇り高く前へ

2011年03月21日 00時49分13秒 | 
 避難所いま 誇り高く前へ 甘え捨て自立
河北新報 3月20日(日)6時13分配信

 避難者たちは今、ひとつの同じ箱舟に乗り組んでいる。助け合い、分かち合わなければ、この事態は乗り切れないと、誰もが感じ始めている。混沌(こんとん)としていた避難所にも、少しずつ秩序が芽生えてきた。築き上げてきた共同体は、確かに消え去った。ならば、最初からつくり直そう。決して容易な道ではないけれど。わたしたち一人一人が、試されている。

 午前6時半、避難所にラジオ体操のリズムが流れる。「これから体操を始めます。終わったら、みんなで掃除をしましょう」
 約500人の集団生活が始まった宮城県南三陸町の歌津中。大半が伊里前地区で暮らしていた隣近所の顔なじみだ。

 体育館の中を震災前の伊里前地区に見立て、20区画に分けた。区画整理で「大通り」もできた。これで夜間にトイレへ行くときの気兼ねも解消された。
 「確かに私たちは被災者なんだけど、行政におんぶに抱っこでは、お客さまになってしまう。受け身の生活をしていては前に進めない」
 リーダーの及川久弘行政区長(63)は「避難者の誇り」を重視する。
 食事や救援物資の運び込みも、班を編成して分担を決めた。

 少しずつ築かれていく「自治」。避難所の「お世話係」だった町職員は最近、体育館から別室に引っ越した。
 南三陸町の志津川高では、避難者の代表を務める佐々木光之さん(49)が、みんなを集めた。寝起きしている高校から「避難者のトイレの使い方が汚い。何とかしてくれ」と、苦情が舞い込んでいた。

 反発されるのを覚悟で佐々木さんは「悪気はないけれど、エゴがむき出しになることもある。人を傷つけてしまうこともある。私自身もそう。でも、守るべきルールはあるはずだ」と訴えた。
 翌日、トイレはすっかりきれいになっていた。

 提供を受けていた食事も、避難者で炊き出しを始めた。食事を配給している人も同じ被災者だったことに思いが至ったとき、「甘えは自重すべきだ」と、みんなが気付いた。

 1500人が身を寄せる巨大避難所の南三陸町総合体育館も、嵐のような1週間を乗り切った。
 知らない者同士のいざこざもあったが、ようやく避難者の班編成を終え、情報収集、救護など4部門の「避難所お世話隊」を結成した。
 大所帯を束ねるリーダーの会社員佐藤宏さん(38)は「町職員に頼らない自己完結の避難所」を目指す。「被災者なんだけど、やってもらって当たり前という考え方ではいけない。それでは復興への一歩は踏み出せない」と考えている。
 再生への歩み、避難所でもう始まっていた。

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涙が出ちゃったよ

2011年03月21日 00時40分54秒 | 地域
涙が出ちゃったよ

東日本大震災:ヨーグルトでしのぎ 9日ぶり生還の2人

地震で倒壊した家屋から助け出され、救助隊員の手を握る阿部寿美さん=宮城県石巻市で2011年3月20日午後4時55分、森田剛史撮影 孫は動けない祖母を守り続け、9日間耐え抜いた。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市で20日、217時間ぶりに救出された高校1年、阿部任(じん)さん(16)と祖母寿美(すみ)さん(80)。2人は倒壊した自宅の冷蔵庫にあった水やヨーグルトなどを口にして助けを待った。救助された時、寿美さんは救急隊員の励ましに何度もうなずき、「孫はどこ?」と任さんを気遣った。助け出した警察官らの泥まみれの顔に涙が伝った。【大場弘行、前谷宏】

 旧北上川の河口から数百メートルの石巻市門脇町。救出の現場に記者2人は居合わせた。

 ◇がれきの中「助けて」
 津波に襲われたこの一帯で救助活動中だった県警石巻署員が、「助けて」という少年の声を聞いたのは午後4時ごろ。がれきをよじ登り、板を引きはがしながら奧に進むと、倒壊した家の屋根に乗った少年が「うちの中にばあちゃんがいます。助けてください」と叫んだ。ジャージーの上下にバスタオルを数枚巻いただけ。靴もはいていない。任さんだった。

 署員がさらに進むと、倒れたクローゼットの上に布団にくるまった寿美さんがいた。署員と目が合うと、「よかった」と涙を流し、「足が悪くて動けない」と訴えたという。

 地元の消防隊員のほか、新潟県の隊員らも駆け付ける。上空には救出に備え鹿児島県警のヘリが舞う。

 ◇「ここ、外ですか」
 約1時間後、寿美さんが担架で運ばれて出てきた。隊員たちが「頑張れ」と声をかける。ヘリでの搬送のため毛布が取られると、寿美さんはまぶしそうに「ここ、外ですか」。黒いジャンパーを着ていたが、足は素足で青白い。消防隊員が「地震からずっとおうちにいたの」と聞くと、「はい」と答えた。

 健康状態などを確認する隊員に、寿美さんは「孫はどこさいる?」と自宅の方向を見やった。隊員に抱きかかえられながらロープでヘリに引き上げられる時、放心状態の任さんも救出された。ヘリを見上げる地元の消防隊員(38)は涙ぐみながら「よかった」と何度もうなずいた。

 地震の際、2人は2階の台所で食事中だったという。救出時、そばにはパンや冷凍たこ焼き、焼きのりなどの袋もあった。おばあちゃん子の任さんは、動けない寿美さんのために隣室から毛布を運び、励まし続けた。任さんは「がれきに閉じこめられていたけど、余震が落ち着き、今日ようやく外に出られた」と署員らに話したという。同署は屋根裏に通じるすき間から体を入れ、屋根を突き破って外に出たとみている。任さんは、署員が差し出したお菓子をおいしそうに食べたという。

 ◇父「信じていた」
 救助された阿部任さんの父明さん(57)が20日夜、次男任さんと寿美さんが搬送された石巻赤十字病院で記者会見。「一報を聞いた時に救われる思いがした。絶対に生きていると信じていた。本当にありがとうございました」と頭をさげた。祖母を励まし続けた任さんに「よく頑張った」とねぎらいの言葉をかけたという。

 明さんによると、地震翌日の12日朝9時、いったん寿美さんの携帯電話につながり、任さんが出て「家は全部つぶれたけど、今台所にいる」と話した。しかし、家があった場所には家屋がなく、母、兄、叔母が捜索していたという。2人は家ごと津波に流されたとみられる。

 一方、安否不明者が多数いることに触れ、「私たちだけこんな幸せを味わうことを申し訳なく思う。何か役立つことをしようと家族で話し合いたい」と話した。

 会見に同席した石巻日赤の小林道生・救急救命センター副センター長によると、寿美さんは軽い脱水症状で、任さんも左足にはれがあるが、2人とも他に目立った症状はなく元気という。小林副センター長は2人の生還について「奇跡的に冷蔵庫や台所に近いところに閉じ込められ、水と食料があったことや、体がぬれなかったことがよかった」と話した。【比嘉洋】


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WHOは恐れる必要はないと・・

2011年03月21日 00時29分24秒 | 地域
福島第1原発:日本への渡航制限「必要なし」 WHO
 【ジュネーブ伊藤智永】世界保健機関(WHO)は18日、福島第1原発の放射能漏れ事故に関連し、原発から半径30キロ圏内を除けば、現時点で東京都内を含め日本への渡航を制限する必要はないとの見解を公表した。東京からの「避難」や、日本から輸出された食品への「警戒」も不要だと指摘した。WHOはインターネットのホームページに「渡航制限勧告」とは反対の「渡航安全勧告」を掲載する予定だ。

 国連欧州本部で記者会見したハートル広報官は、東京周辺で検出された放射線の数値が微増したとはいえ「健康に悪影響を及ぼすには程遠いレベルだ」と強調。「日本に旅行する人は放射線を恐れる理由はない」と述べた。

 一部の外国大使館や外国人などが東京から西へ「避難」している対応については「感情的な問題だ。それぞれの危機対応なので、気持ちは理解はできるが、現時点で公衆衛生上、東京に滞在するのに健康への危険は低い」と指摘した。

 日本の食品に関しては、被災地域の食品も含めて「震災以前の食品には危険はない。被災後は、気候や被災地の状況を考えると、被災地の食品が輸出されたという可能性はほとんどない」と述べた。

 また、「放射能汚染用」との触れ込みで、海外でもヨウ素剤を大量購入する現象が起きているが、自己治療はかえって危険だと警告した。


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島根県へ避難

2011年03月21日 00時24分31秒 | 地域
島根県へ避難
東日本大震災:島根県へ避難の被災者世帯に30万円
 島根県は19日、県内に避難してきた東日本大震災の被災者に、当面の生活資金として1世帯当たり30万円程度を支給すると発表した。単身者は半額となる。県によると、被災者を受け入れることができる住宅は、公営住宅など675戸あり、ここに入居した世帯に支給を想定している。支給方法は検討中。県の相談窓口はしまね暮らし推進室(0852・22・5065)。


我が親友も神戸地震からの方あり

どうか、島根での再出発が、
悲しみを少しでも癒され行かれる日々でありますように
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生き行く力

2011年03月21日 00時10分18秒 | 
2歳の子が「流し」をしてくれるんです。

驚きです。

その後、自分の洗った布巾で遊んでいます。

テーブルもぴかぴかにしてくれました。

そんな、家族のひと時の幸せも、
貴重なものと・・・・・・・・・・

パソコンの電源を切ろうとテレビが言ってます。

この世の電気の無駄は、、、、、

道路の街灯にもありとまた思ってしまう。
建物を照らす電気・・・・・・・・・・・・
商店街の奥様に申しました。
お店で管理する方ではないにしても、
市民の声として
幹部の方に伝えたくて、
田舎の街をどこまで照らすか・・・・・・

我が家の電気もぱちぱち娘が消して歩くので
目の悪い婆はちょっと困ることも・・・・

放射能の危険はやはり不明瞭
それも、人間の力を出しきった結果なら
致し方ないかもと


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