避難所いま 誇り高く前へ 甘え捨て自立
河北新報 3月20日(日)6時13分配信
避難者たちは今、ひとつの同じ箱舟に乗り組んでいる。助け合い、分かち合わなければ、この事態は乗り切れないと、誰もが感じ始めている。混沌(こんとん)としていた避難所にも、少しずつ秩序が芽生えてきた。築き上げてきた共同体は、確かに消え去った。ならば、最初からつくり直そう。決して容易な道ではないけれど。わたしたち一人一人が、試されている。
午前6時半、避難所にラジオ体操のリズムが流れる。「これから体操を始めます。終わったら、みんなで掃除をしましょう」
約500人の集団生活が始まった宮城県南三陸町の歌津中。大半が伊里前地区で暮らしていた隣近所の顔なじみだ。
体育館の中を震災前の伊里前地区に見立て、20区画に分けた。区画整理で「大通り」もできた。これで夜間にトイレへ行くときの気兼ねも解消された。
「確かに私たちは被災者なんだけど、行政におんぶに抱っこでは、お客さまになってしまう。受け身の生活をしていては前に進めない」
リーダーの及川久弘行政区長(63)は「避難者の誇り」を重視する。
食事や救援物資の運び込みも、班を編成して分担を決めた。
少しずつ築かれていく「自治」。避難所の「お世話係」だった町職員は最近、体育館から別室に引っ越した。
南三陸町の志津川高では、避難者の代表を務める佐々木光之さん(49)が、みんなを集めた。寝起きしている高校から「避難者のトイレの使い方が汚い。何とかしてくれ」と、苦情が舞い込んでいた。
反発されるのを覚悟で佐々木さんは「悪気はないけれど、エゴがむき出しになることもある。人を傷つけてしまうこともある。私自身もそう。でも、守るべきルールはあるはずだ」と訴えた。
翌日、トイレはすっかりきれいになっていた。
提供を受けていた食事も、避難者で炊き出しを始めた。食事を配給している人も同じ被災者だったことに思いが至ったとき、「甘えは自重すべきだ」と、みんなが気付いた。
1500人が身を寄せる巨大避難所の南三陸町総合体育館も、嵐のような1週間を乗り切った。
知らない者同士のいざこざもあったが、ようやく避難者の班編成を終え、情報収集、救護など4部門の「避難所お世話隊」を結成した。
大所帯を束ねるリーダーの会社員佐藤宏さん(38)は「町職員に頼らない自己完結の避難所」を目指す。「被災者なんだけど、やってもらって当たり前という考え方ではいけない。それでは復興への一歩は踏み出せない」と考えている。
再生への歩み、避難所でもう始まっていた。