<赤倉温泉で立寄り湯>
(惜しい。ほんのちょっと、早かったか・・・)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/9c/952c6d017cb0cb21862828c6cea08cf3.jpg)
目的地の糸魚川に向かうまで時間の余裕があったので、赤倉温泉に寄ることにした。一度入ったことのある、巨岩で囲まれた野趣満点の野天風呂「滝の湯」に入りたかったのだが、営業は四月中旬つまり一週間後からだったのだ。
このまま戻るのも癪である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/e8/9c9c3f2c003f4da03a944f517be2f155.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/36/056ab74f022a9143fefed38a2a42e972.jpg)
ならばと、坂道の途中にあった赤倉ホテルで立寄り湯をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/6d/e0be17b7528cb7154f75c0cfc2740c89.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c8/3b2706609ef9b00c544688a730e7d835.jpg)
広い地下通路を抜けて階段を登ると、大浴場「有縁之湯」の金看板の前に出た。看板の下は妙高が描かれた大きな陶壁である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/5b/bea993ded22dc82f48725ab2d727f2f2.jpg)
まずは内風呂からだ。掛け湯をたっぷりして、ゆっくり身を沈めていく。
熱めの好みの湯加減である。やっぱり寄って良かったと思う。掛け流しの温泉で、湯が大量に落ちているあたりには湯の花が舞っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/99/2c58ee5e8242ba6ffe6f8f56831ce8f4.jpg)
赤倉温泉の始まりだが、親鸞聖人が越後国府(現在の上越市)に流罪になり五智国分寺に封じられた時、妙高山<当時は須弥山(しゅみせん=仏教語で世界の中央に位置する霊山の意味=と云われた)>に登り、下山の途中、谷あいで野獣が湯浴みする姿を見つけ、霊泉を知りこれを里人に伝えたという。
「風の彩」と呼ばれる露天風呂。洒落た名前だと感心する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f3/b0ee1e6ad4cb4896e8b406d6d9c484fc.jpg)
男の露天風呂なので囲いが雑で、なんとなく周囲から丸見えのような気がする。
赤倉温泉の泉質は硫酸塩・炭酸水素塩泉である。外傷に効き目があり、かの上杉謙信も兵隊たちの治療に赤倉温泉を使ったという。漂白力もあり美肌を保つ美人の湯としても親しまれている。
明治、大正期を通じて尾崎紅葉、岡倉天心、与謝野晶子ら多くの文人墨客も赤倉を訪れ、尾崎は自著の「煙霞療養」で赤倉を絶賛し、岡倉はこの地につくった別荘で永眠した。
「風雪の湯」と名付けられた狭い混浴露天風呂があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/8f/0cf010750de8d4c9168e272532d32354.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/e1/f941b3bf85bafef3331cf6bcb60ea3bf.jpg)
注意書きにある「凍死にご注意下さい」には、けっこう笑えた。
ところで、このホテルのロビーに、腰が抜けるほどでかい仏壇があって驚いた。
親鸞聖人が国府から信州戸隠へ参詣の途中、袈裟を掛けたとされる松が妙高高原にあり、現在の松は三代目だそうだ。その初代の松をこの赤倉ホテルが頂戴して、親鸞聖人の木造を彫って安置しているそうだ。
聞けばなるほどと安心したが、なんかどこかの宗教団体専用のヤバい宿かと思ってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/32/cddee8d3f553f7df6840d8525b5e12e9.jpg)
さて、そろそろ笹倉温泉に向かうとするか。
→「燕温泉」の記事はこちら
→「妙高山、雪景色」の記事はこちら
→「笹倉温泉」の記事はこちら
(惜しい。ほんのちょっと、早かったか・・・)
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目的地の糸魚川に向かうまで時間の余裕があったので、赤倉温泉に寄ることにした。一度入ったことのある、巨岩で囲まれた野趣満点の野天風呂「滝の湯」に入りたかったのだが、営業は四月中旬つまり一週間後からだったのだ。
このまま戻るのも癪である。
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ならばと、坂道の途中にあった赤倉ホテルで立寄り湯をする。
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広い地下通路を抜けて階段を登ると、大浴場「有縁之湯」の金看板の前に出た。看板の下は妙高が描かれた大きな陶壁である。
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まずは内風呂からだ。掛け湯をたっぷりして、ゆっくり身を沈めていく。
熱めの好みの湯加減である。やっぱり寄って良かったと思う。掛け流しの温泉で、湯が大量に落ちているあたりには湯の花が舞っていた。
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赤倉温泉の始まりだが、親鸞聖人が越後国府(現在の上越市)に流罪になり五智国分寺に封じられた時、妙高山<当時は須弥山(しゅみせん=仏教語で世界の中央に位置する霊山の意味=と云われた)>に登り、下山の途中、谷あいで野獣が湯浴みする姿を見つけ、霊泉を知りこれを里人に伝えたという。
「風の彩」と呼ばれる露天風呂。洒落た名前だと感心する。
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男の露天風呂なので囲いが雑で、なんとなく周囲から丸見えのような気がする。
赤倉温泉の泉質は硫酸塩・炭酸水素塩泉である。外傷に効き目があり、かの上杉謙信も兵隊たちの治療に赤倉温泉を使ったという。漂白力もあり美肌を保つ美人の湯としても親しまれている。
明治、大正期を通じて尾崎紅葉、岡倉天心、与謝野晶子ら多くの文人墨客も赤倉を訪れ、尾崎は自著の「煙霞療養」で赤倉を絶賛し、岡倉はこの地につくった別荘で永眠した。
「風雪の湯」と名付けられた狭い混浴露天風呂があった。
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注意書きにある「凍死にご注意下さい」には、けっこう笑えた。
ところで、このホテルのロビーに、腰が抜けるほどでかい仏壇があって驚いた。
親鸞聖人が国府から信州戸隠へ参詣の途中、袈裟を掛けたとされる松が妙高高原にあり、現在の松は三代目だそうだ。その初代の松をこの赤倉ホテルが頂戴して、親鸞聖人の木造を彫って安置しているそうだ。
聞けばなるほどと安心したが、なんかどこかの宗教団体専用のヤバい宿かと思ってしまった。
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さて、そろそろ笹倉温泉に向かうとするか。
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