温泉クンの旅日記

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合言葉

2006-12-13 | 旅エッセイ
  < 合言葉 >

 ここのところ肩と背中がぱんぱんに張って、重い鉛の甲羅を背負って歩いている
ような感じだ。それも日々、だんだん厚く、重くなる。市販の塗り薬でごまかして
いるうちに、よじれた凝りがついに鈍い痛みに変りどうにも我慢の限界をこした。

 先だっての人間ドックで肝臓の機能が壊滅的に悪化していると喝破され、以来、
改心して禁酒を断行して二週間後、近所の病院で恐る恐る検査を受けたところ、
なんと一年前の機能までとりあえず回復した。だから、この肩と背中の凝りが肝臓
からきているのではないか、といういやな不安も一応なくなった。

 だから、マッサージにいってすこし楽になろう、と思う。
 温泉はさておき、である。さておきではあるが、あるにこしたことはまったくな
い。ぜんぜん「温泉ケ」のないのも、らしくないし寂しい。

 ネット検索でいくつか候補を探し出し、二股温泉の名前をつけた風呂がある江戸
川区船堀にある「東京健康ランド」に決めた。合言葉で五百五十円もの料金割引が
あるのも、なかなか面白い。ここは創業十九年と健康ランド界でもかなりの老舗で
ある。
 
 二股温泉とは、北海道の長万部から車で三十分ぐらいの山中にある一件宿で
「二週間以上湯治してよくならなかったら料金は返します」というようなことを、
宿にもパンフレットにも宣言しているほどそのラジウム泉の効能は抜群らしい。
 わたしも何年か前に行ったことがあり、いずれどこか具合が悪くなったときに
お世話になってみるかと思ったものだ。たしか山形県にある碁点温泉のスパ施設に
も風呂のひとつとして二股温泉のラジウム泉が取り入れられていた。それぐらい
すこぶる評判がいい温泉だ。
 二股温泉とマッサージ、これは効きそうである。



「お待たせいたしました、次の方どうぞ」
 受付の女性が列をつくっている客をてきぱきとさばき、ついにわたしの番になっ
た。
「あのう・・・割引があるってインターネットで見たのですが」
 カウンターに下足ロッカーのキーを載せながらグィっと身を乗りだし、小声で
そうお伺いをたてた。
「あ、はい。では合言葉をお願いします」
 
 うむ。
 わたしは鷹揚に頷きながら後ろの客に「盗み聞きするんじゃねえぞ」のするどい
一瞥を送り、握った手を口に当て「コホン」と咳払いをすると、そのまま手を開い
て口元を隠しながら伏し目がちにボソボソ言った。
「・・・浮かれ気分で・・・帰路につく」
 
 合言葉は「とうきょうけんこうらんど」のそれぞれの頭文字をつけた短い文句
とか文章になっている。今日の合言葉は「う」で始まるものだ。ちなみに「と」は
「東京砂漠のど真ん中」、「ど」は「ドーンと気分も身体もリフレッシュ」であ
る。
 それにしても、なんとも能天気な合言葉である。
 言い終わった瞬間、自分の顔が赤くなるのがわかる。
「はーい結構です。では割り引いて、千と・・・円になります」
 
 檜風呂、露天風呂、薬湯風呂と、いずれもプール臭い湯にそれぞれ一回はいり、
あいだと仕上げに二股温泉の湯の花をほんの多少いれたらしい風呂を二回はいる
と、派手な花柄アロハに着替えマッサージ室のある二階にあがった。

 人間の身体は楽器に似ている。楽器でも管楽器とか打楽器というより、どちらか
と言えば弦楽器、が近い。ま、打楽器みたいな頑丈なヤツもいるが、わたしはわり
と繊細な弦楽器なのだ。それも使われている弦の数がやたら多いやつで、すべてを
満遍なくうまく使わないと隣の弦とすぐよれたり、べろんべろんにゆるんだり
ピーんと張りすぎたり、錆ついたりする弦ができる。それなりの音を奏でている
うちは自分でも調整が可能だが、いくつかの音が外れたりうまく鳴らなくなったら
手に負えない。だからたまに専門家に調弦してもらう必要があるのだ。
 そう、年に一度か二度の贅沢だ。
 
 見かけどおり指先に馬鹿力のあるおばちゃんに身をまかせ唸り続けること四十分
間、浮いた錆をこそげ落とし、固まったあちこちの弦をほぐし弛め張りなおして、
それなりの音がでるようにしてもらった。背中に背負っていたものが、重い甲羅
からぐずぐずのマーボ豆腐に変化したように、肩や身体が思い切り軽くなる。



 一階の大広間、そこはなんと一面房総の花畑だった。
 ドアを開けて入った瞬間そうたじろいだのは大広間が水色地に黄色の大判花柄
アロハの男性客と、黄色地に桃色の大判花柄アロハの女性客で埋まっていたから
だ。それもどの顔を見ても浮かれ気分である。

 空いている席をみつけると座り込み、メニューを広げた。
 周りは昼間からアルコールをガンガン召し上がっている。カラオケ自慢のひとが
入れ替わり立ち代り大きな舞台に上って歌っているが、天井が高いせいかそれほど
気にならない音量である。
 タンタン麺と餃子に決めて、手をあげて係りのひとを呼び「熱燗を一本、それと
餃子ね!」となぜかきっぱり高らかに注文してしまう。

(禁酒も・・・今日はまあいいだろう)

 身体も滅茶苦茶軽くなったことだし、外は氷雨も降っていることだし、まあね
ご褒美ということでと・・・ブツブツと愚にもつかぬ言い訳を呟きつつ、はたと
閃くのだった。
 浮かれ気分で・・・帰路につかなきゃ、ねえ。そうそう、うん。

 なにしろ、それがここでの今日の合言葉なのだから。


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