温泉クンの旅日記

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亡者踊り ①

2006-06-25 | 旅行記
  < 亡者踊り > 第1章 ニシモナイ

 情報は雑誌、新聞やテレビや本よりも、ひとのナマの言葉のほうがミョウに
残る。
 ある何年か前の夏、小樽の鮨屋で握り鮨をつまんでいるときに、隣のテーブルで
食べていた地元の連中が、

「やっぱりサー、鮨は積丹にかぎるな」
「そうそう、とくに雲丹がすごいね」

 そんな声高な一言が妙に残り、翌年の夏、確かめに積丹に出かけたことがある。
このときは、新鮮なウニをいったい何十個つかったのだろうかという生雲丹ちらし
と、雲丹の澄まし汁を堪能させてもらった。
 
 西馬音内の盆踊りを知ったのも、昨年の夏、北海道へいったときだ。
 その日は珍しくきばって、一泊二食で一万七千円の旭岳温泉の湯元湧駒荘(ゆこ
まんそう)というところに泊まることにした。旭川から車で一時間半ほどである。
宿の前の駐車スペースには、ヒノキだろう匂い立つ木のチップが敷き詰められて
いた。



 夕食時から延々としこたま呑んだのだが、命知らずだから眠る前にもう一度露天
風呂にはいりにいった。
 暗がりの露天風呂には先客が二人いた。

「失礼します」
 わたしは、ひと声かけた。細長い岩風呂であるから湯の中を進まないと奥へいけ
ない。その途中で脚を踏みそうだったからだ。
「あ、コンバンワ。どうぞどうぞ」
 声の調子では、酒がだいぶはいっている。こころよく、二人とも伸ばした脚を
たたんでくれて通してくれたものである。

「あの、どちらからですか」
 横浜からです。そう答えると、二人の先客も東京のほうからとのことだった。
こちらも酒が結構回っているので、北海道内あちこちの旅の話や温泉の話で盛り
あがった。

 なにかで祭の話題になり、有名な富山の風の盆に行った行かないと話している
うちに先客のひとりが、
「たしかに風の盆もいい。けど、西馬音内の盆踊りも必見の価値がありますよ」
 と鼻息荒く言い出した。
「ニシモナイ・・・って、いったいどこにあるのですか」
 どういう字を書くのだろうか。西茂内、西藻内、西毛内か。
「秋田県です。湯沢の近くになります、東西のニシにウマと言う字、音楽のオトに
内外のウチと書きます」
「西馬音内ですか。ふーん。そんなにいいのですか・・・」
 覚えておきます、わたしはそう言うとそろそろのぼせてきたので失礼した。 

 帰ってから、思い出してインターネットで検索してみた。 
 ざっくり要約するとこんなことが書かれていた。

『西馬音内盆踊りがはじまったのは、諸説あり約七百年前とも八百年前ともいわれ
ていてはっきりしない。豊年祭の踊りが、約三百六十年前に西馬音内城主である
小野寺茂道が山形の最上義光に滅ぼされた霊を慰めるために行われた亡者踊りと
合流した。
 西馬音内の盆踊りは、はじめに地口の音頭で踊り終わりに甚句に合わせて踊る。
終わりのときは彦三(ひこさ)頭巾という、黒く長い布で顔をおおい両目のところ
に穴をあけて亡者の姿を模す。この異様な覆面姿から亡者踊りと呼ばれるように
なった・・・』

 ふーむ。モウジャと聞けば、我利我利亡者ぐらいしか思いつかないわたしは辞書
を広げてみた。
 亡者とは「広辞林」によれば、死んだ人、死者。死者の魂で、まだ人間の姿を
したまま、成仏できずに冥土で迷っているもの、とある。

 モウジャ踊りかあ。なんかスゴソウだなー、エーイ行ってみようかと思ったが、
その年は出かけなかった。西馬音内の盆踊りは八月の中旬だから行こうと思えば
行けたのだが、気持ちがまだ熟成されていなかったのである。
 すぐに飛びつかない。そんなところがわたしにはあるのだ。


   →亡者踊り②はこちら


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