<京都・宇治、平等院鳳凰堂(2)>
涼しげなミストをたっぷり浴びながら、お目当ての鳳凰堂へ急ぐ。
撮影するなら順光になる午前中がお薦めで、午後からは逆光になり、シルエット写真や夕日バックの写真を狙うほうがいいらしい。
「お、見えてきたぞ!」
子どものころから見なれた10円玉の裏側と、まったく同じ図柄の光景が目の前に出現した。昭和26年(1951年)に、この特徴ある、日本の代表的な文化財「鳳凰堂」が10円硬貨に選ばれたのだ。
10円玉に刻印された鳳凰堂だが、ジツは改修前の明治のものであり、中堂の基礎部分が石垣のようにブツブツだが、実物はツルっとしているそうだ。と、これは細かすぎて肉眼ではよくわからず、どうでもいいか。
旅先の天気はどうにもままならない。朝の天気で思い立った日帰り旅を別として、まさに運否天賦である。
どこまでも冴えわたる空の青に、鳳凰堂の朱がジツによく映える。遥か天の底までみえるような、まったくもって今日は素晴らしい天気だ。
中堂前で動くものがあり、よくみると水鳥・・・大沢池でもみたチュウサギかもしれない。
平安時代後期、天皇、貴族をはじめ民衆に至るまで仏教に帰依していた。
永承7年(1052年)は釈迦が無くなってから2000年が経つ年で、仏教の効力が無くなる末法の時代に入り、疫病や自然災害が起こるなど死に対する不安が広がったことで、極楽浄土への憧れが生まれた。
その翌年の天喜元年(1053年)、関白“藤原頼通”により建立されたのが「阿弥陀堂(鳳凰堂)」である。
「中堂」、「翼廊(両サイドの2つ)」、裏側の「尾廊」からなる建物で、正面からみると翼を広げた鳥のように見え、屋根に一対の鳳凰が据えられていることから江戸のころから「鳳凰堂」と呼ばれるようになった。
東方に面して建てられ、阿字池を隔てて西方に極楽浄土があることを示している。
池の中島に建てられた建物は、まるで極楽に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映している。
ただ建築美を追求するあまり、中堂と翼廊が繋がっておらず行き来する手段がないとか、中堂の阿弥陀如来がお顔を出す中央扉の上のベランダは飾りで出る手段がないとか、柱が高いため構造的に不安定だったりと、まったく実用的な建築物ではないらしい。
池の周囲のあちこちに、純白の「平等院蓮」を植えた鉢が置いてあり、正面に陣取った観光客の多くがその花を入れた構図で鳳凰堂を撮影している。
平等院蓮は、蕾の先端が少し赤い平等院独自の品種の蓮で、鳳凰堂の壁画にも似た花が描かれている。阿字池で1999年に行われた発掘調査で、約200年前の江戸時代後期の地層から見つかった、たった1粒のハスの種を発芽させたものだという。
蓮の花は開花の見極めが難しく、約3日間しか咲かない。早朝に咲き、昼頃にはいったん閉じてしまう。
平等院蓮のほかにも、花びらが女性が舞うように閉じることから名付けられた、和歌山の御坊生まれのハス「 舞妃蓮(まいひれん )」の鉢植もみつけた。
堂内には、平安時代の宮廷や藤原摂関家御用達の平安時代最高峰の仏師「定朝(じょうちょう)」が手掛けた、本尊の国宝の「阿弥陀如来坐像」が鎮座する。堂前の阿字池に太陽の光が反射して、光が阿弥陀堂内を照らすという。
鳳凰堂内だけでも、70点を超える国宝があるという。外観見物だけで満足したわたしは、切りあげて次の観光のミッションに取り掛かることにする。
宇治名物の茶と茶だんごだけでも軽く食べようと思っていたのだが、残念ながら参道の店はどこもやっていなかった。
次の移動にはJR宇治駅からで予定していたが、ここからは京阪宇治駅のほうが近い。紫式部像のある宇治橋の西詰のところでひと休みして、すこし検討してみよう。
→「京都・宇治、平等院鳳凰堂(1)」の記事はこちら
涼しげなミストをたっぷり浴びながら、お目当ての鳳凰堂へ急ぐ。
撮影するなら順光になる午前中がお薦めで、午後からは逆光になり、シルエット写真や夕日バックの写真を狙うほうがいいらしい。
「お、見えてきたぞ!」
子どものころから見なれた10円玉の裏側と、まったく同じ図柄の光景が目の前に出現した。昭和26年(1951年)に、この特徴ある、日本の代表的な文化財「鳳凰堂」が10円硬貨に選ばれたのだ。
10円玉に刻印された鳳凰堂だが、ジツは改修前の明治のものであり、中堂の基礎部分が石垣のようにブツブツだが、実物はツルっとしているそうだ。と、これは細かすぎて肉眼ではよくわからず、どうでもいいか。
旅先の天気はどうにもままならない。朝の天気で思い立った日帰り旅を別として、まさに運否天賦である。
どこまでも冴えわたる空の青に、鳳凰堂の朱がジツによく映える。遥か天の底までみえるような、まったくもって今日は素晴らしい天気だ。
中堂前で動くものがあり、よくみると水鳥・・・大沢池でもみたチュウサギかもしれない。
平安時代後期、天皇、貴族をはじめ民衆に至るまで仏教に帰依していた。
永承7年(1052年)は釈迦が無くなってから2000年が経つ年で、仏教の効力が無くなる末法の時代に入り、疫病や自然災害が起こるなど死に対する不安が広がったことで、極楽浄土への憧れが生まれた。
その翌年の天喜元年(1053年)、関白“藤原頼通”により建立されたのが「阿弥陀堂(鳳凰堂)」である。
「中堂」、「翼廊(両サイドの2つ)」、裏側の「尾廊」からなる建物で、正面からみると翼を広げた鳥のように見え、屋根に一対の鳳凰が据えられていることから江戸のころから「鳳凰堂」と呼ばれるようになった。
東方に面して建てられ、阿字池を隔てて西方に極楽浄土があることを示している。
池の中島に建てられた建物は、まるで極楽に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映している。
ただ建築美を追求するあまり、中堂と翼廊が繋がっておらず行き来する手段がないとか、中堂の阿弥陀如来がお顔を出す中央扉の上のベランダは飾りで出る手段がないとか、柱が高いため構造的に不安定だったりと、まったく実用的な建築物ではないらしい。
池の周囲のあちこちに、純白の「平等院蓮」を植えた鉢が置いてあり、正面に陣取った観光客の多くがその花を入れた構図で鳳凰堂を撮影している。
平等院蓮は、蕾の先端が少し赤い平等院独自の品種の蓮で、鳳凰堂の壁画にも似た花が描かれている。阿字池で1999年に行われた発掘調査で、約200年前の江戸時代後期の地層から見つかった、たった1粒のハスの種を発芽させたものだという。
蓮の花は開花の見極めが難しく、約3日間しか咲かない。早朝に咲き、昼頃にはいったん閉じてしまう。
平等院蓮のほかにも、花びらが女性が舞うように閉じることから名付けられた、和歌山の御坊生まれのハス「 舞妃蓮(まいひれん )」の鉢植もみつけた。
堂内には、平安時代の宮廷や藤原摂関家御用達の平安時代最高峰の仏師「定朝(じょうちょう)」が手掛けた、本尊の国宝の「阿弥陀如来坐像」が鎮座する。堂前の阿字池に太陽の光が反射して、光が阿弥陀堂内を照らすという。
鳳凰堂内だけでも、70点を超える国宝があるという。外観見物だけで満足したわたしは、切りあげて次の観光のミッションに取り掛かることにする。
宇治名物の茶と茶だんごだけでも軽く食べようと思っていたのだが、残念ながら参道の店はどこもやっていなかった。
次の移動にはJR宇治駅からで予定していたが、ここからは京阪宇治駅のほうが近い。紫式部像のある宇治橋の西詰のところでひと休みして、すこし検討してみよう。
→「京都・宇治、平等院鳳凰堂(1)」の記事はこちら
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