温泉クンの旅日記

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三河屋 (神奈川県・横浜)

2006-04-30 | 食べある記


< 赤チョーチン >

 いけるクチである。

 日本酒、焼酎、ウイスキーどれでもだいじょうぶ。
 だが、ビールは苦手だ。とは言うものの、昼間とか暑い日とかに、凍らせた
ひと口ビアグラスで呑む冷えた生ビールは捨てがたい。アメリカの探偵小説に
スペンサーシリーズというのがあって、主人公がビール党でありいつも旨そうに
呑む。何冊も読んだので影響を受け、しばらくわたしもビールに凝ってみたが
長続きはしなかった。ひとくち呑むと目にきて眠くなり、呑み干せば腹が張って
しまう。
  =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=

 いらっしゃい。暖簾をかきわけてかがんでガラス戸をあけると、いつもの明るい
声が迎えてくれる。

 その店は横浜から横須賀線でひとつめの保土ヶ谷にある。

 駅から二分ほど、跨線橋をおりて国道一号線沿いだ。間口は二間、ガラス戸は
一間半あって、残りの半間のスペースで焼き鳥を焼いている。肉の焼ける香ばしい
匂いが煙とともに道路に通行人に振りまかれる。
 はいった瞬間のイメージは小さな会社の食堂、あるいは定食屋。照明の
明るい酒場だ。テーブルは四人用がひとつ六人用が二つで、あとはコの字型の
テーブルが店の半分を占める。コの字は横棒部分が長く、客が外側で内側に
マスターが歩き回る。たいていの常連、とくに長老はここに座るようだ。

 空いている席はどこへ座っても平気である。指定して狭い席に押し込める
ようなマネはしない。四人用や八人用のテーブルのテレビの見やすい席を占領
してもどこからも文句はでない。店が客にこういうふうに気を使うと、自然と客も
店に気を使う。混んでくればさりげなく席をつめたり、移動したりする。

 連れのある客と常連たちの他には話し声はしない。テレビのニュースか野球を
みるか、持って来た新聞や雑誌を読みながら静かに呑む人が多い。手ぶらの
活字好きは、客の読み終わった雑誌や新聞がテーブルの下の棚に置いていく
から勝手に読めばいい。

 客はひとりのサラリーマンが多いので回転は速い。千円、千二百円、千五百
円とか決めた金額を呑みきると家路を辿るようだ。ちなみにわたしは二千円以上
使う。
 座ると黙っていてもそのひとの呑みものが運ばれてくる。いつもの、という必要
も無い。この店へ二、三度きて同じものを呑んでいると、様子のいい(フルスギル
なあ)真面目なマスターが見事に覚えてくれるのだ。だから常連だけの特権では
ない。小皿に醤油をたらした生キャベツの突き出しがつくのは、長い間変わらな
い。
 わたしは常連ではあるが、座っても自分の呑むものはでてこない。理由は簡単
で、毎回最初に同じものを頼まないからである。

「じゃあ、まず熱燗で。レバタレ二本、シロ塩二本。あと煮込み、トーフ多めでネ。
それと漬物今日はなに? じゃそれ、醤油かけないで」
 焼き鳥(焼きトン)、モツと豆腐煮込み、奴豆腐、漬物などそれほど多いメニュ
ーではないが、客のわがままを快く聞いてくれる。最多価格帯は三百五十円
あたり。焼き鳥は一本単位でオッケーだ。一本九十円。注文は決して忘れない
し、順番を間違えることもない。アルコールが駄目な連れの女性がいたら、
外の自販機で好きなものを買ってきてもかまわない。

 運ばれたレバタレを口にいれ、ピチャピチャしゃぶる。ウッヘエーなんともはや
気持ちの悪い食い方だなあ、とカン違いしないでほしい。この店に徘徊している
雑種の大型犬が、のっそりとわたしの足元にきてとぐろを巻いて座り込み、
つぶらな瞳でジィッと見上げているのだ。カレのために、人間さま用のタレの味を
しゃぶってすっかりなくしてから与えるのである。わたしはネコ好きだが犬も好き。
どうもカレには犬好き人間を見極められるようだ。はじめての客はびっくりする
が、なに、わたしとおなじくヒジョーにおとなしく温和な、茶色の老犬である。
マスターの子どもが何年か前にどこかで拾ってきたそうだ。

「あ、こっち水割りのダブルお願い」
 日本酒で限度を超えるとわたしはモノスゴーク酒癖がわるい(らしい)ので、
とちゅうで切りかえる。同じもののお代わりなら視線があったときに、グラスか
徳利を軽くあげればだいじょうぶ。気配り目配りはつねに怠らない店であるのだ。

 カレは焼き鳥四本のうち二本分をもらうと、勘弁してやるよいつもわりいな
ありがとよ、というふうな視線に放って立ち上がりつぎの獲物のほうへ移動して
くれた。しかし、コイツを見かけなくなっても、あれどうしたのとは返事が怖くて
聞けないな。いつまでも元気にウロウロおねだりしてろよ。見かけない客の
足元で、キチンと正座したつもりのデレッとしたイヌの後姿に、思わず声をかけ
そうになる。
  =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=

 店の名は三河屋。ぼったくりと無縁、明朗会計で格安低料金が想像できる
屋号だ。ワインが似合う小洒落た店とは対極、男の呑み屋。三河屋は、
ほのぼのとしたあったかい赤チョーチンである。接客が上質で均等だから、
初めてきても感じのいい、居心地のいい安らげる空間でもある。

 ここには、店と客とのあいだに好ましい距離みたいなものがある。信頼の
距離。客どうしにもそれがあるから、ありふれているようで、まったくありふれて
いない質の時間が持てるのだろう。

 どうもありがとうございました。振りかえってマスターにかるく手をあげる。
 暖簾をくぐる前に間違いなく背負っていた重い石のようなものが、もう一度
暖簾をくぐるときには、なくなることはないが耐えられる程度に軽くなるので
ある。すくなくても、このわたしの場合は。


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