温泉クンの旅日記

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岡山後楽園(2)

2010-02-10 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <岡山後楽園(2)> 

 岡山城は旭川の流域にあった「岡山」という小高い山に築城したが、堀の代わりとするために旭川の流れを強引に変えてしまった。



 そのため城の防御は強固なものとなったが、たびたび洪水に襲われ藩の財政が疲弊してしまう。
 池田綱政は津田永忠を登用し、財政再建のために新田開発や洪水対策を行い、見事に藩の財政を再建させ、自らの休息のためにこの庭園を造らせた。

 この庭園の名称であるが、岡山城の後ろにつくられた庭園だから「後園」と呼ばれていたのが、中国・宋の范仲淹が著した『岳陽楼記』にある「先憂後楽」の精神に基づかれて造られていることから「後楽園」と改められたという。



 池田綱政が最も好んで利用した建物、「廉池軒(れんちけん)」である。
 池に架かる石橋や対岸の小島など、水の景色の眺望が優れているという。

「花葉(かよう)の池」。
 池には大輪の白い花を咲かせる蓮「一天四海(通称大名蓮)」が夏に見ごろとなる。



 藩主がこの庭園を訪れたときに居間として使われた、「延養亭(えんようてい)」である。



 沢の池、唯心山などの景観が一望できる中心的な、園内で一番重要な建物だ。江戸時代にはここを茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいたそうだ


 
 後ろのほうの建物は能舞台だ。池田綱政は能に熱心であり、自身も優れた舞手だったといわれている。

(しかし、岡山後楽園・・・正直なわたしの印象を言えば、ビバリー・ヒルズにある日系二世大物ハリウッドスターの邸宅の庭という感じ。「林泉回遊式庭園」とは謳っているが、なんとも趣にとぼしい庭園だな・・・)
ここまで園を廻って思う。



 日本庭園といえば、制約のある広さを、流水をめぐらし、築山などで起伏をつけたり巨石樹木を配したり、時には苔さえ用いて地面や空間に工夫をこらすのが常だと思っていた。
 後楽園は、なにか平面的な公園、というイメージである。
 だだっ広く、牛が一頭でも寝っころがっていれば牧場だし、クラブを振っているひとかカートが置いてあればゴルフ場かと見まがう芝生である。もっともその芝生の大部分も、もともとは殆ど藩主の好みで田畑だったそうだが。



 三名園では、ここが最後になってしまったが最初のほうがいいかも。きっと訪れる順番が悪かったかもしれない。
 いい意味、直球勝負のような公園であるのだが。
 独断と偏見でズバリ言わせてもらうと、兼六園や偕楽園に比べるとちぃとばかり(かなり?)面白みが少ない。三名園に含まれない四国の栗林公園と比べてもだ。
 他の公園は、いかにさりげなく感動を与えるか楽しませるかという技・工夫・努力が感じられる。この公園、曲がない、といったら言いすぎだろうか。



 鶴舎があったので覗いたら、丹頂鶴がいた。
 築庭当時から鶴が飼育されていたという。
 すべて雪に覆われた広い芝生にだったら、鶴たちはよく似合うことだろう。


  →「岡山後楽園(1)」の記事はこちら


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