<京都・伏見、醍醐寺「三宝院」(1)>
豊臣秀吉が「醍醐の花見」といわれる大規模な花見を開催したことで有名な、醍醐寺の「総門」は、奈良と京都を結ぶ旧奈良街道に面して建っていて、下醍醐、上醍醐と続く広大な寺への入り口となっている。
本日は残念ながら桜にはまだまだ早く、あいにくの雨だ。
だが、一度は来てみたかった寺なのでへこたれることも一切なく、云いようもない嬉しさのほうが勝っている。
(やっぱりバスを利用すればよかったか・・・)
醍醐寺は、京都市営の地下鉄東西線の醍醐駅から徒歩10分ということで“軽い”と考えていたのだが、実際には低いがひと山越す、登り下りの路だったため倍の時間を要してしまったのだ。
総門から境内に入ると、左側に三宝院、まっすぐな広い道は「桜の馬場」と呼ばれ、正面にはみえるのが西大門(仁王門)だ。桜の馬場辺りの両側に植えられた桜は圧巻だそうである。
三宝院の向かい、右手に伸びる路沿い左側が霊宝館エリアになる。
三宝院の受付開始までまだ間があるので、時間潰しに、すぐ先の唐門を見にいった。
「唐門(からもん)」は、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門(勅使門)である。豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」の翌年、慶長4年(1599年)に造られた桃山時代を代表する木造建築物だ。
(紋のあたりが秀吉好みの金ピカに輝いて、大層立派な門だ・・・)
建立当時は、門全体が黒漆(くろうるし)塗りで、「菊」と「五七の桐」の4つ(裏にも4つある)の大きな紋(透かし彫り)には金箔が施されている。(約1年半がかりの解体修理を終えて、400年前の輝きが甦った)
唐門の真裏が目指す庭園である。
第80代座主「義演(ぎえん)」が門跡寺院の名を「三宝院」と改称したのは、秀吉のせいである。「三宝(さんぼう)」とは、悟りを開いた「仏(仏宝)」、その教えの「法(法宝)」、その教えを受けて修行する「僧(僧宝)」の3つを宝にたとえた仏教を構成する根本要素を意味する。
『秀吉はある日、ぶらりと座主の門跡義演上人の王輪院に立ち寄った。義演とは大政所や弟秀長の
病気の祈りの祈祷などで、顔なじみの間柄だ。
「どうじゃ、この寺を日本一の花の名所にして遣わそうか」
― 略 ―
「わしはの、また忙しゅうて、吉野までは参れぬゆえ、ここで後世に残るほどの花見をしようと思う。
その花見の用意じゃ。そうなるとやはり日本一の庭園と、それに塔も一つ欲しいの」
義演は呆然として秀吉を見返した。今年の花見と云えばあと二ヵ月あまり、その間に、日本一の庭園を
作りあげたり、吉野に劣らぬ桜の花を咲かせたり、できるものかできないものか、考えてみるがよい。
いかに太閤さまでも、それはご無理……と、云おうとして、しかし云いかねた。と、秀吉はそれを敏感に感じ取って、
「余人にはできぬ。しかし太閤ならばできる。どうじゃな、仏法で一番大切なは三宝じゃそうな。お身に、
この金剛王輪院を三宝院と改め、吉野に劣らぬ桜の名所にして、世の怨霊を鎮め、これを供養して
ゆく気があるかな?」
「三宝院……そう改めて、世の怨念を?」
「その気があれば今からかかる。まずこの庭園じゃがの。これから石探しや、名木探しをしていたら間に合わぬ。
そこで日本中に聞えわたった九山八海の名石や、名木などは、みな聚楽第の跡から移すわ」』
講談社 山岡荘八歴史文庫「豊臣秀吉[8]」より
受付が始まり拝観券を求め、大きな枝垂れ桜を横目に大玄関に急ぎ足で進む。靴を脱ぎ、下駄箱みたいな処に押しこむ。入口近く段をあがったところには、写経所みたいなスペースがあった。
「ええーッ、また払うの?」
購入した拝観券(1,000円)は三宝院庭園と伽藍の二ヶ所であり、三宝院は外の庭園だけで建物のなかは別だという。
くそー、嵌めやがったな。
と思うのはわたしだけではあるまい。外ったって天気は雨だし、ごねてるうちに次々と観光客が押しかけてきても面倒だ。瞬時にあきらめて泣き寝入りすることに決めた。
建物のなかの見どころは軽く横目チラリですませ、目的の庭がみえるところを目指して一目散に進むことにした。なんとしても、庭に、誰かさんの傘の花が咲く前に一枚でも写真が撮りたい。
襖絵に、秋の七草が点在する風景が描かれているという「秋草の間」。
平安時代の寝殿造りの様式を取り入れたという、広い「表書院」は庭に面していた。
下段、中段、上段の間があり、手前の下段の間は別名「揚舞台の間」とも呼ばれ、畳をあげればなんと能舞台になる。
下段の間の襖絵は「石田幽汀」の作で、孔雀と蘇鉄が描かれている。
中段の間、上段の間は下段の間より一段高く、能楽や狂言を高い位置から見下ろせるようになっている。中段の間の襖絵は山野の風景を、上段の間の襖絵は四季の柳を主題として描かれていて、上段・中段いずれも「長谷川等伯」一派の作といわれている。。
あの天才絵師の「等伯」の一派か・・・。なんて感心している場合じゃない。庭だ、庭園だよ!
― 続く ―
豊臣秀吉が「醍醐の花見」といわれる大規模な花見を開催したことで有名な、醍醐寺の「総門」は、奈良と京都を結ぶ旧奈良街道に面して建っていて、下醍醐、上醍醐と続く広大な寺への入り口となっている。
本日は残念ながら桜にはまだまだ早く、あいにくの雨だ。
だが、一度は来てみたかった寺なのでへこたれることも一切なく、云いようもない嬉しさのほうが勝っている。
(やっぱりバスを利用すればよかったか・・・)
醍醐寺は、京都市営の地下鉄東西線の醍醐駅から徒歩10分ということで“軽い”と考えていたのだが、実際には低いがひと山越す、登り下りの路だったため倍の時間を要してしまったのだ。
総門から境内に入ると、左側に三宝院、まっすぐな広い道は「桜の馬場」と呼ばれ、正面にはみえるのが西大門(仁王門)だ。桜の馬場辺りの両側に植えられた桜は圧巻だそうである。
三宝院の向かい、右手に伸びる路沿い左側が霊宝館エリアになる。
三宝院の受付開始までまだ間があるので、時間潰しに、すぐ先の唐門を見にいった。
「唐門(からもん)」は、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門(勅使門)である。豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」の翌年、慶長4年(1599年)に造られた桃山時代を代表する木造建築物だ。
(紋のあたりが秀吉好みの金ピカに輝いて、大層立派な門だ・・・)
建立当時は、門全体が黒漆(くろうるし)塗りで、「菊」と「五七の桐」の4つ(裏にも4つある)の大きな紋(透かし彫り)には金箔が施されている。(約1年半がかりの解体修理を終えて、400年前の輝きが甦った)
唐門の真裏が目指す庭園である。
第80代座主「義演(ぎえん)」が門跡寺院の名を「三宝院」と改称したのは、秀吉のせいである。「三宝(さんぼう)」とは、悟りを開いた「仏(仏宝)」、その教えの「法(法宝)」、その教えを受けて修行する「僧(僧宝)」の3つを宝にたとえた仏教を構成する根本要素を意味する。
『秀吉はある日、ぶらりと座主の門跡義演上人の王輪院に立ち寄った。義演とは大政所や弟秀長の
病気の祈りの祈祷などで、顔なじみの間柄だ。
「どうじゃ、この寺を日本一の花の名所にして遣わそうか」
― 略 ―
「わしはの、また忙しゅうて、吉野までは参れぬゆえ、ここで後世に残るほどの花見をしようと思う。
その花見の用意じゃ。そうなるとやはり日本一の庭園と、それに塔も一つ欲しいの」
義演は呆然として秀吉を見返した。今年の花見と云えばあと二ヵ月あまり、その間に、日本一の庭園を
作りあげたり、吉野に劣らぬ桜の花を咲かせたり、できるものかできないものか、考えてみるがよい。
いかに太閤さまでも、それはご無理……と、云おうとして、しかし云いかねた。と、秀吉はそれを敏感に感じ取って、
「余人にはできぬ。しかし太閤ならばできる。どうじゃな、仏法で一番大切なは三宝じゃそうな。お身に、
この金剛王輪院を三宝院と改め、吉野に劣らぬ桜の名所にして、世の怨霊を鎮め、これを供養して
ゆく気があるかな?」
「三宝院……そう改めて、世の怨念を?」
「その気があれば今からかかる。まずこの庭園じゃがの。これから石探しや、名木探しをしていたら間に合わぬ。
そこで日本中に聞えわたった九山八海の名石や、名木などは、みな聚楽第の跡から移すわ」』
講談社 山岡荘八歴史文庫「豊臣秀吉[8]」より
受付が始まり拝観券を求め、大きな枝垂れ桜を横目に大玄関に急ぎ足で進む。靴を脱ぎ、下駄箱みたいな処に押しこむ。入口近く段をあがったところには、写経所みたいなスペースがあった。
「ええーッ、また払うの?」
購入した拝観券(1,000円)は三宝院庭園と伽藍の二ヶ所であり、三宝院は外の庭園だけで建物のなかは別だという。
くそー、嵌めやがったな。
と思うのはわたしだけではあるまい。外ったって天気は雨だし、ごねてるうちに次々と観光客が押しかけてきても面倒だ。瞬時にあきらめて泣き寝入りすることに決めた。
建物のなかの見どころは軽く横目チラリですませ、目的の庭がみえるところを目指して一目散に進むことにした。なんとしても、庭に、誰かさんの傘の花が咲く前に一枚でも写真が撮りたい。
襖絵に、秋の七草が点在する風景が描かれているという「秋草の間」。
平安時代の寝殿造りの様式を取り入れたという、広い「表書院」は庭に面していた。
下段、中段、上段の間があり、手前の下段の間は別名「揚舞台の間」とも呼ばれ、畳をあげればなんと能舞台になる。
下段の間の襖絵は「石田幽汀」の作で、孔雀と蘇鉄が描かれている。
中段の間、上段の間は下段の間より一段高く、能楽や狂言を高い位置から見下ろせるようになっている。中段の間の襖絵は山野の風景を、上段の間の襖絵は四季の柳を主題として描かれていて、上段・中段いずれも「長谷川等伯」一派の作といわれている。。
あの天才絵師の「等伯」の一派か・・・。なんて感心している場合じゃない。庭だ、庭園だよ!
― 続く ―
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