温泉クンの旅日記

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そうだ 大阪にも行ってみよう。(1)

2022-07-31 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <そうだ 大阪にも行ってみよう。(1)>

 京都まで来てしまうと、大阪はとても近い。距離でいうと四十キロちょっと、電車移動に掛かる所要時間は三十分もあればいけるのだ。
 JR東海の伝説的名キャッチコピー「そうだ 京都、行こう。」をパクって呟く、「そうだ 大阪にも行ってみよう」と。

 すかさず、スルドイ突っ込みがどこからか聞こえてきた。
<なんでやねん! 大阪・・・「ニモ」とは、「ついでに」感満載みたいな、なんちゅう失礼な言い草! 「悲しい色やね」とか「大阪で生まれた女」を唄い始めたヒトのマイク横どりし、身をくねらせて熱唱するほどホンマは大阪好きなくせに。もう大阪寄らんでええから、浜松でお気に入りの“珈琲ブレイク下車”して、とっとと横浜へ帰らんかい!>

「ここが、読み応えたっぷりの本『銀二貫』に書かれていた、あの『天満の天神さん』か・・・」

 

 ここで、簡単に高田郁著「銀二貫」の粗筋を書いておく。

 

 天満宮は江戸時代に七度の火災に遇った。
 安永の大火で焼失した天満宮再建のため、寒天問屋の主である和助は大金(銀二貫)を寄進しようとするが、目の前で行われた仇打ちで父を亡くした子どもの鶴之輔を、その銀二貫で救う。引き取られ松吉と改めた少年が、商人として厳しい躾と生活に耐え生きていく話である。

 本殿裏に廻ると、季節を選んでくれば、香しい梅の花をたっぷり観賞できそうである。

 

 境内の西北に鎮座している「大将軍社」は、天満宮の御鎮座よりも約三百年遡った奈良時代の白雉元年(650年)に創建されている。

 

 平安時代の延喜元年(901年)、菅原道真は太宰府へ向かう途中、この「大将軍社」をお参りになり旅の無事を祈願した。
 太宰府において道真が亡くなり、その五十年あまり後の天暦三年(949年)この大将軍社の前に一夜にして七本の松が生え、夜毎にその梢を光らせたという。

「本殿通り抜け参拝」と言う、御本殿を通り抜けられる貴重な参拝がある。

 

 その通り抜け参拝は御社殿の左右にある「登竜門」から入るのだが、一年を通して約十日間に限られる。
 七月の「天神祭」ではなく、一月に開催の「天満天神えびす祭」の時に、受験生だけでなく、出世や昇進を祈願したい社会人も「本殿通り抜け参拝」ができる。「登竜門特別参拝」と言って、自身の名刺を持っていき、お賽銭と一緒に名刺もお供えすることで、出世・昇進を願うのだという。

(おっ、ここなら煙草が吸えるぞ・・・)

 

 よし、ここで検討しよう。表大門に近い、日本一長い“天神橋筋商店街”のはずれでみつけた「珈琲館麗門」に入った。
「モーニングのAのセットをお願いします」
 あかん、どこまでモーニング好きなんや、わては。
 外の看板によればモーニングサービスが四百三十円で、三種類。Aいつものセット(トースト、茹で玉子)、Bフレッシュセット(野菜トーストサンド)、Cサンドセット(たまごサンド)とあった。

 

 さて、京都駅からここまではJRを使い、JR「大阪天満宮駅」で降りた。
 次の目的地「道頓堀」までは、徒歩と地下鉄を使って三、四十分か。ラッシュアワーは終わりかけているが、感染症の心配もちょっとある。できれば満員に近い地下鉄乗車は避けたい。
“地図・ルート検索サイト“で調べると道頓堀までは約四キロ、北浜から堺筋本町、心斎橋と歩けば五十分くらいで歩けそうだ。まあざっとみて一時間とはかからない。
 決めた。もう一本煙草吸ったら歩きはじめるとしよう。

   ― 続く ―


    →「北野天満宮」の記事はこちら


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