<我が心の揚げソーセージパン>
(やっぱり・・・ついに見つけたぞ!」
焼きたてパンとか自家製パンとかの看板があるたび飛び込み探し続けること苦節ン十年、やっとコヤツに再会できた。
たまに気が向くと会社の帰りに深川から東京や錦糸町まで歩く。
錦糸町は横須賀線に乗り入れている総武快速を使えて、座って戸塚まで帰れるから腰痛のときによく利用して馴染みの駅なのだ。
距離は、東京駅までの四キロよりはちょっと短いくらいだ。
清澄通りを真っ直ぐ両国方面に歩く。
徳川家康が塩の運搬のために「小名木四郎兵衛」に川の開削を命じ、出来あがった運河は「小名木川」と名付けられた。その小名木川に架けられた「高橋(たかばし)」を渡り両国近くまで歩いて京葉道路にぶつかったら右に歩けばいい。
いつも同じ道では面白くない。ときにはジグザグに歩いて三ツ目通りとか四ツ目通りも通ってみる。
高橋商店街を抜けて歩いたときにこのパン屋「GOLSUM(ゴルサム)」をみつけたのである。「のらくろ」ゆかりの商店街を抜け、三ツ目通りに出る手前あたりにある。
そのときは入らなかったのだが、ナンカちょっと気になるので今回は入ってみたのだった。
「懐かしいパン、売ってますね」
「みんな『よく食べた、懐かしい』って、そう言って買っていくよ」
おばあちゃんが笑いながら言った。
「よく食べたなんてものじゃない。毎日食べてた」
高校時代、横浜市内の学校の正門前にたしか「港南製パン」という名のパン屋があり、昼時には校内の食堂の一角に出来たてパンを持ち込んで売っていた。
パンのなかでも、男子生徒のとりわけ一番人気が「揚げソーセージパン」だったのである。
「えっ、毎日かい! それはそれは」
「とりあえず一個ください」
見た目はバッチリだが、探していたものかどうか食べてみなければわからない。
店を出るなり、再会した揚げソーセージパンにかぶりついた。
(これこれ!)
これこそホンモノだ。ソーセージも魚肉で、縦に四等分にきったものが入っている。いまどきチープな食べものと笑わば笑えである。
あの高校正門の前のパン屋はいつか閉業してしまったので、これは貴重そのものなのだ。もう一、二本買って帰ろう。店の前で一気に食べ終えると、またすぐに店内に引き返すのだった。
コンビニで売っている、神戸屋の「ソーセージ・ドーナツ」はかなり似ていて、それなりに旨いのだが、決定的に違うのが魚肉ソーセージでないことである。
とにかくこれしか見つからないのでしかたなく「ソックリパン」に甘んじてそれでも週に三個くらいは食べていたのだ。
しっかし、全国の揚げソーセージパンファンはこのビッグな朗報に狂喜するだろうな。(しないって)
すくなくても我が高校の卒業生たち、教職員など学校関係者、高校周辺の住人など数万人の「オォーッ、懐かしのブツを見つけたのか!」というどよめきが聞えてきそうだ。
とくに卒業生などにとっては、多感な青春時代の初恋などを含む想い出があれこれずっしりと詰まっているパンだから、この店に殺到するのではないか。
「もう一遍だけでいいからアイツを喰わにゃわしゃ死んでも死にきれん。ヒデコさんや、なあ頼む・・・」
などと、高齢の大先輩は病床から息子の嫁の手を握ってせがむに違いない。
成り上がって派ぶりのいい卒業生などは、運転手つきベンツを飛ばして大人買いにくるような気がする
同窓生諸君、わたしにおつかいさせようなどとは決して企まず、自らの足で買いにきてね。いまのところ一個百十五円ですから。わたしは月に二、三度買って帰りますので。
(やっぱり・・・ついに見つけたぞ!」
焼きたてパンとか自家製パンとかの看板があるたび飛び込み探し続けること苦節ン十年、やっとコヤツに再会できた。
たまに気が向くと会社の帰りに深川から東京や錦糸町まで歩く。
錦糸町は横須賀線に乗り入れている総武快速を使えて、座って戸塚まで帰れるから腰痛のときによく利用して馴染みの駅なのだ。
距離は、東京駅までの四キロよりはちょっと短いくらいだ。
清澄通りを真っ直ぐ両国方面に歩く。
徳川家康が塩の運搬のために「小名木四郎兵衛」に川の開削を命じ、出来あがった運河は「小名木川」と名付けられた。その小名木川に架けられた「高橋(たかばし)」を渡り両国近くまで歩いて京葉道路にぶつかったら右に歩けばいい。
いつも同じ道では面白くない。ときにはジグザグに歩いて三ツ目通りとか四ツ目通りも通ってみる。
高橋商店街を抜けて歩いたときにこのパン屋「GOLSUM(ゴルサム)」をみつけたのである。「のらくろ」ゆかりの商店街を抜け、三ツ目通りに出る手前あたりにある。
そのときは入らなかったのだが、ナンカちょっと気になるので今回は入ってみたのだった。
「懐かしいパン、売ってますね」
「みんな『よく食べた、懐かしい』って、そう言って買っていくよ」
おばあちゃんが笑いながら言った。
「よく食べたなんてものじゃない。毎日食べてた」
高校時代、横浜市内の学校の正門前にたしか「港南製パン」という名のパン屋があり、昼時には校内の食堂の一角に出来たてパンを持ち込んで売っていた。
パンのなかでも、男子生徒のとりわけ一番人気が「揚げソーセージパン」だったのである。
「えっ、毎日かい! それはそれは」
「とりあえず一個ください」
見た目はバッチリだが、探していたものかどうか食べてみなければわからない。
店を出るなり、再会した揚げソーセージパンにかぶりついた。
(これこれ!)
これこそホンモノだ。ソーセージも魚肉で、縦に四等分にきったものが入っている。いまどきチープな食べものと笑わば笑えである。
あの高校正門の前のパン屋はいつか閉業してしまったので、これは貴重そのものなのだ。もう一、二本買って帰ろう。店の前で一気に食べ終えると、またすぐに店内に引き返すのだった。
コンビニで売っている、神戸屋の「ソーセージ・ドーナツ」はかなり似ていて、それなりに旨いのだが、決定的に違うのが魚肉ソーセージでないことである。
とにかくこれしか見つからないのでしかたなく「ソックリパン」に甘んじてそれでも週に三個くらいは食べていたのだ。
しっかし、全国の揚げソーセージパンファンはこのビッグな朗報に狂喜するだろうな。(しないって)
すくなくても我が高校の卒業生たち、教職員など学校関係者、高校周辺の住人など数万人の「オォーッ、懐かしのブツを見つけたのか!」というどよめきが聞えてきそうだ。
とくに卒業生などにとっては、多感な青春時代の初恋などを含む想い出があれこれずっしりと詰まっているパンだから、この店に殺到するのではないか。
「もう一遍だけでいいからアイツを喰わにゃわしゃ死んでも死にきれん。ヒデコさんや、なあ頼む・・・」
などと、高齢の大先輩は病床から息子の嫁の手を握ってせがむに違いない。
成り上がって派ぶりのいい卒業生などは、運転手つきベンツを飛ばして大人買いにくるような気がする
同窓生諸君、わたしにおつかいさせようなどとは決して企まず、自らの足で買いにきてね。いまのところ一個百十五円ですから。わたしは月に二、三度買って帰りますので。
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