<風呂よし、味よし、眺めよしの宿(1)>
群馬には郷土の歴史上の人物や名所、名品などを取り入れた「上毛かるた」という「いろはかるた」があって、群馬の人たちは子どものころ誰もが習い暗記しているという。
群馬県人に上毛かるたの、たとえば「え」は何かと訊けば、「縁起だるまの小林山」と即答するらしい。
その上毛かるたには温泉も登場する。
「く」に「草津よいとこ薬の出湯」、「よ」に「世のちり洗う四万温泉」と歌われている。
週末の朝、わたしは上野駅で特急を待っていた。
伊香保も標高が高い。冬場だと雪の心配があるので、いつもの車旅でなく電車旅である。朝飯代わりの手作りおむすび二個を東京駅で買い求めてあった。
温泉さえ良ければ安宿で充分、というスタイルを長らく続けてきたのだが、思うところがあって、一昨年くらいからよく行く名湯についてだけは老舗宿を選ぶように宗旨替えをしたのである。具体的にいえば宿賃の上限を一万二千円から三千円ほどアップしたのだ。もちろん、それぞれの温泉地につき一回限りの限定である。
群馬では草津、四万ときて、今回は伊香保の老舗宿に泊る。
上毛かるたでも、「い」は「伊香保温泉日本の名湯」と歌われる温泉である。伊香保はもう十数度行ったおなじみの温泉だが、老舗宿だから不思議と楽しみで心が逸る。
二時間ほどで、山々の連なりを背負う渋川駅に到着した。
まだ時間があるので渋川の街を散策し、禁煙すること四時間を超えているので喫煙できそうな駅前のファミレスみたいな店に入り、軽く蕎麦を食べた。電車のなかで食べたおむすび二個が効いているのだ。
大嫌いなバスにいやいや乗りこみ、伊香保温泉の停留所で降りてホッとすると、煙草に火を点けてから宿に電話する。伊香保の細かい地図は頭にしっかりあるので歩けるのだが、宿の指図に従ったのである。
送迎バスがやってきて、車一台でいっぱいになるような狭い路地を器用に運転して宿へ運んでくれた。
「浴蘭楼 岸権旅館」は、天正四年、織田信長が安土城建設に着手した年に創業したというから、営業は四百五十年、当主岸権三郎氏は二十代目を数える超老舗である。四万の宿の五百年の営業にわずかに足らないが、それでももの凄い。「風呂よし、味よし、眺めよし」の三つをスローガンに、常に進化を目指している宿だそうだ。
ラウンジで温泉饅頭とお茶でもてなされ、案内された部屋から仲居が消えたと同時に素早く浴衣に着替えた。
まずは、一番大事な「風呂よし」の確認から始めたい。三時前のチェックインだから、うまくすれば独り占め状態で楽しめるかもしれない。
思わず小走りになってしまう。
フロント階からいったん外に出て、路を渡ったところにある「権左衛門之湯」からスタートだ。
「おぉ、なんとも素晴らしい!」
やった、誰もいない。しめしめ、独り占めである。
寒気に震えながら、まずは丸い湯船から掛け湯をたっぷりと浴びた。
ゆっくり身を沈めていくと、満々と湛えた伊香保の黄金の湯が、ざ、ざあーと音をたてて溢れた。
この瞬間が、なにものにも代えがたい。
温泉好きにはまことに贅沢極まりないのである。
― 続く ―
→「草津よいとこ(1)」の記事はこちら
→「温泉三昧の宿(1)」の記事はこちら
群馬には郷土の歴史上の人物や名所、名品などを取り入れた「上毛かるた」という「いろはかるた」があって、群馬の人たちは子どものころ誰もが習い暗記しているという。
群馬県人に上毛かるたの、たとえば「え」は何かと訊けば、「縁起だるまの小林山」と即答するらしい。
その上毛かるたには温泉も登場する。
「く」に「草津よいとこ薬の出湯」、「よ」に「世のちり洗う四万温泉」と歌われている。
週末の朝、わたしは上野駅で特急を待っていた。
伊香保も標高が高い。冬場だと雪の心配があるので、いつもの車旅でなく電車旅である。朝飯代わりの手作りおむすび二個を東京駅で買い求めてあった。
温泉さえ良ければ安宿で充分、というスタイルを長らく続けてきたのだが、思うところがあって、一昨年くらいからよく行く名湯についてだけは老舗宿を選ぶように宗旨替えをしたのである。具体的にいえば宿賃の上限を一万二千円から三千円ほどアップしたのだ。もちろん、それぞれの温泉地につき一回限りの限定である。
群馬では草津、四万ときて、今回は伊香保の老舗宿に泊る。
上毛かるたでも、「い」は「伊香保温泉日本の名湯」と歌われる温泉である。伊香保はもう十数度行ったおなじみの温泉だが、老舗宿だから不思議と楽しみで心が逸る。
二時間ほどで、山々の連なりを背負う渋川駅に到着した。
まだ時間があるので渋川の街を散策し、禁煙すること四時間を超えているので喫煙できそうな駅前のファミレスみたいな店に入り、軽く蕎麦を食べた。電車のなかで食べたおむすび二個が効いているのだ。
大嫌いなバスにいやいや乗りこみ、伊香保温泉の停留所で降りてホッとすると、煙草に火を点けてから宿に電話する。伊香保の細かい地図は頭にしっかりあるので歩けるのだが、宿の指図に従ったのである。
送迎バスがやってきて、車一台でいっぱいになるような狭い路地を器用に運転して宿へ運んでくれた。
「浴蘭楼 岸権旅館」は、天正四年、織田信長が安土城建設に着手した年に創業したというから、営業は四百五十年、当主岸権三郎氏は二十代目を数える超老舗である。四万の宿の五百年の営業にわずかに足らないが、それでももの凄い。「風呂よし、味よし、眺めよし」の三つをスローガンに、常に進化を目指している宿だそうだ。
ラウンジで温泉饅頭とお茶でもてなされ、案内された部屋から仲居が消えたと同時に素早く浴衣に着替えた。
まずは、一番大事な「風呂よし」の確認から始めたい。三時前のチェックインだから、うまくすれば独り占め状態で楽しめるかもしれない。
思わず小走りになってしまう。
フロント階からいったん外に出て、路を渡ったところにある「権左衛門之湯」からスタートだ。
「おぉ、なんとも素晴らしい!」
やった、誰もいない。しめしめ、独り占めである。
寒気に震えながら、まずは丸い湯船から掛け湯をたっぷりと浴びた。
ゆっくり身を沈めていくと、満々と湛えた伊香保の黄金の湯が、ざ、ざあーと音をたてて溢れた。
この瞬間が、なにものにも代えがたい。
温泉好きにはまことに贅沢極まりないのである。
― 続く ―
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