温泉クンの旅日記

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東本願寺別邸、渉成園(1)

2024-01-07 | 京都点描
  <東本願寺別邸、渉成園(1)>

 京都府にある神社仏閣数だが、寺で3,000余、神社で1,700余の約4,700あるという。
 京都市内に限っても、寺で約1,700、神社で約800、合わせて2,500あるので、年に100カ所を無鉄砲に巡ったとしてもたっぷり25年掛かる。堂社物詣マニアも観光客も、それぞれ「訪れる寺社を選ぶ」のに悩みひと苦労するのは必至である。つまり堂社物詣において訪れる目標“数”は持つのは烏滸の沙汰といっていい。

 京都には着いたのは午後2時前だった。

 
 

 京都駅の近くにとった宿泊予定のホテルのチェックインタイムは午後3時である。さて、どうしようか。よし、まずはともかく、背中のザックをホテルに預けるとしよう。たいていの京都のホテルは、観光客が到着したときから出発するまでの間、快く荷物を預かってくれる。
 京都タワー側に中央口(北)から八条口(南)まで構内の南北自由通路を使って抜ける。ホテルへは八条西口より南方面に歩いて10分くらいであった。

(そうだ・・・駅の近くの丈山ゆかりの「渉成園」に行ってみよう。)
 歩いているときに思いついた。気にいった寺社のゆかりを巡るのも、それなりのテなのだ。酬恩庵一休寺もいったので、これでコンプリートできるぞ。
 また戻るようになるが、京都タワーの右後ろあたりだから、まあそれほど歩かずにすむ筈だ。

 

 京都駅からは、ゆっくり歩いて10分くらいであった。こんなに近ければ、花とか紅葉の季節に途中下車してでも簡単に立ち寄れそうだ。
「渉成園」は、“お東さん”と京都市民に親しまれている東本願寺の飛地境内地にある庭園(別邸)である。

 

 寛永十八年(1641年)に、三代将軍である徳川家光から当地(約1万坪)が東本願寺に寄進され、詩仙堂などの庭園を作庭した武将<石川丈山>により江戸初期(1653年)に作庭された。
 庭園の名称「渉成園」は、中国六朝時代の詩人陶淵明の「帰去来辞」の一節、「園日渉而成趣(庭は日増しに味わいを深める)」の詞にちなんで名付けられた。周囲に、外敵の侵入を防ぐために植えられた、鋭い刺がある枳殻(からたち)の生垣にちなんで「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれている。

「臨池亭」と「滴翠軒」。

 

 奥にある「滴翠軒(てきすいけん)」から“吹放し”の廊下で手前の「臨池亭(りんちてい)」に繋がっている。どちらも池に臨んで建ち、臨池亭の東側に深さ一間の濡縁を水上に張り出している。この庭園の小さい池から取水し、広い「印月池」に注がれている。

 

 縁側から庭園を観たいものだが、有料の貸切喫茶開催の時期を除き、通常は非公開の文化財のため残念ながら内部に上がれない。
 これら二つの建物を併せて「臨池亭」と呼んでいた時代には、北にある「滴翠軒」に対し、南にある建物を「喫茶居」と称していた。『都名所図会』では、「臨池殿の庭は小堀遠州の好みなり。風光奇々として真妙なり」と記されている。

「園林堂(おんりんどう)」は、正面四間で中央間には桟唐戸を吊り、仏堂風の意匠の持仏堂で、昭和32年(1957年)に再建された建物である。

 

「園林」とは、元来は中国宮廷に設けられた大規模な庭園を指す言葉で、仏典では「浄土」を表わす表現として使われ、桂離宮にも同じ「園林堂」という同名の持仏堂がある。
 南側には二階建ての茶室「蘆菴」があり休憩に利用したいものだが、これも入れるのは特別な公開時のみで残念ながら叶わない。



  ― 続く ―

   →「京都・一乗寺、詩仙堂(1)」の記事はこちら
   →「京都・一乗寺、詩仙堂(2)」の記事はこちら
   →「京都・一乗寺、詩仙堂(3)」の記事はこちら


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