<滋賀・堅田、浮御堂(1)>
(どうやら着いたようだな・・・)
左手に、海門山満月寺の山門らしきものがみえた。やれやれ、首に巻く乾いてしまったタオルで顔の汗を拭う。
前に”おごと温泉”に泊まったとき、ホテルから浮御堂までは約4キロ、徒歩では1時間くらい掛かるとフロントで言われ、「そんな遠いのかよ!」といったん諦めた。
江戸後期の浮世絵師「歌川広重」によって描かれた、彼の代表作の一つである名所絵『近江八景』をネットで観るにおよび、俄然、浮御堂へ行ってみたくなったのであった。
今日は堅田(かたた)駅から歩いたのだが、距離で1.7キロ、ざっと20分は掛かった。
山門(楼門)は扉のない竜宮造りで、その漆喰塗りのしっかりとした基部をもつ姿をみて、規模の差こそあれ佐賀の武雄温泉街のシンボルの楼門を思いだしてしまった。
(オォー、これが近江八景「堅田の落雁」で名高い「浮御堂」か・・・)
近江八景とは、中国湖南省の洞庭湖および湘江から支流の瀟水にかけてみられる典型的な水の情景を集めて描いた「瀟湘八景図」になぞらえて、琵琶湖の南部から八ヶ所の名所を選んだものである。
・石山秋月 [いしやま の しゅうげつ] = 石山寺(大津市)
・勢多(瀬田)夕照 [せた の せきしょう] = 瀬田の唐橋(大津市)
・粟津晴嵐 [あわづ の せいらん] = 粟津原(大津市)
・矢橋帰帆 [やばせ の きはん] = 矢橋(草津市)
・三井晩鐘 [みい の ばんしょう] = 三井寺(園城寺)(大津市)
・唐崎夜雨 [からさき の やう] = 唐崎神社(大津市)
・堅田落雁 [かたた の らくがん] = 浮御堂(大津市)
・比良暮雪 [ひら の ぼせつ] = 比良山系(大津市)
注)現在では「石山 の 秋月」などと表しもするが、旧来「の」は記さずに読む。
さてと、邪魔な松の枝をくぐり、いよいよ浮御堂へ、琵琶湖に架かる橋を渡る。
寺伝によれば、源信(恵心僧都)が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々(かくかく)たるを怪しみ、網でこれを掬(すく)いとらせると、一寸八分の黄金の阿弥陀仏像であった。
よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像一体を造り、その体内にこれをおさめ、千体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建し衆生制度とともに湖上通船の安全も発願した。
堂の開けられた扉から、阿弥陀仏の一部が拝観できる。
元禄四年の中秋名月の翌日、膳所(ぜぜ)から湖上を舟で堅田に出て十六夜のお月見の宴で松尾芭蕉が詠んだ句、
鎖明けて 月さし入れよ 浮御堂
堂内の「阿弥陀千体仏」が月に輝く光景を期待した句意である。
せっかくなので浮御堂の周囲を左手から一周してみることにした。
湖上の煌めきの彼方に、小さく<琵琶湖大橋>が見えた。
さらにその右手、前方にみえるのは守山市街だろうか。
― 続く ―
→「楼門のある温泉」の記事はこちら
→「おごと温泉(1)」の記事はこちら
→「おごと温泉(2)」の記事はこちら
→「おごと温泉(3)」の記事はこちら
(どうやら着いたようだな・・・)
左手に、海門山満月寺の山門らしきものがみえた。やれやれ、首に巻く乾いてしまったタオルで顔の汗を拭う。
前に”おごと温泉”に泊まったとき、ホテルから浮御堂までは約4キロ、徒歩では1時間くらい掛かるとフロントで言われ、「そんな遠いのかよ!」といったん諦めた。
江戸後期の浮世絵師「歌川広重」によって描かれた、彼の代表作の一つである名所絵『近江八景』をネットで観るにおよび、俄然、浮御堂へ行ってみたくなったのであった。
今日は堅田(かたた)駅から歩いたのだが、距離で1.7キロ、ざっと20分は掛かった。
山門(楼門)は扉のない竜宮造りで、その漆喰塗りのしっかりとした基部をもつ姿をみて、規模の差こそあれ佐賀の武雄温泉街のシンボルの楼門を思いだしてしまった。
(オォー、これが近江八景「堅田の落雁」で名高い「浮御堂」か・・・)
近江八景とは、中国湖南省の洞庭湖および湘江から支流の瀟水にかけてみられる典型的な水の情景を集めて描いた「瀟湘八景図」になぞらえて、琵琶湖の南部から八ヶ所の名所を選んだものである。
・石山秋月 [いしやま の しゅうげつ] = 石山寺(大津市)
・勢多(瀬田)夕照 [せた の せきしょう] = 瀬田の唐橋(大津市)
・粟津晴嵐 [あわづ の せいらん] = 粟津原(大津市)
・矢橋帰帆 [やばせ の きはん] = 矢橋(草津市)
・三井晩鐘 [みい の ばんしょう] = 三井寺(園城寺)(大津市)
・唐崎夜雨 [からさき の やう] = 唐崎神社(大津市)
・堅田落雁 [かたた の らくがん] = 浮御堂(大津市)
・比良暮雪 [ひら の ぼせつ] = 比良山系(大津市)
注)現在では「石山 の 秋月」などと表しもするが、旧来「の」は記さずに読む。
さてと、邪魔な松の枝をくぐり、いよいよ浮御堂へ、琵琶湖に架かる橋を渡る。
寺伝によれば、源信(恵心僧都)が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々(かくかく)たるを怪しみ、網でこれを掬(すく)いとらせると、一寸八分の黄金の阿弥陀仏像であった。
よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像一体を造り、その体内にこれをおさめ、千体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建し衆生制度とともに湖上通船の安全も発願した。
堂の開けられた扉から、阿弥陀仏の一部が拝観できる。
元禄四年の中秋名月の翌日、膳所(ぜぜ)から湖上を舟で堅田に出て十六夜のお月見の宴で松尾芭蕉が詠んだ句、
鎖明けて 月さし入れよ 浮御堂
堂内の「阿弥陀千体仏」が月に輝く光景を期待した句意である。
せっかくなので浮御堂の周囲を左手から一周してみることにした。
湖上の煌めきの彼方に、小さく<琵琶湖大橋>が見えた。
さらにその右手、前方にみえるのは守山市街だろうか。
― 続く ―
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→「おごと温泉(2)」の記事はこちら
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