「福岡市博多区の冷泉小学校跡で市埋蔵文化財課が実施していた発掘調査で、平安時代後期(11世紀後半〜12世紀前半)の博多港の護岸と見られる石積み遺構が、全長70メートル以上にわたって出土した」そうです。「現場は宋時代の中国との〈日宋交易〉で栄えた国際都市・博多遺跡群の一角」で、「石積みは丸や長方形の自然石を最大で60センチほど垂直に積んで作られ、中国に類例がある土木技術とみられる」そうです。「周囲からは硫黄の粒が多数見つかり、分析の結果、大分県の塚原・銅山、鹿児島県の硫黄島などで採取されたものと判明した。日宋貿易で火薬の原料として中国に輸出されたらしい」とのことです。〜(・_・;)!火薬の原料!当時の日本人は知っていたのでしょうか?
「輸入品ではアジア各地の陶磁器が大量に出土し」ているそうです。「石積みが全長70メートル以上と大規模なことから、調査を担当した市埋蔵文化財課の大庭康時・主任文化財主事は『日宋貿易を管理する大宰府が、交易品の積み下ろしはここで行うよう指定していた、日本唯一の公認貿易港だったのでは』と推定」されています。
博多区にはこれまでも宋人百堂(宋人たちがつくった数多くの祠・ほこら)や日宋貿易の黄金時代を築いたと謝国明の墓所など往時の繁栄を物語る遺跡があり、街巡りの一つとなっています。コロナあけには見にゆきたいと思いましたら、「3月には遺構を埋め戻し」されるそうです。「調査の過程をネット上で公開する予定」とのことです。
(下:2021年2月18日 朝日新聞-今井邦彦「石積み70メートル以上 博多港の護岸か 福岡 平安後期 貿易施設の可能性」より)
「輸入品ではアジア各地の陶磁器が大量に出土し」ているそうです。「石積みが全長70メートル以上と大規模なことから、調査を担当した市埋蔵文化財課の大庭康時・主任文化財主事は『日宋貿易を管理する大宰府が、交易品の積み下ろしはここで行うよう指定していた、日本唯一の公認貿易港だったのでは』と推定」されています。
博多区にはこれまでも宋人百堂(宋人たちがつくった数多くの祠・ほこら)や日宋貿易の黄金時代を築いたと謝国明の墓所など往時の繁栄を物語る遺跡があり、街巡りの一つとなっています。コロナあけには見にゆきたいと思いましたら、「3月には遺構を埋め戻し」されるそうです。「調査の過程をネット上で公開する予定」とのことです。
(下:2021年2月18日 朝日新聞-今井邦彦「石積み70メートル以上 博多港の護岸か 福岡 平安後期 貿易施設の可能性」より)