おなじみの神奈川県民ホール
M中は午後の比較的遅い時間帯なので、ランチをしてからのんびりと
そうでもしないと気持ちを鎮められないから
孫のコンクールデビューは2年前のこの大会でした。
楽器を持って、3カ月にも満たない1年生、
こんな大きな舞台にいきなり立って大丈夫なのだろうかと
周りも不安な初舞台でした。
そして2年になった去年、今度は3年生と一緒に全国大会につながる大切な舞台に
立たせていただきました。
前年とはまったく違う緊張感で、その先の東関東大会でダメ金で終わるまでの闘いが
ここから始まったのです。
<ダメ金・・・金賞を取ったのに代表になれなかったことの代名詞>
そして、今年、3回目の同じ舞台は最上級生になって、その責任も今までとは違うし
なんといっても、負けたらそこで引退、というがけっぷちですから
なんとスリリングな・・なんておちゃらけている場合ではないのですが
リラックスリラックス
お昼ころ学校を出発する部員に引率父兄として参加した長女の話では
県民ホールに入る前、顧問のT先生が、いきなり 「海を見に行こう」 とおっしゃったそうです。
県民ホールのまん前、海岸通りの信号を渡ればそこは”山下公園”そして”横浜港”
決してきれいとは言えない海だけど、この海は多くの大型船が行き交う、まさに外に開けた海
そこで、全員海に向かって1列に並び、発声練習
合唱ではありませんが、発声練習は、楽器にも必要なようで、練習前には必ず行われるみたいです。
さぞ気持ちよかったでしょう。
気持ちも楽になったはず
コンクールは、その人数によってA編成部門(50人以内)B編成部門(20人~35人)に分かれています。
A編は課題曲と自由曲を、B編は自由曲のみを演奏します。
昨年まで同一学校から、両部門に出られたのですが、今年からそれができなくなったので
特別に横浜部門というのを作って、参加したチームには、従来の賞ではなく、優秀、優良が
つきました。
孫のM中も毎年、A、B両部門に出場していましたが、
今年の1,2年生はここに出て優秀賞をいただきました。
賞はどうであれ、まだぎこちないうちから、大舞台を経験することがとても重要です。
それが翌年、翌々年につながって行くからです。
M中、始まりました。
ホール練習の時も書きましたが、今年の自由曲、とても難しくてわかりにくい曲です。
T先生も後でおっしゃってましたが、迷って迷って、決まってから今日までの期間が
とても短かった。
この曲を完成させるためにはあと半年は必要、でも次の県大会まで2週間しかないから
この短い間に今日よりももっと完成度を上げなければ・・と
初めはもう少し簡単な曲だったらしいです。
でも、ご自分で温めてきたこの曲をやらせてみたら、子供たちが思いの他出来てしまったらしい
で、急遽、変更で短期間・・となったようです。
先生、だめでしょ 一番彼らの力がわかってるのは先生なんですから
ま、とにかく県大会には進みました。
今年はA編成に出る学校が多く、実力のある学校も多く、昨日1日で25校が出場
そのうち、なんと金賞が10校も出ました。
始めて金賞を取った学校もあり、大歓声が・・・
しかし、たいへん残酷なことにその10校から県大会に行けるのは6校
つまり4校が例の”ダメ金”になってしまうのです。
賞がすべて発表されてから、最後に県進出の6校を読みあげるのですが
そこで、その前とはまた違う明暗がはっきりと
金賞を取ってもここで呼ばれなければ3年生は即、引退なのです
M中は最後の最後でした。
私は確信してましたから、可愛くないけど自信満々で結果を待ってました
しかし、娘をはじめとした父兄の皆さんの緊張感がこちらまで伝わってきて
ほんの少しですがいやな感じがよぎりました
子供たちの中には泣きだす子もいて、強豪と言われているこの子たちでさえ
わかるまでの不安はあったのだ、と、もしかして市大会突破は当たり前といわれていることへの
プレッシャーから解き放たれた安堵の涙だったのかと
この可愛くないばーさんは冷静に観察してしまいました。
日曜日からは恒例の河口湖合宿、そこでしっかり叩き込まれて、
毎年のことですが力を付けてきます。
たった3,4日のことなのに別人のようになって帰ってきます。
サマーコンサートも開かれます。
今年は先日ホール練習をやった我が区の公会堂が会場なのでラッキーです。
可愛くないことばかり言いましたが・・実はとっても疲れました
やっぱり内心は・・よかったあ・・安心しました
これ?崎陽軒のシウマイ弁当ですけど・・
久しぶりに食べました。
だって結果発表終わって帰ったら8時近くになってしまいましたから
ビールとシウマイ弁当、それだけで大満足の祝い膳でした
M中は午後の比較的遅い時間帯なので、ランチをしてからのんびりと
そうでもしないと気持ちを鎮められないから
孫のコンクールデビューは2年前のこの大会でした。
楽器を持って、3カ月にも満たない1年生、
こんな大きな舞台にいきなり立って大丈夫なのだろうかと
周りも不安な初舞台でした。
そして2年になった去年、今度は3年生と一緒に全国大会につながる大切な舞台に
立たせていただきました。
前年とはまったく違う緊張感で、その先の東関東大会でダメ金で終わるまでの闘いが
ここから始まったのです。
<ダメ金・・・金賞を取ったのに代表になれなかったことの代名詞>
そして、今年、3回目の同じ舞台は最上級生になって、その責任も今までとは違うし
なんといっても、負けたらそこで引退、というがけっぷちですから
なんとスリリングな・・なんておちゃらけている場合ではないのですが
リラックスリラックス
お昼ころ学校を出発する部員に引率父兄として参加した長女の話では
県民ホールに入る前、顧問のT先生が、いきなり 「海を見に行こう」 とおっしゃったそうです。
県民ホールのまん前、海岸通りの信号を渡ればそこは”山下公園”そして”横浜港”
決してきれいとは言えない海だけど、この海は多くの大型船が行き交う、まさに外に開けた海
そこで、全員海に向かって1列に並び、発声練習
合唱ではありませんが、発声練習は、楽器にも必要なようで、練習前には必ず行われるみたいです。
さぞ気持ちよかったでしょう。
気持ちも楽になったはず
コンクールは、その人数によってA編成部門(50人以内)B編成部門(20人~35人)に分かれています。
A編は課題曲と自由曲を、B編は自由曲のみを演奏します。
昨年まで同一学校から、両部門に出られたのですが、今年からそれができなくなったので
特別に横浜部門というのを作って、参加したチームには、従来の賞ではなく、優秀、優良が
つきました。
孫のM中も毎年、A、B両部門に出場していましたが、
今年の1,2年生はここに出て優秀賞をいただきました。
賞はどうであれ、まだぎこちないうちから、大舞台を経験することがとても重要です。
それが翌年、翌々年につながって行くからです。
M中、始まりました。
ホール練習の時も書きましたが、今年の自由曲、とても難しくてわかりにくい曲です。
T先生も後でおっしゃってましたが、迷って迷って、決まってから今日までの期間が
とても短かった。
この曲を完成させるためにはあと半年は必要、でも次の県大会まで2週間しかないから
この短い間に今日よりももっと完成度を上げなければ・・と
初めはもう少し簡単な曲だったらしいです。
でも、ご自分で温めてきたこの曲をやらせてみたら、子供たちが思いの他出来てしまったらしい
で、急遽、変更で短期間・・となったようです。
先生、だめでしょ 一番彼らの力がわかってるのは先生なんですから
ま、とにかく県大会には進みました。
今年はA編成に出る学校が多く、実力のある学校も多く、昨日1日で25校が出場
そのうち、なんと金賞が10校も出ました。
始めて金賞を取った学校もあり、大歓声が・・・
しかし、たいへん残酷なことにその10校から県大会に行けるのは6校
つまり4校が例の”ダメ金”になってしまうのです。
賞がすべて発表されてから、最後に県進出の6校を読みあげるのですが
そこで、その前とはまた違う明暗がはっきりと
金賞を取ってもここで呼ばれなければ3年生は即、引退なのです
M中は最後の最後でした。
私は確信してましたから、可愛くないけど自信満々で結果を待ってました
しかし、娘をはじめとした父兄の皆さんの緊張感がこちらまで伝わってきて
ほんの少しですがいやな感じがよぎりました
子供たちの中には泣きだす子もいて、強豪と言われているこの子たちでさえ
わかるまでの不安はあったのだ、と、もしかして市大会突破は当たり前といわれていることへの
プレッシャーから解き放たれた安堵の涙だったのかと
この可愛くないばーさんは冷静に観察してしまいました。
日曜日からは恒例の河口湖合宿、そこでしっかり叩き込まれて、
毎年のことですが力を付けてきます。
たった3,4日のことなのに別人のようになって帰ってきます。
サマーコンサートも開かれます。
今年は先日ホール練習をやった我が区の公会堂が会場なのでラッキーです。
可愛くないことばかり言いましたが・・実はとっても疲れました
やっぱり内心は・・よかったあ・・安心しました
これ?崎陽軒のシウマイ弁当ですけど・・
久しぶりに食べました。
だって結果発表終わって帰ったら8時近くになってしまいましたから
ビールとシウマイ弁当、それだけで大満足の祝い膳でした