またまた過去のお話ですが
先月末大阪に行ったのは、オフ会のため? 京都の紅葉を見に行くため?
まあ、間違ってはいませんが、本当の目的は定期検診
約8年半前、股関節の手術で、縁あって入院した関西医大付属病院
私がなぜ遠い大阪の病院を選んだか?とか、股関節の病気って何?というお話は
カテゴリー『変形股関節症』に詳しくありますので、??の方はお訪ねください。
年に1度の検診を受けていますが、毎年4月の第2週に予約、ついでに桜満開の京都で観光してくる
というのが定番でした。
今年も当然4月に予約を入れてありました。
ところがあの大震災です。
私が住む横浜は計画停電という、もう今では過去形になってしまったような出来事がありました。
日本中の人々がそうだったように、あの段階で、いくら検診だからといって、新幹線に乗ってどこかに移動しようなんて
とてもそんな気分ではなかった
一番の理由はやはり計画停電
我が家の地域は多分最多の7回、1日に2回あった時はさすがに落ち込みました。
そんなことで一応キャンセルの電話を入れて
「キャンセルされるとずいぶん先になってしまいますけどよろしいですか?」
病院の予約センターの方から言われましたが
その時点ではいつ行けるようになるかなんて予想もつきませんでした。
それから1カ月、2カ月
こんな話が世間を駆け巡りましたね。
「いつまでも沈んでばかりではだめだ、日本を活性化するためにも、みんなで出かけてお金を落としてこよう」
そうなのか、そうなんだ・・納得するまで少し時間がかかりましたが・・納得した時にはもう
手のひら返し
そうだ、行こう、大阪に
さっそく予約センターに電話
「今なら7月中旬が空いてますよ」 「いや、大阪の夏は暑いので秋くらいに・・」
「では10月・・」 「いや、10月はちょっと・・・」
「では11月上旬なら・・」 「いや、もう少し先で・・・」
「中旬も大丈夫ですが・・」 「いや、もうちょっと先で・・できれば最終週か12月1週目が・・」
「では11/29でいいですか?」 「はい、ではそれでお願いします!」
予約センターの女性かなりむっとしてました 顔は見えないけど声のトーンで良くわかります
もし私が逆の立場だったら
<だったら最初から11月末って言いなさいよ>ってぜったい思った。
ごめんなさい。 先生に言いつけないでね
「前回の診察から1年以上経ってますから、初診扱いになるかもしれませんからご了承ください」
そう言われて電話切られました。
大病院の場合初診で紹介状が無いと、初診料のほかに、3000円から5000円支払わなければいけません。
おかしな話です。
<なんですって、もう何年もかかってるのに、それに今、関東から北の人たちがどんな気持ちでいると思ってるのよ
自分たちだって、阪神淡路で辛い思いしたんだからわかってくれたっていいのに>
なんてぶつぶつ言ってみましたが、向こうにしてみればなんて勝手な患者だ・・すみません・・でも・・
こんな感じで日程は決まり、その後は、書いた通りです。
今までは大体朝1の予約だったのですが、今回は午後2時
わんこさんと淀屋橋でランチして、お別れ、京阪特急で枚方市まで向いました。
駅の名前も”枚方市”なんです。
駅前に降り立つと、なんかいつもと違う・・
あら?駅間違えちゃったかな?
だってすごく大きい街に変身してたんです。
駅ビルも立派にあって、でもたった1年半でこんなに変化しちゃう?
どうしよう でもやっぱり枚方市だわ
しばらくして気付きました。
いつもの出口とは反対側に出てしまったんです。
病院は京都に向って左側、大きな街と思ったのは右側だった。
見慣れた駅前に出られてやれやれ
予約時刻より30分くらい早く着きました。
受付に行き、診察券と保険証、そして去年先生からいただいた、今となっては幻になってしまった予約票を提出
受付のお姉さん、な~んにも言わず、受け付けてくれました。
もし言われたらゴネようと、電車の中で考えてたのに・・よかった
受付をすると昔の携帯みたいな端末を渡されます。
これのおかげでピーピーという音はあちこちで聞こえますが、名前を呼ぶ声は聞かれません。
じきに、<レントゲンの撮影に行ってください>というメッセージがきました。
ところがその後が長かった・・・
午後の場合午前中からの患者さんが押せ押せで時間超過しているのかもしれません。
一緒に待っている患者さんたちもかなり待たされているとのこと
結局診察を受けたのは3時半過ぎでした。
診察室に入ると、どこかのお医者様か、大学教授か知りませんが中年男性が2人
先生の診察をじっと見てます、聞いてます。
まず、診察が延び延びになったことをお詫びしました。
すると、
「たいへんだったでしょう 家の方は大丈夫? あの辺は地盤がしっかりしてるから大丈夫かな?」
あの辺??
「あのう 先生、家の方をご存じなんですか?」
「ああ知ってるよ ○区でしょう」
<なぜなんだ? 家の近所にも総合病院あるけど、先生が訪ねてくるような病院ではないぞ>
な、なんと、奥さまの弟さんが(やはり医者)隣の駅に住んでらっしゃるとか
もう、ビックリでした 当然、何度かいらしたようで
「田舎でしょう 横浜と言っても・・」 「いや、いいところだよ」
こんな会話で始まった診察は、レントゲン写真を見て診断、そして椅子から立ち上がり片足で交互に立つ
次にベッドに横たわって、両脚の開閉、持ち上げたときの力、うつぶせでの脚あげ等、何項目かの検査で終了
今回も進行はなく、検査結果は普通の人の85%だと言われ、合格点が付きました。
その上、来ました
「自転車、相変わらず100km乗ってるの? すごいなあ この病気の人が自転車でこれだけやって
なおかつ、この症状でいると言うことは、僕たちも考え変えなくちゃいけないな」と言ってくださいました。
もちろん先のお二人もビックリされたようで・・
先生が
「62歳、がんばるよねえ」と言われたので、私がむっとすると
「いいじゃないか 僕と同い年なんだから」
わかってます。ちょっとふざけただけですから・・
これからもプールにも通って、自転車も大いに乗って、好きなことしなさいって
好きなこと??
でも、走ってはいけない、重たいもの持ってはいけない、は変わりないんですよね。
「あまり好きなことやって症状出てきたら困ります」というと
「そのときになったら考えればいいよ」ですって
これどういうふうにとれば?
家に帰ってから夫に話したら「もう60過ぎてるんだから、いつ人工になっても不足はないって諦められてるんだよ」ですって
そう取れないことはないけど・・
脳天気な私は自転車のことですっかり舞い上がってましたから、よくよく考えるとそうとも、とれますね。
感じ悪いけど夫の言うことも一理あるかもしれません。
でも、私はいい方にとります。だって後ろ向きになったっていいことなんかありませんから
病院を出たのは4時半ころ
西の空は
明日は晴れるかもしれない、そしたら京都で自転車に乗るぞ~ってこの時思ったのです
そして、Tさんの待つ京橋まで急ぎました。
次回は再来年の春、その間はこちらの病院に行きましょう。
先生、お元気で、私も元気でまた伺います。
実は今回で大阪行き止めようと思ってました。でもやっぱり、飯田先生の顔を見たらそれだけで安心
なんと言っても私の病気を一番わかってくれている先生なのですから
先月末大阪に行ったのは、オフ会のため? 京都の紅葉を見に行くため?
まあ、間違ってはいませんが、本当の目的は定期検診
約8年半前、股関節の手術で、縁あって入院した関西医大付属病院
私がなぜ遠い大阪の病院を選んだか?とか、股関節の病気って何?というお話は
カテゴリー『変形股関節症』に詳しくありますので、??の方はお訪ねください。
年に1度の検診を受けていますが、毎年4月の第2週に予約、ついでに桜満開の京都で観光してくる
というのが定番でした。
今年も当然4月に予約を入れてありました。
ところがあの大震災です。
私が住む横浜は計画停電という、もう今では過去形になってしまったような出来事がありました。
日本中の人々がそうだったように、あの段階で、いくら検診だからといって、新幹線に乗ってどこかに移動しようなんて
とてもそんな気分ではなかった
一番の理由はやはり計画停電
我が家の地域は多分最多の7回、1日に2回あった時はさすがに落ち込みました。
そんなことで一応キャンセルの電話を入れて
「キャンセルされるとずいぶん先になってしまいますけどよろしいですか?」
病院の予約センターの方から言われましたが
その時点ではいつ行けるようになるかなんて予想もつきませんでした。
それから1カ月、2カ月
こんな話が世間を駆け巡りましたね。
「いつまでも沈んでばかりではだめだ、日本を活性化するためにも、みんなで出かけてお金を落としてこよう」
そうなのか、そうなんだ・・納得するまで少し時間がかかりましたが・・納得した時にはもう
手のひら返し
そうだ、行こう、大阪に
さっそく予約センターに電話
「今なら7月中旬が空いてますよ」 「いや、大阪の夏は暑いので秋くらいに・・」
「では10月・・」 「いや、10月はちょっと・・・」
「では11月上旬なら・・」 「いや、もう少し先で・・・」
「中旬も大丈夫ですが・・」 「いや、もうちょっと先で・・できれば最終週か12月1週目が・・」
「では11/29でいいですか?」 「はい、ではそれでお願いします!」
予約センターの女性かなりむっとしてました 顔は見えないけど声のトーンで良くわかります
もし私が逆の立場だったら
<だったら最初から11月末って言いなさいよ>ってぜったい思った。
ごめんなさい。 先生に言いつけないでね
「前回の診察から1年以上経ってますから、初診扱いになるかもしれませんからご了承ください」
そう言われて電話切られました。
大病院の場合初診で紹介状が無いと、初診料のほかに、3000円から5000円支払わなければいけません。
おかしな話です。
<なんですって、もう何年もかかってるのに、それに今、関東から北の人たちがどんな気持ちでいると思ってるのよ
自分たちだって、阪神淡路で辛い思いしたんだからわかってくれたっていいのに>
なんてぶつぶつ言ってみましたが、向こうにしてみればなんて勝手な患者だ・・すみません・・でも・・
こんな感じで日程は決まり、その後は、書いた通りです。
今までは大体朝1の予約だったのですが、今回は午後2時
わんこさんと淀屋橋でランチして、お別れ、京阪特急で枚方市まで向いました。
駅の名前も”枚方市”なんです。
駅前に降り立つと、なんかいつもと違う・・
あら?駅間違えちゃったかな?
だってすごく大きい街に変身してたんです。
駅ビルも立派にあって、でもたった1年半でこんなに変化しちゃう?
どうしよう でもやっぱり枚方市だわ
しばらくして気付きました。
いつもの出口とは反対側に出てしまったんです。
病院は京都に向って左側、大きな街と思ったのは右側だった。
見慣れた駅前に出られてやれやれ
予約時刻より30分くらい早く着きました。
受付に行き、診察券と保険証、そして去年先生からいただいた、今となっては幻になってしまった予約票を提出
受付のお姉さん、な~んにも言わず、受け付けてくれました。
もし言われたらゴネようと、電車の中で考えてたのに・・よかった
受付をすると昔の携帯みたいな端末を渡されます。
これのおかげでピーピーという音はあちこちで聞こえますが、名前を呼ぶ声は聞かれません。
じきに、<レントゲンの撮影に行ってください>というメッセージがきました。
ところがその後が長かった・・・
午後の場合午前中からの患者さんが押せ押せで時間超過しているのかもしれません。
一緒に待っている患者さんたちもかなり待たされているとのこと
結局診察を受けたのは3時半過ぎでした。
診察室に入ると、どこかのお医者様か、大学教授か知りませんが中年男性が2人
先生の診察をじっと見てます、聞いてます。
まず、診察が延び延びになったことをお詫びしました。
すると、
「たいへんだったでしょう 家の方は大丈夫? あの辺は地盤がしっかりしてるから大丈夫かな?」
あの辺??
「あのう 先生、家の方をご存じなんですか?」
「ああ知ってるよ ○区でしょう」
<なぜなんだ? 家の近所にも総合病院あるけど、先生が訪ねてくるような病院ではないぞ>
な、なんと、奥さまの弟さんが(やはり医者)隣の駅に住んでらっしゃるとか
もう、ビックリでした 当然、何度かいらしたようで
「田舎でしょう 横浜と言っても・・」 「いや、いいところだよ」
こんな会話で始まった診察は、レントゲン写真を見て診断、そして椅子から立ち上がり片足で交互に立つ
次にベッドに横たわって、両脚の開閉、持ち上げたときの力、うつぶせでの脚あげ等、何項目かの検査で終了
今回も進行はなく、検査結果は普通の人の85%だと言われ、合格点が付きました。
その上、来ました
「自転車、相変わらず100km乗ってるの? すごいなあ この病気の人が自転車でこれだけやって
なおかつ、この症状でいると言うことは、僕たちも考え変えなくちゃいけないな」と言ってくださいました。
もちろん先のお二人もビックリされたようで・・
先生が
「62歳、がんばるよねえ」と言われたので、私がむっとすると
「いいじゃないか 僕と同い年なんだから」
わかってます。ちょっとふざけただけですから・・
これからもプールにも通って、自転車も大いに乗って、好きなことしなさいって
好きなこと??
でも、走ってはいけない、重たいもの持ってはいけない、は変わりないんですよね。
「あまり好きなことやって症状出てきたら困ります」というと
「そのときになったら考えればいいよ」ですって
これどういうふうにとれば?
家に帰ってから夫に話したら「もう60過ぎてるんだから、いつ人工になっても不足はないって諦められてるんだよ」ですって
そう取れないことはないけど・・
脳天気な私は自転車のことですっかり舞い上がってましたから、よくよく考えるとそうとも、とれますね。
感じ悪いけど夫の言うことも一理あるかもしれません。
でも、私はいい方にとります。だって後ろ向きになったっていいことなんかありませんから
病院を出たのは4時半ころ
西の空は
明日は晴れるかもしれない、そしたら京都で自転車に乗るぞ~ってこの時思ったのです
そして、Tさんの待つ京橋まで急ぎました。
次回は再来年の春、その間はこちらの病院に行きましょう。
先生、お元気で、私も元気でまた伺います。
実は今回で大阪行き止めようと思ってました。でもやっぱり、飯田先生の顔を見たらそれだけで安心
なんと言っても私の病気を一番わかってくれている先生なのですから