・・・この五月に京都の町を自転車で観光した時の下賀茂神社のことをかなり以前に、此処に書いた。
その時に、下賀茂神社は山城国の一宮で、京都でも古い神社だと云う事は勉強していた。
最近、「出雲と大和」と云う本を読んでいるが、その中に、古代ヤマト王朝から、はみ出た出雲系の嶋氏の一族が大和から移り山城に住んで、賀茂のあたりに祭神を祭ったのが、山城嶋氏の始まりであることが書いてあった。
その証拠の一つは、下賀茂神社に面白い祠がある、私も知らないままに面白いと思って、その小神社の写真を撮ったことは覚えている。
拝殿前に、干支に相当して、12の小さな祠が境内の周囲に、設置してあって、そのうちの七神は出雲の神様の大国主神の別名の神様の名で祭ってあるとのことで、私は干支の祠を見た時は、そんな意味の深いところは理解できてなかった。
それでも、都を守ると云う意味からいえば、皇室に縁の深い伊勢系の神先でないのは、おかしいとは、その時に思った。
私の住んでいる名古屋地区の古代の首長の尾張氏も同じ出雲系の氏族らしいので、どうも、古い創世記の頃の大和朝廷に滅ぼされた古代出雲系氏族の人たちは、全国には、このような形で住みついている人達が多かったらしい。