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ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

「林住期」

2015年10月25日 06時18分17秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・土曜日の朝六時から、ラジオで文化講演会をやっている。
  朝、走りながら、聞いたり、家で朝食を食べながら、聞いたりしている。

  昨日の文化講演会の話題は坊さんの仏経の話でした。
  その中で、仏経では、人生を四つに分けて考えると云う話をしていた。
  同じ話を、以前、作家の五木寛之さんの本で読んだ、その四つの区切りの三つ目の「林住期」を題にした彼の本があって、彼は古代インドの思想で人生を四つに分けて考える、その後半の最初を「林住期」と云うと書いていた。
  坊さんの、仏教での話と同じである。

  因みに、坊さんの話も、五木寛之さんも、人生を四つに分けると「学生期」が0歳から25歳、「家住期」が25歳から50歳、そして、「林住期」が50歳から75歳、「遊行期」が75歳から100歳と、人生を分けている。
  100歳までは生きる人はまれなので、実際は、人生の後半の「林住期」をはしょる人が多い。

  このように、人生を、色々な時期に分けて考えるやり方は、前にも書いたが、誰しも考えに至る考え方ではある。
  私も同様なことを考えていた。
  即ち、人生の前半は生まれて稼ぐ準備をし、稼いで貯めこむ、そして、人生の後半はためた金で、折角、生まれた人生で遣りたい事、生きたいところに旅をし、人生の前半でのたまっていた思いを実現し、喜びを謳歌する、そして、それが出来なくなった時に、人生を終える準備をし、終える。
  大まかにいえばそんなことを、人生について考えていた。

  私は今、「林住期」を楽しんでいる。
  他人からは、どう見えるかわからないが、自分では、生きてきた、喜びを、いま、満悦しているつもりである。
  しかしながら、生きていると、完全には人生を区ぎれてないところはあり、今も、社会、家庭での人間関係で、多少の悩み、苦しみはある。
  しかし、今まで過ごしてきた、学び、稼ぐ、人生の前半に比べれば、圧倒的に今は、楽しみの多い毎日ではある。

  こんな中で、人生の終了を決めるのは、自分の体調である、医者から、そろそろ寿命だよと、いわれた時は、終了の準備も始めなくてはいけないが、私自身はまで、「林住期」真っ盛りと考えて過ごしている。

  

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