ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

古墳からは墓誌(文字)が出てこない

2019年06月27日 07時20分40秒 | 日本古代史

・・・中国の皇帝の墓などはかなり古い時代物でも墓誌などが出てきて、誰の墓か明確にわかる。

   昨日、新聞に、「奈良県香芝市の平野塚穴山古墳が皇族の墓であることが判明した」の記事が新聞に出ていた。
   そして、埋葬者は斉明天皇の父、茅渟(ちぬ)王でないかと報道されているが確定ではない。
   この墓は7世紀後半の墓とされているので、墓が築かれた時代では、当然、文字は使っていた時代である。
   日本の墓からは、誰の墓か、書いてあるものが出てくるのはまれである。
   なぜそうだったのか、その理由は知らないが、不思議である。

   しかし、例外として、太安万侶は墓誌が出てきた、数少ない墓である。(墓誌には723年没と書いてある)
   太安万侶の墓誌が作られた時代と、平野塚穴山古墳の築造時期は五十年しか違わない。 
   また、墓誌ではないが、文字と人の名が刻まれた鉄剣が出てきた稲荷山古墳は471年に築造されたと言われている。
   この場合は平野塚穴山古墳の時代をさかのぼる事200年である。

   なぜ、古代の日本の墓には文字を刻んだ墓誌が残されなかったか、不思議である。
   

コメント
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