
完品で状態の良い作品には値段的に手が出ない場合は、当方での蒐集は時として状態の悪くても筋の良い作品を廉価で入手して手直しをする作品があります。
掛け軸のような日本画で表具の状態の悪い作品やまくりのままのもの、油彩なら状態の悪いかもしくは額がないもの、陶磁器なら割れや欠けのあるもの、そして本日のように色落ちのある彩色の彫刻などですが、あくまでも作品を損なわないでいてかつ補修の可能ななことを目安に置いています。

当方は俗人ゆえ大黒様が好きなのですが、さすがに本作品で「福聚大黒天尊像 平櫛田中作」の6作品目となると家内も閉口しています。
このように作品が多くなった理由には「福聚大黒天尊像 平櫛田中作」のひとつを母の実家で所蔵していたのですが、他人事ですが資金の理由からやむを得ず手放したことがトラウマになっているかもしれません。その仲介を当方でしているので・・。
*本日は小生の誕生日なので目出度い作品の紹介です・・。

「福聚大黒天尊像 平櫛田中作」は写実を基調とした作風である平櫛田中の作品イメージとは違うものとされますが、題材の目出度さから人気があり、百万円を超える意外な高値で売買されています。
この同題、同体形の制作は昭和20年代?から昭和40年代?の長きにわたり続けられ、数も多くあり、サイズも10センチ程度から20センチ弱まで様々なようですし、正確には解りませんが彩色は昭和30年頃から平野富山が関わったようです。
*本作品は赤い彩色部分と小槌部分の彩色部分の剥離があることから廉価で入手したのですが、可能ならば修復を施したいと思っています。
状態の悪い作品 福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作 その6(中)
昭和42年(1967年) 96歳作 共箱二重箱
作品サイズ:高さ180*横幅(奥行)150*台座最大径176

「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作」は平櫛田中が96歳の時の作品となりますが、同年の作や近い時期の製作の作品は加島美術や思文閣のカタログに掲載されいています。
*長寿を祈念しての紹介・・。
まずは同年の作の「加島美術カタログ掲載作品」です。本作品より少し小さ目ですね。
参考作品 加島美術カタログ掲載作品
福寿大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作
昭和42年(1967年) 96歳作 共箱(平櫛弘子鑑定)
作品サイズ:高さ160*幅160

もちろん加島美術カタログに掲載されている作品は非常に状態が良く、作りの良い作品です。加島美術カタログに掲載されている説明文は下記のとおりです。説明文によると箱の裏書きにるように持っている小槌は「打ち出の小槌」ではなく、のらくら者を小槌で懲らしめる意味だそうです。

次の一点は2年ほど前の昭和40年作の作品が「思文閣墨蹟資料目録」に掲載されています。こちらも本作品より少し小さ目ですね。
参考作品 思文閣墨蹟資料目録掲載作品
福寿大黒天尊像 平櫛田中作 昭和40年作
昭和40年(1965年) 94歳作 共箱(平櫛弘子鑑定)
作品サイズ:高さ155*幅160

こちらも非常に状態の良い作品です。出来の差、製作年代の差なのかはわかりませんませんが、価格に相違があります。いずれにしてもかなり高額の作品には相違ないようです。

本作品の説明書きは下記のとおりです。

本日紹介する作品と同じ年の作品 (参考作品 加島美術カタログ掲載作品 福寿大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作)
の箱書きを比較してみました。
箱表が下記の写真で、本作品が左、参考作品が右です。箱表の印章は写真では解りづらかったのですが、同一印章でしょう。

箱裏が下記の写真で、本作品が左、参考作品が右です。

箱裏の落款・印章部分が下記の写真で、本作品が左、参考作品が右です。落款と印影は一致していると思っていいいでしょう。
*当方では購入時には出来から真作と判断していましたが、以上の検証より本作品は色彩の剥落があるものの改めて真作と断定していいでしょう。

本作品はなぜかしら赤い彩色部分と小槌部分にのみ剥落が生じていて、他の部分は健全なようです。

修復について職人と相談しようと思って連絡してみたところ、5月までは非常に忙しいようです。

3月と5月は人形の季節? 当方で2か月ほど前に依頼した平櫛田中の2点の修復もようやくいまからとりかかるようです。こちらの作品の補修が完了してからこの作品の修復の可否を相談してみようかと思います。

「慌てないでください。」とのこと・・
ま~、じっくり。

下記の箇所の修復はかなり難しいかもしれませんね。

補修のために同様の文様の作品について資料を収集中です。

いままでの他の彩色の作品は補修はうまくできているので、同じ京都の人形店に依頼する予定です。

小槌部分だけなら修復は可能かもしれません。

以外に拡大写真だと雑な点が目につきますね。

ところでこの作品は他の所蔵作品「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和47年作 その5(中)」(本作品の5年後の作)と近い時期に製作された作品ですが、「その5」の作品は顔部分が着色されていません。
福聚大黒天尊像 伝平櫛田中作 昭和47年作 その5(中)
昭和47年(1972年) 101歳作 共箱
作品サイズ:高さ160*幅160
左が「福聚大黒天尊像 伝平櫛田中作 昭和47年作 その5(中)」(101歳)で右が本作品で「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作 その6(中)」(96歳)となります。

裏面の比較は下記の写真のとおりです。左が「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和47年作 その5(中)」で経年変化もあるでしょうが、5年後の作は渋味のある仕上がりになっています。右の「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作 その6(中)」となりますが、袋部分の彫銘も若干違いがあります。

台座の彫銘も違います。これは多くの作品によくあることです。本日の作品の台座裏には縁に沿って「福聚大黒天尊像 則活尺法 翁中作 拝刀」とあります。

「その5」の作品は顔部分が着色されていませんが、木地が良く生かされています。彩色するかどうかは生地如何であったかもしれません。「その5」は木地を生かすために下塗りをしなかったかもしれません。

顔の部分が彩色されていないほうがいい出来と思われる方もいるかもしれませんね。

箱書は若干違います。101歳という高齢のためか解りませんが、「その5」の箱書における字体や印章には疑問を持っています。他の資料と一致している作品である「気楽坊」(101歳作)や「聖観音」(100歳)と比較しても、この印は確認できていません。この作品は「伝」としております。

裏には下記の文章が書かれていますが、この文が書かれている共箱は出来の良いものだけのようです。作品は真作でも箱だけの贋作というものもあり得ることでしょう。

ところであくまでも推測ですが、この作品らは戦後に歌舞伎座の鏡獅子を完成させるための資金調達のため、平櫛田中は鏡獅子の試作やこれらの大黒天や恵比寿様の作品を多数作って販売したものと思われます。高額の作品のため市場にはそれほど出回らず、現在でも高値で取引されているのでしょう。昭和30年頃から彩色を名人の平野富山が施すようになってから、絵付けがかなりよくなったと思われます。

6作品も同題の作品が集まると、知見は多くなる筈なのですが、当方では語ることが多くなったり、疑心暗鬼になったり、マニアックになったりして良くない点も多々あるので反省しています。
はてさていくつ年齢を重ねても「日々反省と勉強」の繰り返しですね。
掛け軸のような日本画で表具の状態の悪い作品やまくりのままのもの、油彩なら状態の悪いかもしくは額がないもの、陶磁器なら割れや欠けのあるもの、そして本日のように色落ちのある彩色の彫刻などですが、あくまでも作品を損なわないでいてかつ補修の可能ななことを目安に置いています。

当方は俗人ゆえ大黒様が好きなのですが、さすがに本作品で「福聚大黒天尊像 平櫛田中作」の6作品目となると家内も閉口しています。
このように作品が多くなった理由には「福聚大黒天尊像 平櫛田中作」のひとつを母の実家で所蔵していたのですが、他人事ですが資金の理由からやむを得ず手放したことがトラウマになっているかもしれません。その仲介を当方でしているので・・。
*本日は小生の誕生日なので目出度い作品の紹介です・・。

「福聚大黒天尊像 平櫛田中作」は写実を基調とした作風である平櫛田中の作品イメージとは違うものとされますが、題材の目出度さから人気があり、百万円を超える意外な高値で売買されています。
この同題、同体形の制作は昭和20年代?から昭和40年代?の長きにわたり続けられ、数も多くあり、サイズも10センチ程度から20センチ弱まで様々なようですし、正確には解りませんが彩色は昭和30年頃から平野富山が関わったようです。
*本作品は赤い彩色部分と小槌部分の彩色部分の剥離があることから廉価で入手したのですが、可能ならば修復を施したいと思っています。
状態の悪い作品 福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作 その6(中)
昭和42年(1967年) 96歳作 共箱二重箱
作品サイズ:高さ180*横幅(奥行)150*台座最大径176

「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作」は平櫛田中が96歳の時の作品となりますが、同年の作や近い時期の製作の作品は加島美術や思文閣のカタログに掲載されいています。
*長寿を祈念しての紹介・・。
まずは同年の作の「加島美術カタログ掲載作品」です。本作品より少し小さ目ですね。
参考作品 加島美術カタログ掲載作品
福寿大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作
昭和42年(1967年) 96歳作 共箱(平櫛弘子鑑定)
作品サイズ:高さ160*幅160

もちろん加島美術カタログに掲載されている作品は非常に状態が良く、作りの良い作品です。加島美術カタログに掲載されている説明文は下記のとおりです。説明文によると箱の裏書きにるように持っている小槌は「打ち出の小槌」ではなく、のらくら者を小槌で懲らしめる意味だそうです。

次の一点は2年ほど前の昭和40年作の作品が「思文閣墨蹟資料目録」に掲載されています。こちらも本作品より少し小さ目ですね。
参考作品 思文閣墨蹟資料目録掲載作品
福寿大黒天尊像 平櫛田中作 昭和40年作
昭和40年(1965年) 94歳作 共箱(平櫛弘子鑑定)
作品サイズ:高さ155*幅160

こちらも非常に状態の良い作品です。出来の差、製作年代の差なのかはわかりませんませんが、価格に相違があります。いずれにしてもかなり高額の作品には相違ないようです。

本作品の説明書きは下記のとおりです。

本日紹介する作品と同じ年の作品 (参考作品 加島美術カタログ掲載作品 福寿大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作)
の箱書きを比較してみました。
箱表が下記の写真で、本作品が左、参考作品が右です。箱表の印章は写真では解りづらかったのですが、同一印章でしょう。


箱裏が下記の写真で、本作品が左、参考作品が右です。


箱裏の落款・印章部分が下記の写真で、本作品が左、参考作品が右です。落款と印影は一致していると思っていいいでしょう。
*当方では購入時には出来から真作と判断していましたが、以上の検証より本作品は色彩の剥落があるものの改めて真作と断定していいでしょう。


本作品はなぜかしら赤い彩色部分と小槌部分にのみ剥落が生じていて、他の部分は健全なようです。

修復について職人と相談しようと思って連絡してみたところ、5月までは非常に忙しいようです。

3月と5月は人形の季節? 当方で2か月ほど前に依頼した平櫛田中の2点の修復もようやくいまからとりかかるようです。こちらの作品の補修が完了してからこの作品の修復の可否を相談してみようかと思います。

「慌てないでください。」とのこと・・


下記の箇所の修復はかなり難しいかもしれませんね。

補修のために同様の文様の作品について資料を収集中です。

いままでの他の彩色の作品は補修はうまくできているので、同じ京都の人形店に依頼する予定です。

小槌部分だけなら修復は可能かもしれません。

以外に拡大写真だと雑な点が目につきますね。

ところでこの作品は他の所蔵作品「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和47年作 その5(中)」(本作品の5年後の作)と近い時期に製作された作品ですが、「その5」の作品は顔部分が着色されていません。
福聚大黒天尊像 伝平櫛田中作 昭和47年作 その5(中)
昭和47年(1972年) 101歳作 共箱
作品サイズ:高さ160*幅160
左が「福聚大黒天尊像 伝平櫛田中作 昭和47年作 その5(中)」(101歳)で右が本作品で「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作 その6(中)」(96歳)となります。

裏面の比較は下記の写真のとおりです。左が「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和47年作 その5(中)」で経年変化もあるでしょうが、5年後の作は渋味のある仕上がりになっています。右の「福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和42年作 その6(中)」となりますが、袋部分の彫銘も若干違いがあります。

台座の彫銘も違います。これは多くの作品によくあることです。本日の作品の台座裏には縁に沿って「福聚大黒天尊像 則活尺法 翁中作 拝刀」とあります。

「その5」の作品は顔部分が着色されていませんが、木地が良く生かされています。彩色するかどうかは生地如何であったかもしれません。「その5」は木地を生かすために下塗りをしなかったかもしれません。

顔の部分が彩色されていないほうがいい出来と思われる方もいるかもしれませんね。

箱書は若干違います。101歳という高齢のためか解りませんが、「その5」の箱書における字体や印章には疑問を持っています。他の資料と一致している作品である「気楽坊」(101歳作)や「聖観音」(100歳)と比較しても、この印は確認できていません。この作品は「伝」としております。

裏には下記の文章が書かれていますが、この文が書かれている共箱は出来の良いものだけのようです。作品は真作でも箱だけの贋作というものもあり得ることでしょう。

ところであくまでも推測ですが、この作品らは戦後に歌舞伎座の鏡獅子を完成させるための資金調達のため、平櫛田中は鏡獅子の試作やこれらの大黒天や恵比寿様の作品を多数作って販売したものと思われます。高額の作品のため市場にはそれほど出回らず、現在でも高値で取引されているのでしょう。昭和30年頃から彩色を名人の平野富山が施すようになってから、絵付けがかなりよくなったと思われます。

6作品も同題の作品が集まると、知見は多くなる筈なのですが、当方では語ることが多くなったり、疑心暗鬼になったり、マニアックになったりして良くない点も多々あるので反省しています。

はてさていくつ年齢を重ねても「日々反省と勉強」の繰り返しですね。