我が郷里出身の洋画家「伊勢正義」の作品をいくつか(本日の作品で15作品目)本ブログで紹介し、資料も整理していますが、下記の作品「ゆき」について判明したことがあります。
ゆき 伊勢正義画 1951年(昭和31年)頃作
油彩額装 左下サイン 日動画廊シール タトウ+黄袋
画サイズP10号:横410*縦530 全体サイズ:縦750*横630
この作品は1951年(昭和31年)1月29日に発売された「サンデー毎日」の表紙に掲載された「母と子」という題名の作品の原画と推察されます。
この雑誌の内容は当時の皇太子の妃選びのこと・・・。この時は題名は「母と子」という題で雑誌には掲載されています。日動画廊では「ゆき」となっています。この経緯については詳細は不明です。
このような後日になって判明した郷里に関連することを資料と共に遺すのが、郷里と行き来している者、地元に関連する作品を蒐集する者の役目だろうと思っています。推測ですが、地元では過疎化が進み、このような記録を遺す算段をする人材も不足していることが懸念されますので少しでもお役に立てればと思います。
資料は作品と共に紛失しないように整えておきます。
さて他の雑誌では1944年(昭和24年)9月30日に発売された「週刊朝日」に「夜」という伊勢正義の作品が表紙になっています。。
当時は人気のある画家として伊勢正義が評価されていたことがうかがわれます。
これらの資料や各作品のサインなどを調べていくと徐々に描かれた年代を自ら特定できるようになってきます。
作品の資料整理を自分でやると少しづつ蒐集した作品が血となり肉となって鑑識眼が上がるのが実感されます。
さて本日は伊勢正義の小作品です。
裸婦(小) 伊勢正義画
油彩額装 黄袋タトウ
額サイズ:横255*縦215 画サイズ:横90*縦50
この作品は掛けるよりも置き式にして飾るほうがいいかもしれません。
伊勢正義の作品では「裸婦」の作品は少ないのですが、興味深い作品が当方の手元にあります。
裸婦 伊勢正義画
油彩額装
額サイズ:横*縦(未測定) 画サイズ:横360*縦690
郷里の伊勢正義のアトリエ(小坂町のアトリエを解体し、処分するときに発見されてもの)にあった作品。この作品はサインもない作品ですが、同じところから発見された他の作品には1937年作か?(29歳頃?)と推測されるサインのある作品がありますので、この作品も伊勢正義の作品と推測され、同時期以前の習作と考えています。
素人の推測ですが両作品は共通した描き方があるように思います。
かたや若年の習作、かたや晩年の小作品、伊勢正義の数少ない裸婦図を鑑賞しての愉しい考察となります。
こういう考察ができるのが骨董の楽しみのひとつですが、時には邪推も生まれるし、妄想も生まれるものですが、それを防いで現実的に考察するのは作品と資料を蒐集し整理することから始まるようです。
ゆき 伊勢正義画 1951年(昭和31年)頃作
油彩額装 左下サイン 日動画廊シール タトウ+黄袋
画サイズP10号:横410*縦530 全体サイズ:縦750*横630
この作品は1951年(昭和31年)1月29日に発売された「サンデー毎日」の表紙に掲載された「母と子」という題名の作品の原画と推察されます。
この雑誌の内容は当時の皇太子の妃選びのこと・・・。この時は題名は「母と子」という題で雑誌には掲載されています。日動画廊では「ゆき」となっています。この経緯については詳細は不明です。
このような後日になって判明した郷里に関連することを資料と共に遺すのが、郷里と行き来している者、地元に関連する作品を蒐集する者の役目だろうと思っています。推測ですが、地元では過疎化が進み、このような記録を遺す算段をする人材も不足していることが懸念されますので少しでもお役に立てればと思います。
資料は作品と共に紛失しないように整えておきます。
さて他の雑誌では1944年(昭和24年)9月30日に発売された「週刊朝日」に「夜」という伊勢正義の作品が表紙になっています。。
当時は人気のある画家として伊勢正義が評価されていたことがうかがわれます。
これらの資料や各作品のサインなどを調べていくと徐々に描かれた年代を自ら特定できるようになってきます。
作品の資料整理を自分でやると少しづつ蒐集した作品が血となり肉となって鑑識眼が上がるのが実感されます。
さて本日は伊勢正義の小作品です。
裸婦(小) 伊勢正義画
油彩額装 黄袋タトウ
額サイズ:横255*縦215 画サイズ:横90*縦50
この作品は掛けるよりも置き式にして飾るほうがいいかもしれません。
伊勢正義の作品では「裸婦」の作品は少ないのですが、興味深い作品が当方の手元にあります。
裸婦 伊勢正義画
油彩額装
額サイズ:横*縦(未測定) 画サイズ:横360*縦690
郷里の伊勢正義のアトリエ(小坂町のアトリエを解体し、処分するときに発見されてもの)にあった作品。この作品はサインもない作品ですが、同じところから発見された他の作品には1937年作か?(29歳頃?)と推測されるサインのある作品がありますので、この作品も伊勢正義の作品と推測され、同時期以前の習作と考えています。
素人の推測ですが両作品は共通した描き方があるように思います。
かたや若年の習作、かたや晩年の小作品、伊勢正義の数少ない裸婦図を鑑賞しての愉しい考察となります。
こういう考察ができるのが骨董の楽しみのひとつですが、時には邪推も生まれるし、妄想も生まれるものですが、それを防いで現実的に考察するのは作品と資料を蒐集し整理することから始まるようです。