夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

気になる作品 南泉斬猫 平福百穂筆 大正10年(1921年)頃 真贋不詳

2020-12-17 00:01:00 | 掛け軸
本日の作品は、平福百穂の真贋不詳の作品と判断しています?が、題材が面白いので遺している作品です。

気になる作品 南泉斬猫 平福百穂筆 大正10年(1921年)頃 真贋不詳
絹本水墨淡彩軸装 合箱二重箱
全体サイズ:縦2050*605 画サイズ:縦1110*横415

 

題材は「南泉斬猫」で禅の教えである公案のひとつでらしい。

「南泉斬猫」の内容とは『ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の猫について言い争っていた。南泉という僧は猫を提示して言った。「僧たちよ、禅の一語を言い得るならば、この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨てよう。」と・・・。しかし誰一人答える者はなかったので、南泉はついに猫を斬った。夕方、趙州が外出先から帰ってきた。南泉は彼に猫を斬った一件を話した。趙は履(くつ)を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行った。南泉は言った。「もしお前があの時おったならば、猫は救えていたのに」』とあります。この教えはやや難解のようですね。



この教えには正解は無かろうと思われますが、禅問答は本来はコミュニケーションの場、いつでも平常心を持って対応するのが本来の教え、それをその場の雰囲気を凍りつかせ、弟子たちの自由闊達な発想を奪った南泉の行為を、趙州はぞうりを頭に載せる(足に履く物を頭にかぶったという)というシンボリックな動作で批判し、南泉もまた瞬時にそれを認めて反省したといったところかな?

現代風に言うとパワハラ発言は控えなさいということか またそれを諫める者はいるか否か・・・。

作品としては腕が一線に伸び、その目線と反対側の手に持つ刃物との緊張感が構図を締めています。



持っているのが猫なのか狐なのか曖昧??



この作品と似たような構図の作品が下記の作品です。鍾馗様が鬼を懲らしめている構図ですが、「南泉斬猫」を意図している作品のようにも見えます。

鍾馗斬河童之図 小川芋銭筆
紙本水墨淡彩軸装箱入 画サイズ:横485*縦1350

 

*手前は「遼時代 緑釉麒麟像」です。

平福百穂の真作と断定できていないのは下記の印章が確認できていないことによります。



いずれにしても当方としては捨てがたい作品です。




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