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朝の電車はどうして皆が殺気立っているのだろうか? 階段やホームを小走りに行き、人を押しのけるようにしていく。このような殺伐な風景は見飽きたようであるが、じっくり眺めていると異常である。
都会で育ったからということでもなく、都会にいるとそうなるのだろう。通勤の状況はそのまま都会の生活そのもので、人を押しのけて生きていく習性そのものが顕著になっていくように思える。名誉欲や地位欲や物欲があるものが偉いような思いから、そろそろ脱却したいと改めて思うことがある。さて、私の子育てはどこにしようか?
さて、本日は郷里の秋田の自宅の庭を恐る恐る、かつ大胆に歩き回る雉の絵です。常に番でいるのがなんとも愛おしい。
父と親交のあった秋田出身の画家「福田豊四朗」といくつかの団体を結成した画家に「吉岡堅二」がいます。本日はその吉岡堅二が描いた雉を描いた作品です。
郷里の自宅はここ一年近く帰宅できず、雅な表現?でいうと自宅が「別荘」のようになってきました。自宅の庭を縦横無尽に歩くのは番(つがい)の雉です。
3月の3連休の時には中学の同窓会で「還暦を祝う会」なるものを催されるらしいので、出席のため一人で帰省しようかと思いますが、自宅でのんびりできるかそうか・・・。
5月の連休には休みがとれると帰省でき、自宅の庭で雉に逢うことがことができるかもしれません。
本作品の題名は本ブログで投稿した「番シリーズ」にちなみ「番雉」としました。
番雉 吉岡堅二筆
紙本岩彩着色 額装 タトウ
全体サイズ:縦711*横908 画サイズ:縦528*横728(20号)
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この絵を見て思い出すのは「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉です。「雉は鳴かなければ居所を知られず、撃たれることもなかった。」という意味から、無用な発言をしたために、自ら災いを招くことを表した言葉です。田舎では家の近くでもしょっちゅう雉の鳴く声が聞こえますので、居場所はすぐにわかります。
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雉は国鳥ですが、国鳥でありながら狩猟が許可されているなんとも不幸な鳥??
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ところで雉は地震の予知能力が高いことをご存知でしょうか?、足の裏に震動を敏感に察知する感覚細胞があり、人間よりは数秒以上も早く地震を知ることができるようです。これ本当のようです。
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番の仲の良さもあり、そばにても脅かしたりせず、じっくり観察しているのがいいでしょう。
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本作品は額装です。
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吉岡堅二の作品は2作品目です。1作品目も番でしたね。
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吉岡 堅二:1906年10月27日 ~ 1990年7月15日)。日本画家。東京・本郷の生まれ。父は日本画家である吉岡華堂。野田九浦に師事する。
藤田嗣治の友人の洋画家高崎剛の留守宅を借りて住んだ際に制作した「小憩」でわずか24才にして帝展特選となる。
福田豊四郎・小松均と山樹社、豊四郎・岩橋英遠らと新日本画研究会を、さらに新美術人協会を結成し日本画の革新運動を展開、大胆なフォルムの豪快な作風で画壇に新風を送り込んだ。
戦後は、山本丘人・上村松篁・豊四郎・高橋周桑らと創造美術を結成、西洋と東洋を融合させた常に新傾向の日本画を追求し続けた。芸術院賞受賞。東京芸術大学教授(1969年退官)。
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子育ては田舎でのんびりが良いと思うのですが、思うに任せないのが世の常・・、「雉も鳴かずば撃たれまい」。
都会で育ったからということでもなく、都会にいるとそうなるのだろう。通勤の状況はそのまま都会の生活そのもので、人を押しのけて生きていく習性そのものが顕著になっていくように思える。名誉欲や地位欲や物欲があるものが偉いような思いから、そろそろ脱却したいと改めて思うことがある。さて、私の子育てはどこにしようか?
さて、本日は郷里の秋田の自宅の庭を恐る恐る、かつ大胆に歩き回る雉の絵です。常に番でいるのがなんとも愛おしい。
父と親交のあった秋田出身の画家「福田豊四朗」といくつかの団体を結成した画家に「吉岡堅二」がいます。本日はその吉岡堅二が描いた雉を描いた作品です。
郷里の自宅はここ一年近く帰宅できず、雅な表現?でいうと自宅が「別荘」のようになってきました。自宅の庭を縦横無尽に歩くのは番(つがい)の雉です。
3月の3連休の時には中学の同窓会で「還暦を祝う会」なるものを催されるらしいので、出席のため一人で帰省しようかと思いますが、自宅でのんびりできるかそうか・・・。
5月の連休には休みがとれると帰省でき、自宅の庭で雉に逢うことがことができるかもしれません。
本作品の題名は本ブログで投稿した「番シリーズ」にちなみ「番雉」としました。
番雉 吉岡堅二筆
紙本岩彩着色 額装 タトウ
全体サイズ:縦711*横908 画サイズ:縦528*横728(20号)
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この絵を見て思い出すのは「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉です。「雉は鳴かなければ居所を知られず、撃たれることもなかった。」という意味から、無用な発言をしたために、自ら災いを招くことを表した言葉です。田舎では家の近くでもしょっちゅう雉の鳴く声が聞こえますので、居場所はすぐにわかります。
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雉は国鳥ですが、国鳥でありながら狩猟が許可されているなんとも不幸な鳥??
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ところで雉は地震の予知能力が高いことをご存知でしょうか?、足の裏に震動を敏感に察知する感覚細胞があり、人間よりは数秒以上も早く地震を知ることができるようです。これ本当のようです。
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番の仲の良さもあり、そばにても脅かしたりせず、じっくり観察しているのがいいでしょう。
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本作品は額装です。
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吉岡堅二の作品は2作品目です。1作品目も番でしたね。
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吉岡 堅二:1906年10月27日 ~ 1990年7月15日)。日本画家。東京・本郷の生まれ。父は日本画家である吉岡華堂。野田九浦に師事する。
藤田嗣治の友人の洋画家高崎剛の留守宅を借りて住んだ際に制作した「小憩」でわずか24才にして帝展特選となる。
福田豊四郎・小松均と山樹社、豊四郎・岩橋英遠らと新日本画研究会を、さらに新美術人協会を結成し日本画の革新運動を展開、大胆なフォルムの豪快な作風で画壇に新風を送り込んだ。
戦後は、山本丘人・上村松篁・豊四郎・高橋周桑らと創造美術を結成、西洋と東洋を融合させた常に新傾向の日本画を追求し続けた。芸術院賞受賞。東京芸術大学教授(1969年退官)。
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子育ては田舎でのんびりが良いと思うのですが、思うに任せないのが世の常・・、「雉も鳴かずば撃たれまい」。