
本日は出来の良い?篁牛人の作品の紹介です。篁牛人の作品の作品は渇筆と称される水墨画の作品が有名ですが、その晩年の作品群は市場に出回ることはまずありませんね。
*晩年以前に描かれた渇筆と称される水墨画は市場に出回ることはあるようで本ブログにて数点紹介しています。

渓流 篁牛人筆 昭和38年(1963年)頃 その14
F10号 紙本着色額装 誂黄袋+タトウ
入手時額サイズ:横745*縦565 画サイズ:横580*縦455
なお下記の写真のように入手時の額は古く痛みもあったので中古ながら新たな額に入れ替えています。

本作品と同じような作品に「渓流の樵」という作品があります。この作品は富山市篁牛人記念美術館蔵で、昭和38年(1963年)の作となっています。この時期に篁牛人は7月から佐藤良造とともに北海道を旅行していますが、長期に亘る滞在費を賄うために、石田屋雅叙園、エルム荘、朝里グランドホテルなどに作品を持ち込んでいるようですが、売れ行きははかばかしくなく、長期に亘る滞在費のほとんどは料亭などにおける座画の売り上げと佐藤による行商によって賄われたとのことです。
この間に小樽市の祝津港や旭川のアイヌ部落などに立ち寄り、たくさんのスケッチを遺しているようです。この年の10月下旬に佐藤良造は帰っていますが、篁牛人は一人で北海道に滞在しています。佐藤良造氏は家族に一言「先生の我儘には愛想が尽きた」と・・。

「65歳となる1966年まで」を放浪の試行錯誤の時代と思われ、その後は森田和夫氏の支援で円熟期の渇筆の作風を作り上げましたが、1974年には病気のために絵筆を置くこととなります。円熟期の渇筆の作は所蔵が限られており、市場に出るのはその以前に描かれた渇筆の作のみで、それらの作品もまた非常に少ないようです。
*本作品は富山市からの入手ですが、描いたのは北海道の風景の可能性があります。

**このような写字性のある風景画は篁牛人の作品では珍しいとされます。渇筆技法の作が高く評価されていますが、試行錯誤した時代の作品もまた魅力ある作品が数多くあります。

本作品と同時期に描かれた「略画風色彩画」にはキュビズム風、ルオー風、水墨略画風と多彩な試みが見られて非常に興味深い作品が数多くあります。

作品中の印章は1967年作の「寒山拾得」にも押印されているもので、違和感はありません。

裏打ちし直して新たな額装しようと思っています。→仕上がってきました。

絵の大きさにぴったりの額を探すのは結構大変で、なかなか思うに任せません。

マットで雰囲気を合わせて、新たな額装にしてみました。黄袋とタトウを誂えており、調べた内容を同封しておきます。
*額装の作品を痛まないように保管しておくにはタトウが必須であり、タトウから取り出しやすいようにするために黄袋もまた額装作品保管には必須ですね。