夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

幾山河 大林千萬樹筆 その7

2020-03-31 00:01:00 | 掛け軸
食器棚の整理によって蒐集を初めたばかりの頃に蒐集した作品がひさかたぶりに出てきましたが、その中に下記の山茶碗がありました。

山茶碗 その1
一部補修跡有 誂箱
口径132~135*底径50~60*高47



いかにもガラクタという風貌・・。「山茶碗」という名称は、丘陵地の斜面など、山の中(かつてこれを焼成していた窖窯のある場所)で採取されることに由来すると言われています。

山茶碗の来歴と特徴は下記のとおりです。

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薄手の茶碗ですが土は荒々しく石英の粒が吹き出しています。一説には、窯で焼いた壷や瓶等に被せておく為に作られた蓋であったという説があります。

山茶碗と呼ばれているものは、平安時代の末ごろから鎌倉時代全般ごろまでの間にかけて、瀬戸をはじめその近郊の常滑や猿投の製陶地で焼かれた簡単な形状の皿や浅い碗を呼びます。極めてシンプルで無駄なく形作られ、粗暴とも見えるこの焼き物の中には力強い存在感がある作品が稀に存在します。反面雅味深い静かな美しさが備わるものが最上とされます。昔はそれほど人気がなかった様ですが近頃では良品を見つけるのはなかなか難しくなったようです。

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「昔はそれほど人気がなかった様ですが近頃では良品を見つけるのはなかなか難しくなったようです。」・・・・、そうですね。ひとつ間違うと本当のガラクタという代物でしょう。



本作品も窯割れしていて補修も素人(小生)・・。高台も後付けにて素人くさい・・・。山茶碗は重なってたくさん出土していますね。



でもこれはこれで食器には面白いかも・・。山茶碗は当方の蒐集対象ではありませんが、この作品を入れて二作品あったと思います。



もう一つの作品はかなり洗練されています。なにしろ山茶碗は12世紀から15世紀までのおよそ400年にわたりながらく生産されていました。時代が下るにつれて碗の胴部の立ち上がりが直線的になり、小皿は扁平化し、多くの器種で高台が省略されるなど簡略化していく傾向が見られています。

山茶碗 その2
合箱
口径135~165*底径*高30



復習の意味で、改めて山茶碗の詳細は下記のとおりです。

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山茶碗は、本来は無釉の状態で焼かれたもので、20個から30個の器を積み重ねて焼いたようです。不思議な事はそれを焼いた窯跡からは,破片だけでなく完器のままで多く出土します。重ねたそのままで焼き付いてしまって発掘されるものもあります。

須恵器窯の高温状態で焼かれた為に、器のまわりには燃料に使った松木の灰が窯の中に舞って降りかかっています。その木灰は高温の為に溶け、降りかかった器の土に含まれている鉄分と化学反応を生じ、偶然にガラス質の釉薬となります。その“自然の釉”は、灰緑色や時にブルーの色となり器に美しい景色をもたらします。

器肌の色は灰白色のものが多く、いくぶん褐色を帯びた灰黄色をしているものもあり須恵器系窯で焼かれた事は間違いありません。中には瀬戸の様に穴窯でやかれたと見えるものもある様です。

胎土には石英や長石などの小砂粒が混じっていて、古い時代のものほど雅な味わいが深く、端正で均衡のとれた形をしています。作りも薄くかなり堅く焼き締まっていて、古い時代のもの程自然釉も多くかかっていますが、時代が下がってくるにつれて作も粗雑になり、素地も粗く自然釉もあまりかからなくなる傾向にあります。

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山茶碗のポイントは使えるかどうか? その姿に美的価値があるや否や?? やたらと数多く集めるものではなさそうですが、食卓に揃いでいいものだけ並んだら面白い思います。

さて本題ですが、本日紹介する作品は本ブログでおなじみの近代美人画の中堅画家として名高い「大林千萬樹」の作品です。



幾山河 大林千萬樹筆
絹本着色軸装 軸先木製蒔絵 共箱二重箱
全体サイズ:縦1300*横620 画サイズ:縦350*横425



あらためて大林千萬樹の画歴を記述します。

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大林千萬樹:(おおばやし ちまき)1887年(明治20年)1月~1959年(昭和34年)4月26日)は大正時代から昭和時代の日本画家。1887年1月、岡山県岡山市平野町に生まれる。名は頼憲。まず富岡永洗、川合玉堂に師事した後、鏑木清方に入門した。

1906年(明治39年)の日本絵画協会日本美術院絵画展覧会に「のべの土産」を出品、翌年、東京勧業博覧会に「歌舞」という作品を出品して居る。

その後、1913年(大正2年)の第13回巽画会展に「胡笳の声」を出品、褒状1等を獲得、また、同年4月の美術研精会第12回展に出品した「涼味」が賞状を得ている。

翌1914年(大正3年)3月、東京大正博覧会には「真堤我意中の人」、「廓の宵」を出品、10月の第1回再興院展に「編笠茶屋」を出品すると、これが初入選を果たす。

以降、1915年(大正4年)第2回展に「手牡丹」、1916年(大正5年)第3回展に「いねむり」、1917年(大正6年)第4回展に「口三味線」、1922年(大正11年)第9回展に「紅粧」と出品を続けている。

さらに1934年(昭和9年)に開催の大礼記念京都美術館美術展覧会に「新粧」を出品している。この間、1916年、第2回郷土会展に「通い廓」を、翌1917年、第3回郷土会展に作品を出品したことが知られている。

大正末期には関東大震災以後に奈良に移り、その後、名古屋へ移り、昭和10年代には京都に在住、戦後は各地に移り住んだといわれる。昭和34年4月26日、静岡県熱海市で病に倒れ、最後は京都で72年の生涯を閉じています。

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大林千萬樹は江戸期の歴史風俗に取材した美人画を多く描いていますが、その綿密な歴史考証にもとづく華麗な画風については、残念ながら充分に認知されているとは言えないでしょう。



本作品は落款から円熟期の作と思われます。



多少に薄シミがあるものの致命的な欠陥にはまだなっていません。



*作品の襟元の銀彩がとてもきれいですが、写真では解りにくいです。



本作品の面白いのは題の「幾山河」・・・。「この題からすぐに著名な下記の歌が連想されますね。」とは家内の弁。

幾山河   <若山牧水>
幾山河 越えさり行かば 寂しさの
終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく

若山牧水は言わずとしれた有名な歌人ですね。

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若山牧水:1885-1928明治18年ー昭和3年。歌人。宮崎県東臼杵(うすき)郡東郷村の生まれ。代々医者の家系。早稲田大学卒。本名繁。明治37年尾上柴舟の門に入る。

初期の恋愛歌で広く知られる。歌人太田喜志子は妻。旅と酒と桜を生涯の友とし、揮毫(きごう)旅行もしばしば行った。牧水調といわれる愛唱歌では他の追随を許さない。「若山牧水全集」その他がある。沼津で没す。年44。



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意味は「これから先、いったい幾つの山や川を越えて行ったら、寂しさが尽き果ててしまうような国に至るのであろうか。その思いを胸に、今日も旅を続ける。」と解釈されています。



この歌には下記のような説明があります。

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この歌は明治40年、牧水23歳の作。

若山牧水は大学の夏休暇を利用して病身の父の見舞いも兼ねて帰郷し、その時にはじめて中国山脈沿いの道をあえて選んだようです。このころから牧水は人生・芸術に懐疑的で、自分はこの世に生きてよいのかという根源的な悩みに捉われていました。そこで旅をしながら、寂しさの果てる国を夢見て歩き続け、その夢はあのカール・ブッセの「山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う」国とイメージが重なると言われていますが、現実にはそういう国は存在しないと認識せざるを得ないから苦悩や寂しさが続くのであろうと・・・。

歌碑について…作者が晩年をすごした沼津市千本松原にこの「幾山河…」の歌碑がありますが、岡山県・広島県・島根県が県境を接するあたりの山中にもこの歌の歌碑が妻喜志子のものと共に建立されているそうです。

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この作品はおそらくこの若山牧水の歌を意識して描かれた作品でしょう。そうすると少なくとも明治40年以降に描かれたものになります。年代的には問題ありません。



表具もお洒落ていますが、単なるある美人画をしての鑑賞ではなくこの歌とともに鑑賞する作品ですね。人生そのもか、画題から恋愛に特定するのかは鑑賞する人次第ですが・・・。

旅と酒と桜を生涯の友か・・・・、刹那的かも・・・、しかしそもそも人生そのものが刹那的か



人生は常に寂しさや苦悩が続くものであり、その寂しさと苦悩に向き合う強さを女性美として表現している作品でしょう。ま~、一般的には寂しさには女性のほうが強いものです。逆に男はかっらきりだらしがない




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