
達磨像 高村晴雲作
高さ200*幅90*奥行き70
ちょっと小振りな達磨の木彫です。
幕末維新懐古談東雲師の家の跡のことなど
高村光雲著
ついでながら師匠東雲師の家の跡のことをいって置きましょう。
・・・・二代東雲の栄吉氏の子息は、祖父東雲師の技倆をそのまま受け継いだようになかなか望みある人物であります。これは私の弟子にして、丹精致しまして、目下独立して高村晴雲と号しております。三代目東雲となるべき人であります。ただ、惜しいことには、健康すぐれず、今は湘南(しょうなん)の地に転地保養をしておりますが、健康恢復(かいふく)すれば、必ず祖父の名を辱(はず)かしめぬ人となることと私は望みを嘱しております。




高村晴雲:彫刻家。東京生。幕末の法眼高村東雲の孫として明治26年に生まれ、一生を仏像彫刻に専念。「観音の晴雲」「晴雲の観音」とまでいわれた人物であり、世界的に有名である。祖父は初代高村東雲。帝展で入選。昭和44年(1969)歿、76才。
高村光雲の非公開参考作品
観音像 高村光雲刀
木彫共箱
高さ320*幅62*奥行き60*台150(六角)

高さ200*幅90*奥行き70
ちょっと小振りな達磨の木彫です。
幕末維新懐古談東雲師の家の跡のことなど
高村光雲著
ついでながら師匠東雲師の家の跡のことをいって置きましょう。
・・・・二代東雲の栄吉氏の子息は、祖父東雲師の技倆をそのまま受け継いだようになかなか望みある人物であります。これは私の弟子にして、丹精致しまして、目下独立して高村晴雲と号しております。三代目東雲となるべき人であります。ただ、惜しいことには、健康すぐれず、今は湘南(しょうなん)の地に転地保養をしておりますが、健康恢復(かいふく)すれば、必ず祖父の名を辱(はず)かしめぬ人となることと私は望みを嘱しております。





高村晴雲:彫刻家。東京生。幕末の法眼高村東雲の孫として明治26年に生まれ、一生を仏像彫刻に専念。「観音の晴雲」「晴雲の観音」とまでいわれた人物であり、世界的に有名である。祖父は初代高村東雲。帝展で入選。昭和44年(1969)歿、76才。
高村光雲の非公開参考作品
観音像 高村光雲刀
木彫共箱
高さ320*幅62*奥行き60*台150(六角)


晴雲の文殊菩薩像はまた見たことがありませんので、機会があれば是非観てみたいものです。
隠れ家の仏壇整備に際して、いい仏像がないか物色中ですが、いいものはなかなかないものですね。
晩年の光太郎が「今どきこのような素晴らしい彫刻を作れる人はいないだろう」と述べていた。
中学生のとき美術の教科書に載っていました。あの手の形を真似てみたものです。
高村光太郎のお父さんは有名な彫刻家なんだよ、と、私などは教わって感心した記憶があります。
あれが安達太良山、あのひかるのが阿武隈川
智恵子抄。
のぼうが好きな作品は、手 です。