夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

伝富岡鉄斎 その3 もののふ 

2011-04-01 05:25:39 | 掛け軸
人間、いつかは死ぬものです。それを覚悟して自分を処しているかどうかによって人生観が大きく違います。自覚するものは要らぬ我欲にとらわれぬものです。

富岡鉄斎のその3です。その1その2に続くものです。

もののふ 伝富岡鉄斎筆
紙本水墨緞子表装軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦2050*横656 画サイズ:縦1320*横505




賛は「君(明治天皇?若いときの明治天皇と人物が似ている?)がため 大刀打かさし矢の途に(爾) かばねさらすは も(毛)ののふ(婦)然る(類)」。




「君がため 太刀打ちかざし 矢の道に 屍さらすは 武士然る」(訳)。

 


落款は「鉄斎并題」とあり画と賛が鉄斎によるものです。印章は「東全」の香炉印、「鉄斎」の白方印が押印されています。落款から40歳前、1875年(明治8年)より前の作品と思われますが、落款、印章、字体からの真贋の最終判断は資料不足により後学とします。

かなの賛は太田垣蓮月尼との合作が著名です。鉄斎のかなの字体とは?? 巻止めに「大津絵」と記されているが、「大津絵風」と判断すべきものでしょう。

富岡鉄斎:天保6年(1835)~大正13年(1924)京都出身の南画家。名は猷輔、後に百錬。字は無僊。号は鉄斎、鐡史、鐡荘、鐡崖、鐡生とある。

法衣屋の次男に生まれ、耳が不自由のため早くから国学、漢学など学芸の門をたたいた。太田垣蓮月尼との運命的出会いがあって更に奥深く、文久元年(1861)長崎に遊学するなど勉学に努めた。

高潔な精神を筆に託し、豊麗で剛毅な作風を完成させた。幕末は勤皇学者として国事に奔走。維新後諸神社の宮司を勤めるも絵画に専念した。純粋に文人をもって任じ、博覧会、展覧会に出品することがなかった。明治の中頃までは極めて少数の具眼達識の士以外は彼の実力を知る者がなかった。また南画・明清(みんしん)画、大和絵などを研究。水墨画に独自の画境をひらく。


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