夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

峡田耕牧 平福百穂筆 その28

2017-06-29 00:01:00 | 掛け軸
墓参りに際して男の隠れ家の二階へ・・。



神仏混合の間・・・。



りんご台風で屋根が飛ばされた時に天井裏にあった箱・・・・。その箱から出てきた掛け軸の中から修復可能なものを改装した作品群です。



金比羅大権現。誰の書かな?



菊川英山の虎・・・、美人画で有名な浮世絵師の菊川英山ですが、虎を描いた作品は非常に珍しいですしょう。小生は今まで見たことがありません。



庚申様、天神様、不動明王などの版画は当時ではおみやげ物的な作品だったのでしょう。今では郷里に残る「貴重品」でしょうか? 

昔に人の祈りや思いがその作品にこもっているように思えます。通常なら打ち捨てられていた作品を2階に飾ったのは、神々として祭られた作品の上を人が歩かないようにと・・。

さて本日はその郷里にちなんだ作品の紹介です。 

峡田耕牧 平福百穂筆 その28
紙本水墨淡彩軸装 軸先 中田百合鑑定書付 共箱 
全体サイズ:縦2095*横462 画サイズ:縦1348*横330



「己未(つちのとひつじ、きび)五月」とあることから1919年(大正8年)、平福百穂が42歳頃の作品であると推察されます。作品を描いた年が解る作品は平福百穂の作品では珍しいです。

  

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平福百穂:生年明治10(1877)年12月28日~没年昭和8(1933)年10月30日。

平福穂庵の第4子として明治10年(1877)角館に生まれた。本名を貞蔵という。幼い時から地元の豪商那波家のコレクションなどで、秋田蘭画を見て育ったが、1890年(明治23年)、13歳のころに父から運筆を習っている。

14歳の時,穂庵追悼秋田絵画品評会に出品した半切が激賞されるなど,父の画才を色濃く受け継いでいた。父穂庵は常に旅に出て留守勝ちであったが,明治22年,身体をこわして帰郷し,しばらく家にいることになった。その時,筆の持ち方,座り方,墨の擦り方まで教わったが、父が47才のとき,脳溢血のために急逝し,その教えを充分に受けることはかなわなかった。

百穂は「上の兄3人が絵とは違う道を志していたため『一人ぐらいは父の跡を継いだらよかろう』という周囲の勧めもあって,絵を学ぶことになった」と述懐している。

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平福百穂あは秋田蘭画を世間に紹介した人物でも知られています。



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16歳で父の後援者・瀬川安五郎の支援の下,絵の修行のため上京,川端玉章の門人となる。玉章は穂庵と旧知の中であり,そのころ,四条派の第一人者で,東京美術学校日本画科の教授をしていた。ここで,後に盟友となる結城素明を知ることになる。亡父の追悼画会で画才を認められ、「百年」の百と「穂庵」の穂を取って「百穂」と号した。

東京美術学校で学び,画家としての地歩を築いた百穂は22歳の時,いったん郷里に帰り,郷里にあって絵の勉強をするかたわら,友人達と中尊寺などに遊んだ。

素明の勧めもあって,2年後の明治34年(1901)に再び上京し,やがて中央画壇で頭角を現していった。活躍の主舞台は素明らと結成した「无声会(むせいかい)」であった。自然や人間を清新な感覚でとらえた作品を発表して注目された。日本美術院のロマン主義的歴史画とは対照的な自然主義的写生画を目指した。

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平福百穂が歴史画から離れ、近代の自然主義的写生画の基礎を成したともいえます。



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1916年(大正5年)に金鈴社結成後は、百穂の画風はさらに多彩となり,文展に「七面鳥」「豫譲」(第11回特選),「牛」を出品した。中国の画像石や画巻、南画への関心を示す古典回帰が見られる作品を発表した。

平福は、平福を中心に川端龍子・小川千甕・小川芋銭らと日本画グループ「珊瑚会」を形成した。「珊瑚会」は1915年(大正4年)から1924年(大正13年)まで10回の展覧会を主催している。やがて1932年(昭和7年)の「小松山」など、独自の南画的な風格ある作風で自然主義と古典が融合した作品を生み出すに至った。

昭和7年に母校・東京美術学校の教授に任じられている。しかし翌年10月,横手市に住んでいた次兄の葬儀の準備中,脳溢血で倒れ,同月30日に享年57才で亡くなった。

一方で明治36年ころから伊藤左千夫,正岡子規,長塚節,斉藤茂吉らと交友するようになり,アララギ派の歌人としても活躍している。

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多才な画家としても知られています。



*中田百合:平福百穂は祖父にあたり、子息の平福一郎が亡くなった後に平福百穂の所定鑑定人に登録されています。



もう一人の子息である舟山三郎や秋田美術倶楽部、鳥谷播山らの鑑定の作品もありますが、所定鑑定人が一番信頼が置けます。贋作の多い画家ですので、一応の慎重な購入の判断が必要です。



*本作品は大正8年の作で、「南画への関心を示す古典回帰が見られる作品を発表した」時期であり、独自の南画的な風格ある作風で自然主義と古典が融合した作品を生み出す途上にあった時期の作です。本作品のような作品をこの時期に数多く描いています。



描いた時期が著され、鑑定書も添えられ、箱もきちんとしています。このようなあつらえが骨董には大切なことです。



外箱から内箱を引き出す細工もあります。本当はこれに内箱の蓋を保護するカバーが付いていると完璧ですが・・・。なければ内箱に蓋を和紙でカバーしておくと摺れて箱書が薄くなるのを防げます。


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