夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

私のお気に入りの作品 「雪中鴛鴦図 平福穂庵筆 慶応3年(1867年)ら

2019-05-27 00:01:00 | 掛け軸
当方で蒐集対象としている郷里の画家である平福穂庵の作品ですが、本日はその作品の中で初期に描かれた作品で当方のお気に入りの作品をいくつか紹介します。

雪中鴛鴦図 平福穂庵筆 慶応3年(1867年)
紙本水墨着色軸装 軸装象牙 鳥谷幡山鑑定箱
全体サイズ:縦2255*横662 画サイズ:縦1258*横507
*分類第1期:文池から穂庵へ (安政5年~慶応3年)



平福穂庵は角館(現在の秋田県仙北市)で、父・平福太治右衛門(徳蔵)と母・キクの一人息子として生まれました。平福家は元々米や乾物を扱う商人でしたが、父の代で染物屋に転向しています。太治右衛門は文浪の画号を持つ郷土画家でもあり、今も郷土には何点もの平福文浪の作品が遺っています。

*「平福文浪」の作は画力に乏しいので当方の蒐集対象とはしていません。



穂庵は初めは地元の絵師で父も入門していた「武村文海」に円山四条派の絵を学び、地元秋田の四条派絵師「長山孔寅」の絵手本で自習しました。長山孔寅については作品を本ブログにても紹介しています。

また、角館出身の久保田藩儒・森田珉岑に見出され久保田の私塾で学んでいます。万延元年(1860年)から6年間京に遊学するも、師につかず古画の模写や風景写生しています。

師につかなかった理由は不明ですが、「早熟の穂庵にとって満足な師がいなかった」とも、「実家からの仕送りが潤沢で師の世話になる必要がなかった」からとも言われています。しかし、当時京都で勢いのあった鈴木百年とは親交を結び、師につかなかったものの、ほぼ独学で画を学んだ百年の姿勢に倣ったとも考えられています。

慶応2年(1866年)京都の政情不安から帰郷。明治5年(1872年)には北海道へ旅行し、以後アイヌ絵もしばしば制作しています。



落款には「穂庵丁卯(ひのとう、ていぼう)仲夏」とあり、慶応3年(1867年 明治元年前年)仲夏の作と断定されます。鳥谷幡山の鑑定は昭和15年((1940年)のものです。

*印章は白文朱方印「芸耘之印」、朱文白長方印「穂菴」 
*同年の作には資料による作品である「海老之図」があり印章は同一印章と推察されます。



平福穂庵の江戸期の作品で、明治になる前の数少ない貴重な作品であり、あきらかに四条派の影響のうかがえる作品です。23歳の作ですからいかの早熟な画家であったかがうかがわれます。



このような初期の作品で書き込みにきちんとして作品は珍しく、掛け軸の人気の高かった30年ほど前ならそう簡単に入手できる作品ではありませんでした。現在でもこのような秀作は市場には出回ることはもはやないでしょう。



このような作品をプライベートにて展示して飾って愉しめるのはかなりの贅沢だと悦に入っています。

上記の作品と同時期に描かれた作品は当方にもいくつかありますが、そのひとつの下記の作品もまたお気に入りの作品のひとつです。

芙蓉之図 平福穂庵筆 慶應3年(1867年)頃
紙本水墨淡彩軸装 軸先 合箱 改装必要
全体サイズ:横532*縦1930 画サイズ:横381*縦947
 *分類第1期:文池から穂庵へ (安政5年~慶応3年)

 

本作品は「穂葊」(穂庵号の「庵」の字画が「葊」になっている)の朱文円印が押印されていますが、この印章は当方の他の所蔵作品「東下り之図」(号が「文池」時代)と同一印です。真作の蒐集作品が増えてくるとこのような判断材料が増えてきて贋作は入り込まなくなります。



「東下り之図」の落款は初号の「文池」とされている初期の作品であり、落款には「芸庵丙寅仲秋 文池謹画」とあることから、慶応2年の秋の作品で穂庵が23歳の作です。京都へ修業に行き、秋田へ帰郷して間もない頃の作品と思われますが、本作品は慶應3年の作で「東下り之図」の一年後とほぼ同じ時期の作品と推察されます。

*分類第1期は初号の「文池」が最も多く使えわれるが、やがて「穂庵」の号と織り交ぜて使われている。
**2019年2月に改装



こちらの作品が慶應3年の作とは断定はできません。というのは「穂葊」(穂庵号の「庵」の字画が「葊」になっている)の朱文円印は後年もいくつかの作品に押印されているからです。ただ落款の字体からそれほど年数に違いはない頃の作と断定されます。



僅かの彩色で水墨の力強い筆致はまさしく平福穂庵の魅力ある作風そのものです。春風の冷たさがうまく表現されています。



購入時には表具が痛んでいましたが、状態の悪いものでも真作と判断して入手に踏み切れるのは真贋に対する経験値からくるものです。

さてもう一点、これも初期の部類に入る作品ですが、実に魅力的な作品だと思っています。

向日葵図 平福穂庵筆 明治10年(1877年)頃
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1790*横386 画サイズ:縦1096*横276
*分類第2期:職業画家をめざして(明治1年~10年)



印章は「思文閣墨蹟資料目録 第427号 作品NO72 白梅文鳥図」との比較で若干の相違が見れれます。ただおそらく製作に年数で10年以上の差があるので、印章の差から一概に贋作とは言えないでしょう。

*印章の微妙な違いで贋作と判断するのは早計であることを肝に銘じる必要があると思っています。



他の当方所蔵の「鶉図」ともまた微妙に一致しない点あるようにも見えますが、これも一概に違うとは断定できず、いずれも同一印章と思われ、出来からも真作と判断しています。



*落款には「穂葊寫 押印」と記され、印章は白文朱二重方印の「穂庵」が押印されている。
**表具は当時のままの紙表具ですが、時代のあるものとして尊重し改装していません。

本日紹介した平福穂庵の作品は穂庵の真骨頂を垣間見れる作品です。墨を主体とした勢いのある筆遣いは魅力です。

ともかく我が郷里の画家、平福穂庵は魅力的な画家、非凡な力量の持ち主であることに相違なく、絵の道に厳しかった渡辺省亭が「唯一無二、付き合った画家」というのもうなずけます。



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