夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

文久辛酉 秋景浅絳山水図 木下逸雲筆 その3

2016-10-12 00:01:00 | 掛け軸
三連休は家内は護国寺のお茶会に出かけて行き、小生と息子はお留守番です。二人でお茶ごっこ・・・。

「お茶をどうぞ」と息子、「どうもありがとう、美味しいですね」と小生、お菓子もどうぞ」と息子、「ありがとう」と小生。義母が「おやつですよ~」と茶の間から声・・・、グッドタイミング



さて本日は久方ぶりに南画の登場です。南画は吟味するといい作品が、現在は実に廉価で入手できますと以前から紹介していますが、「いい作品」を吟味する必要はおおいにあります。南画の良し悪しの判断ができる方がどれほどいるのでしょうか? 掛け軸というと「かび臭い」とか毛嫌いされ、その中の「南画」というと「山、川、橋、人と決まりごとばかりとばかり」とけなされる御仁には到底理解の及ばぬ世界です。

文久辛酉 秋景浅絳山水図 木下逸雲筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦1860*横570 画サイズ:縦1160*横342



賛に「我愛秋□□ 胄濠秋気清 辛酉仲秋日写於□□□□窓 逸雲□ 押印」とあり、文久元年(1861年)の作で、他の所蔵品「浅絳山水図(その1)」(安政2年 1860年作)の一年後の作品で、木下逸雲が61歳頃の作と推察されます。



木下逸雲の作品は今回で「その3」となりますが、画家の来歴については下記によります。

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木下逸雲:寛政12年8月1日(1800年9月19日)~慶応2年8月4日(1866年9月12日)。江戸時代後期の長崎の南画家。鉄翁祖門・三浦梧門と共に長崎三大家とされる。

幼名弥四郎といい、のちに通称を志賀之介とした。諱を相宰。逸雲は号、ほかに如螺山人・物々子。室号を養竹山房・荷香深処とした。長崎八幡町、木下勝茂の3男に生まれる。

押印されている印章は、判読不明で申し解りませんが、白文朱方印「□□湖印」、朱文白方印「逸雲」であり、右下に遊印「?」が押印されています。

 

文化14年(1817年)、18歳で木下家代々の乙名(名主)の役を引き継ぐも、文政12年(1829年)にその役を兄の子に譲り、自身は元来関心のあった医師を生業とし、医門名を得生堂と称した。蘭医オットー・モーニケによって伝えられた種痘術の普及に努めている。



画は、はじめ唐絵目利の石崎融思に学び、来舶清人の江稼圃・張秋谷からは南画の技法を修めた。その後も清人陳逸舟、徐雨亭にその画風を学んだ。さらに雪舟、狩野派・大和絵・円山四条派などの諸派や西洋画の画法を熱心に研究し、様々な技法を取り入れた。



画僧鉄翁祖門と画を共に学び生涯の友となった。逸雲は筆が早く、遅筆の鉄翁と対極をなした。



田能村竹田・頼山陽・広瀬淡窓など文人と交わった。門人に、河村雨谷・津田南竹・池島邨泉・長井雲坪など。また姉の小蘭、甥の秋塘も画家である。



逸雲は多芸多才で知られ、書・篆刻を能くし、琵琶の演奏・制作に巧みで、煎茶をたしなみ、藤原相宰の名で優れた和歌を詠んだ。また白磁染付で知られる亀山焼の発展に尽くし、自ら絵付けも行っている。



長崎円山花月楼清譚会の世話役を務め、日中文化交流を促した。慶応2年(1866年)4月、京阪・江戸に漫遊し、同年8月横浜から長崎行きのイギリス船黒龍号に乗船するも、玄界灘で海難事故に遭い、帰らぬ人となった。享年68歳。

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幕末から明治期の南画は「つくね芋山水画」と岡倉天心らに揶揄され、明治期には南画は衰退の一途を辿ります。富岡鉄斎らの一部の天才画人によって、再評価されますが、現代では忘れ去られた画といって過言ではないでしょう。



南画に限らず日本水墨画は「気韻生動(運気の響き、風格・気品がいきいきと満ち溢れている)」を旨とし、「写意」を第一とすることを定義していましが、南画には加えて、「逸品、逸格、去俗」を重要視しています。幕末、明治期の一部の画家にはその気骨のある作品を見出すことができます。



南画の作品の中には駄作が多いのも事実ですが、良き作品を選んで蒐集すると、「逸品、逸格、去俗」を味わえる作品が多々あるようです。

秋の季節を味わいながら、南画の世界に身をゆだねてみたいと思いませんか? 写真や美術館では味わえませんよ。実物を目の前にして、誰もいない空間でないと・・。そういえば日曜美術館で浦上玉堂を紹介していましたね。

*とことろで日本男子サッカー・・・現在は意外に弱いと指摘し、以下の点をずいぶんと前に記したのだが・・。

1.組織力を生かし守備を基本とすること・・日本の利点は秩序ある組織力をもつ守備
2.海外組はすでに高校生以下・・・・・・・組織力は数日の練習では身につかない、組織力は走力が必要
3.外国人監督は組織力を生かせない・・・・組織力が大切と理解するまで時間がかかる

たしかに試合を重ねるごとに強くはなるのだが、いつまでも海外組に依存していると予選は勝ち抜けそうにない。

サッカーは会社組織と同じように思えます。個人商店の集まりでは生き残れない。


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