夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

二匹の魚 山本倉丘筆

2011-02-05 11:45:08 | 日本画
二匹の魚 山本倉丘筆
紙本着色 黄袋 クロス挿箱入
全体サイズ:縦585*横660 画サイズ:縦370*横445

今日の朝はゆっくり・・、さていい天気ですので自転車で散歩でもしようと思います。

高校時代以来、久しぶりのスポーツタイプのサイクリング・・股間が痛い。大誤算!!
サドルを柔らかいものに交換しないと乗ってられません。

本作品はなんという魚でしょうね、現在、居間に掛けてはや2年くらい経とうとしています。そろそろ別な絵をと思うのですが、なかなか面白くて取り替えていません。






山本倉丘:本名伝三郎。明治26年(1893)10月12日、大方町伊田に生まれる。

伊田尋常小学校、入野高等小学校を卒業後、高知市の呉服店の店員として働いたが、絵が好きで独学を続け、大正7年(1918)京都に出て山元春挙の画僕となり、画塾早苗会に入って本格的に日本画を学ぶようになった。

大正15年、第7回帝展に「麗日」が初入選、その後も帝展に続けて入選、花鳥画(動物を含む)を次々に発表して日本画壇に揺るぎない地歩を固めていった。

この間、京都市立絵画専門学校に入学、昭和8年(1933)に卒業した。第14回帝展では「菜園の黎明」が特選を受賞、昭和11年京都在住の画家池田遙邨・上村松篁その他と水明会を結成。

昭和18年師の山元春挙没後は早苗会も解散し、翌年義兄堂本印象主宰の東丘会に入塾。戦後は日展をはじめ東丘社展・京展・関西展等に次々と力作を発表し、注目を浴びた。昭和28年の第9回日展で初めて審査員となり、以来度々審査員をつとめ、33年に日展が組織替えして社団法人となると、評議員に就任して日展の発展に尽くした。36年には紺綬褒章を、41年には前年の日展出品作「たそがれ」により日本芸術院賞受賞、49年には日展の参与に推挙され、勲四等旭日章を受賞、55年には日展参事に就任、名実ともに日本画壇の重鎮と目されるようになった。


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