今年も節分・・・、豆まきは息子の役目。
撒くのはいいが、最終の片付けは小生。
さて本日は本作品でおそらく3作品目となる中村貞以の作品紹介です。いままでは軸装の作品紹介でしたが、本日は額装の作品の紹介です。
美人画 その2 中村貞以筆 その3
絹本水墨着色額装 誂黄袋+タトウ
F12号 全体サイズ:縦755*横835 画サイズ:縦512*横593
中村貞以の画歴は下記のとおりです。
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中村貞以:本名は清貞。大阪市船場で鼻緒問屋を営む中村清助の第四子に生まれる。2歳のとき両手に火傷を負ったことで指が不自由になったため、絵筆を両手ではさんで描く合掌描きを工夫した。
両親は将来太夫にするつもりで、はじめ浄瑠璃を習わせたが、幼少期より習字や絵に才能を発揮。大阪経理学校中退。
初めは浮世絵師の長谷川貞信に師事した後、 大正8年(1919年)、美人画の巨匠・北野恒富に師事し、大正12年(1923年)、現在の春の院展である試作展に入選。芸術院賞文部大臣賞を受賞。島成園門下の高橋千代子と結婚している。
*下記の展覧会の作品は「白い口紅」という作品です。
昭和7年(1932年)、院展で「朝」が日本美術院賞第1号となる。昭和23年(1948年)には日展の審査員となった。昭和25年(1950年)に松岡政信が、昭和27年(1952年)に長谷川青澄が入門する。昭和41年(1966年)、「シャム猫と青衣の女」などで日本芸術院賞。
下記の写真は「シャム猫と青衣の女」(下記写真は部分)です。
画塾春泥会を主宰した。他の門人に浅田庭史、森本有泉、寺本郷史、小川雨虹らがいる。また、横山大観記念館理事長なども務めています。
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遠くを見つめる女性の姿が妖艶ながら、どこか温和で楽しみを味わうような作品です。驚くべきところはその火傷を負い、合掌描きで描いたと誰が思うのだろうか、という繊細かつ大胆なこの線の描き方でしょう。
中村貞以は婦人画を描く時には、まず仏画を見ると言いました。仏の女性的で甘美な姿を女性という対象物をモチーフにし、その先にある美しさを表現していったに違いありません。そんな中村貞以の作品は、本当に繊細で美人画を超えた、純粋な人物画として見た方がよく伝わるのかもしれません。宗教的な匂いも感じさせるその作品は多くの人々の心を掴んで止みません。
火傷で普通であれば絵画など描くことはできない状況をはねのけ、天才画家として歩み続けた中村貞以。彼の芸術に対する姿勢や思いなど、現代の我々に何か深く訴えかけれるものがあるように思えます。
意外に多くの作品があり入手しやすい画家の作品です。8号程度の作品なら美店で10万円程度でしょう。ただしこの程度の大きめの作品は意外に少ないかもしれません。
額は当時のままのものでしょうが、裏面は痛んでいますので額装店で修理が必要です。
タトウや黄袋も新規のしておくのがよいようです。
神田の草土舎にて裏面の修理をしてもらいました。最初の見積もりが6万円・・。それではいくらなんでも高すぎるということで。店員の方が自ら修理していただいて2万円なり。
最近は北沢映月など美人画の屏風の作品がよくなんでも鑑定団に出品されているようです。中村貞以の作品は下記の作品が出品されていました。評価金額はちょっと高すぎますね。
参考作品
なんでも鑑定団出品作(2022年3月22日放送)
評:(評価金額400万円)
中村貞以の「双頬」。昭和24年日本美術院展に出展されている。49歳の時の作品。合掌描きという両手を合わせ筆を挟んで描く。そこから生まれてくる線は非常に細くて強くて鋭い。三味線を持つ舞妓は、ちょっとあどけないような顔をしているが、着ている物が鹿の子の総絞りという非常に豪華な着物。左の舞妓の帯の刺繍の質感がとても良く出ている。
さて日本画の美人画の世界、今一度振り返ってみたいものです。1階の廊下に飾ってみました。
古い痛んだ額もきれいになり、なかなかいい額装の作品です。