最近本ブログで投稿されている再興九谷らしき作品群ですが、本日もその続編です。決して当方の蒐集の本流ではありませんが、古伊万里、古九谷の再興窯、鍋島や柿右衛門、平戸や唐津、武雄焼(弓野焼)など一般教養程度の知識を得るために作品を入手して勉強しています。本日もそういう類に属する作品の紹介ですので、本格的な知識を得たい方には不向きかもしれませんね。
氏素性の解らぬ作品 再興九谷 吉田屋窯? 古九谷? 青手栗文高台四方皿
誂箱
幅185*奥行185*高台幅*高さ45
*表面の汚れを落としてみるときれいになりました。
本作品が吉田屋窯の作品かどうかは当方のあくまでも推測です。古九谷関連の作品は古九谷本窯から始まり、色絵九谷、吉田屋窯、そして松山窯などの再興九谷、明治期からの数多くの模倣品と続きます。
先日の「なんでも鑑定団」にも古九谷と思い込み300万に大枚で購入したという大皿が出品されていましが、あきらかに模倣作品でした。現在では古九谷と称されるその多くが模倣品であり、徳田八十吉らの近代陶工の模倣や再興九谷の作品でさえ筋の良い作品は非常に稀にしかありませんし、ましてや吉田屋窯の作品は非常に貴重となっています。
古九谷の作品は今ではコレクター垂涎の的であり、古九谷を継いだ「吉田屋窯」の作品すら貴重であり、本作品を「吉田屋窯」と推定すること自体が恐れ多いことかもしれませんね。
本作品を入手時には見込み内にうすくなにやら薬品がかかっていて、古色を付けた可能性もあります。すべて掻き落としましたが、釉薬には不自然な点はありませんでした。
近代作に古色をつけたかろうかはさておいて、吉田屋の復習をしてみましょう。
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吉田屋窯:大聖寺の豪商、豊田家(屋号・吉田屋)四代伝右衛門が古九谷窯跡の地で開いた窯です。しかし、あまりに不便な土地であったため、1825年に九谷村の窯を閉鎖し、翌年、山代の越中谷に移しています。
吉田屋窯の製品は、当時から「九谷焼」と称され、最も古九谷の作風を受け継ぐものとして声価が高かったようです。芸術的鑑賞に十分耐えうる作品を焼成した近世後期の有数な窯として広く知られている名窯とされます。
作品は、平鉢・皿・徳利・盃・向付・手炉・燭台・香炉・茶碗などから摺鉢・土鍋・植木鉢などと、広範にわたり、芸術的な作品と量産方式による日用品とが実にうまく併用して経営されていました。
全般的な傾向として、青手古九谷の「塗埋手」を踏襲しており、“吉田屋の青九谷”と呼ばれています。豪壮雄大な筆づかいの青手古九谷に対して、吉田屋窯の青九谷は、軽快な筆づかいが特徴とされます。文様も花鳥・山水・人物から染物の文様などを取り入れた幅広いものがあり、江戸時代後期特有の緻密な繊細さを示しています。銘は古九谷同様、角の「福」字銘が圧倒的に多いとされます。
青手古九谷は大名家などに納める大皿が殆どに出会ったの対して、吉田屋の青九谷はより実用的な作品が多くなります。
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さらに補足すると下記のようになります。
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補足:江戸後期、加賀の人々の美意識が作り上げた究極の色絵磁器“吉田屋”。窯元がたった7年間で滅んだため、その存在は一部の美術愛好家の間でしか知られていませんでした。
吉田屋が目指したのは江戸初期の“古九谷”でした。古九谷は、1655年ごろから制作が始まり、後世に残る名品を生み出しながらわずか40年で途絶えています。その大胆な図柄と華麗な色使いは、世界的に高い評価を得ています。1824年(文政7)、古九谷に魅せられて再興しようとしたのが大聖寺城下(現在の石川県加賀市)の豪商、四代豊田伝右衛門です。屋号を吉田屋と称したことから、この再興九谷焼は“吉田屋”と呼ばれています。
大聖寺藩領内、山中温泉の奥にある九谷村の古九谷古窯の横に吉田屋窯の築窯が着手され、翌年、初窯が焚かれます。吉田屋窯は優れた製品を生産し、京阪神の文化人の間で古九谷が珍重されていたこと、吉田屋が古九谷と見分けが付かないほどの出来栄えだったとされています。1830年(文政13)には、大聖寺藩内の民窯にもかかわらず「本藩御用」という高い評価を得ます。
吉田屋窯は九谷陶石に陶土を混ぜた灰色がかった二部入り素地の上に、緑、黄、紫、紺青の四彩を用いた鮮やかな色絵や青手古九谷風塗埋様式の優れた作品を数多く生みだしました。しかし作品を調査するうちに、古九谷を目指していたにもかかわらず同じ図柄の作品が1点もないことがわかってきました。古九谷と吉田屋の大きな相違点は、その時代背景にもあります。古九谷は大名が育成したもので、その用途から作品は大皿が中心でしたが、吉田屋を支援したのは町衆でした。
このように商売として十分、成り立っていた吉田屋窯でしたが、わずか7年後の31年(天保2)に廃窯してしまいます。その陰には、吉田屋の当主たちの悲話があります。開窯から3年目、76歳になっていた四代伝右衛門は、家業をまかせていた息子に先立たれ、あとを追うようにその3カ月後に亡くなります。孫が六代を襲名したものの家業を縮小せざるをえなくなくなったようです。六代も廃窯の翌年、28歳の若さで夭折してしまいます。
しかし吉田屋窯が廃窯してからも、加賀の地に再興された陶芸の炎は途絶えることなく、宮本屋窯、佐野窯、庄三窯などでは赤絵金襴手などの磁器作品が生産されていきます。また、粟生屋源右衛門は蓮台寺窯、松山窯などに指導に行き、“青九谷”と呼ばれる作品群を生み出しています。こうして明治維新後も産業としてだけではなく、創造力あふれる個人作家を多く輩出しています。
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さて、本作品は如何・・・。
本日紹介した作品と似たような参考作品として「なんでも鑑定団」に出品された作品を紹介します。
参考作品
再興九谷 吉田屋 花鳥文四方皿
なんでも鑑定団:2014年08月08日出品作 評価金額:150万円
型からの成型は本作品と似た形状を示していますし、胎土の同じような特徴です。これから本日紹介した作品は吉田屋窯と推定しましたが、あくまでも当方の推定です。
吉田屋窯の銘は古九谷同様、角の「福」字銘が圧倒的に多いとされますが、古九谷や吉田屋窯など区別を断定できるほどの統一性はないようです。
吉田屋の青手が古九谷青九谷に匹敵すると評価されていますが、やはり絵の豪放さには敵わない点がありますね。本日の作品は吉田屋窯より雰囲気は古九谷青手に近いのではと思っています。
古九谷の例は「なんでも鑑定団」の出品された下記の作品の例があります。
参考作品
古九谷 菊文大皿
なんでも鑑定団:2012年5月8日放送出品作 評価金額:500万円
評:大名品。傷があるのでこの値段になるが、無傷だったら3000万円以上。江戸時代前期に作られた青手古九谷の大皿。青手というのは緑と木の釉薬で全体を覆ってしまう。絵が非常によく、花のような紋様を地紋にしてその真中に菊の花を一枝置いてある。裏面の外側の緑色も良い。
古九谷は大皿が多く、絵の出来など迫力が違います。吉田屋窯の作品は古九谷に比して迫力が不足していますが、これは吉田屋窯の共通点といえます。時代が下がるほどに出来は迫力を失っていますが、一部の吉田屋窯、松山窯の青手には優品も見受けられます。これらの出来不出来の判断はあくまでも感性からの推定となりますが、手元に作品を置くことで身に付くものだと思っています。
*古清水焼なども含めてまだまだ勉強不足・・。古鍋島、古唐津、李朝など陶磁器はともかく奥が深い。
この作品は吉田屋、はたまた古九谷・・・?? まだまだ・・・・。
氏素性の解らぬ作品 再興九谷 吉田屋窯? 古九谷? 青手栗文高台四方皿
誂箱
幅185*奥行185*高台幅*高さ45
*表面の汚れを落としてみるときれいになりました。
本作品が吉田屋窯の作品かどうかは当方のあくまでも推測です。古九谷関連の作品は古九谷本窯から始まり、色絵九谷、吉田屋窯、そして松山窯などの再興九谷、明治期からの数多くの模倣品と続きます。
先日の「なんでも鑑定団」にも古九谷と思い込み300万に大枚で購入したという大皿が出品されていましが、あきらかに模倣作品でした。現在では古九谷と称されるその多くが模倣品であり、徳田八十吉らの近代陶工の模倣や再興九谷の作品でさえ筋の良い作品は非常に稀にしかありませんし、ましてや吉田屋窯の作品は非常に貴重となっています。
古九谷の作品は今ではコレクター垂涎の的であり、古九谷を継いだ「吉田屋窯」の作品すら貴重であり、本作品を「吉田屋窯」と推定すること自体が恐れ多いことかもしれませんね。
本作品を入手時には見込み内にうすくなにやら薬品がかかっていて、古色を付けた可能性もあります。すべて掻き落としましたが、釉薬には不自然な点はありませんでした。
近代作に古色をつけたかろうかはさておいて、吉田屋の復習をしてみましょう。
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吉田屋窯:大聖寺の豪商、豊田家(屋号・吉田屋)四代伝右衛門が古九谷窯跡の地で開いた窯です。しかし、あまりに不便な土地であったため、1825年に九谷村の窯を閉鎖し、翌年、山代の越中谷に移しています。
吉田屋窯の製品は、当時から「九谷焼」と称され、最も古九谷の作風を受け継ぐものとして声価が高かったようです。芸術的鑑賞に十分耐えうる作品を焼成した近世後期の有数な窯として広く知られている名窯とされます。
作品は、平鉢・皿・徳利・盃・向付・手炉・燭台・香炉・茶碗などから摺鉢・土鍋・植木鉢などと、広範にわたり、芸術的な作品と量産方式による日用品とが実にうまく併用して経営されていました。
全般的な傾向として、青手古九谷の「塗埋手」を踏襲しており、“吉田屋の青九谷”と呼ばれています。豪壮雄大な筆づかいの青手古九谷に対して、吉田屋窯の青九谷は、軽快な筆づかいが特徴とされます。文様も花鳥・山水・人物から染物の文様などを取り入れた幅広いものがあり、江戸時代後期特有の緻密な繊細さを示しています。銘は古九谷同様、角の「福」字銘が圧倒的に多いとされます。
青手古九谷は大名家などに納める大皿が殆どに出会ったの対して、吉田屋の青九谷はより実用的な作品が多くなります。
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さらに補足すると下記のようになります。
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補足:江戸後期、加賀の人々の美意識が作り上げた究極の色絵磁器“吉田屋”。窯元がたった7年間で滅んだため、その存在は一部の美術愛好家の間でしか知られていませんでした。
吉田屋が目指したのは江戸初期の“古九谷”でした。古九谷は、1655年ごろから制作が始まり、後世に残る名品を生み出しながらわずか40年で途絶えています。その大胆な図柄と華麗な色使いは、世界的に高い評価を得ています。1824年(文政7)、古九谷に魅せられて再興しようとしたのが大聖寺城下(現在の石川県加賀市)の豪商、四代豊田伝右衛門です。屋号を吉田屋と称したことから、この再興九谷焼は“吉田屋”と呼ばれています。
大聖寺藩領内、山中温泉の奥にある九谷村の古九谷古窯の横に吉田屋窯の築窯が着手され、翌年、初窯が焚かれます。吉田屋窯は優れた製品を生産し、京阪神の文化人の間で古九谷が珍重されていたこと、吉田屋が古九谷と見分けが付かないほどの出来栄えだったとされています。1830年(文政13)には、大聖寺藩内の民窯にもかかわらず「本藩御用」という高い評価を得ます。
吉田屋窯は九谷陶石に陶土を混ぜた灰色がかった二部入り素地の上に、緑、黄、紫、紺青の四彩を用いた鮮やかな色絵や青手古九谷風塗埋様式の優れた作品を数多く生みだしました。しかし作品を調査するうちに、古九谷を目指していたにもかかわらず同じ図柄の作品が1点もないことがわかってきました。古九谷と吉田屋の大きな相違点は、その時代背景にもあります。古九谷は大名が育成したもので、その用途から作品は大皿が中心でしたが、吉田屋を支援したのは町衆でした。
このように商売として十分、成り立っていた吉田屋窯でしたが、わずか7年後の31年(天保2)に廃窯してしまいます。その陰には、吉田屋の当主たちの悲話があります。開窯から3年目、76歳になっていた四代伝右衛門は、家業をまかせていた息子に先立たれ、あとを追うようにその3カ月後に亡くなります。孫が六代を襲名したものの家業を縮小せざるをえなくなくなったようです。六代も廃窯の翌年、28歳の若さで夭折してしまいます。
しかし吉田屋窯が廃窯してからも、加賀の地に再興された陶芸の炎は途絶えることなく、宮本屋窯、佐野窯、庄三窯などでは赤絵金襴手などの磁器作品が生産されていきます。また、粟生屋源右衛門は蓮台寺窯、松山窯などに指導に行き、“青九谷”と呼ばれる作品群を生み出しています。こうして明治維新後も産業としてだけではなく、創造力あふれる個人作家を多く輩出しています。
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さて、本作品は如何・・・。
本日紹介した作品と似たような参考作品として「なんでも鑑定団」に出品された作品を紹介します。
参考作品
再興九谷 吉田屋 花鳥文四方皿
なんでも鑑定団:2014年08月08日出品作 評価金額:150万円
型からの成型は本作品と似た形状を示していますし、胎土の同じような特徴です。これから本日紹介した作品は吉田屋窯と推定しましたが、あくまでも当方の推定です。
吉田屋窯の銘は古九谷同様、角の「福」字銘が圧倒的に多いとされますが、古九谷や吉田屋窯など区別を断定できるほどの統一性はないようです。
吉田屋の青手が古九谷青九谷に匹敵すると評価されていますが、やはり絵の豪放さには敵わない点がありますね。本日の作品は吉田屋窯より雰囲気は古九谷青手に近いのではと思っています。
古九谷の例は「なんでも鑑定団」の出品された下記の作品の例があります。
参考作品
古九谷 菊文大皿
なんでも鑑定団:2012年5月8日放送出品作 評価金額:500万円
評:大名品。傷があるのでこの値段になるが、無傷だったら3000万円以上。江戸時代前期に作られた青手古九谷の大皿。青手というのは緑と木の釉薬で全体を覆ってしまう。絵が非常によく、花のような紋様を地紋にしてその真中に菊の花を一枝置いてある。裏面の外側の緑色も良い。
古九谷は大皿が多く、絵の出来など迫力が違います。吉田屋窯の作品は古九谷に比して迫力が不足していますが、これは吉田屋窯の共通点といえます。時代が下がるほどに出来は迫力を失っていますが、一部の吉田屋窯、松山窯の青手には優品も見受けられます。これらの出来不出来の判断はあくまでも感性からの推定となりますが、手元に作品を置くことで身に付くものだと思っています。
*古清水焼なども含めてまだまだ勉強不足・・。古鍋島、古唐津、李朝など陶磁器はともかく奥が深い。
この作品は吉田屋、はたまた古九谷・・・?? まだまだ・・・・。