夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

災後鎮静記念 その3 倉田松濤筆 大正12年作

2025-01-08 00:01:00 | 掛け軸
年始はばたばたしており、帰郷の際の記事やら年頭のブログ記事もままならず、下原稿のままの投稿となっておりました。今回の帰省は大雪・・・。



「男の隠れ家」にては除雪の日々となりました。



昨年中にほぼ外壁関連の工事が完了した「男の隠れ家 その4」も初めて確認してきました。詳細はまた後日・・・。



さて本日の作品紹介です。在京の所蔵するスペースが不足してきたので、少しずつ郷里の男の隠れ家に移送しようと思い整理していたら、ひさかたぶりに下記の作品が見かけたので展示室に飾ってみました。

羅漢図(小点) 倉田松濤筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱入
全体サイズ:横365*縦1345 画サイズ:横180*縦205



倉田松の作品は家内も好きで、当方と同郷の画家として蒐集対象としてる画家のひとりですが、基本的に家内と相談しながら作品を入手しています。

「来世(観音)菩薩? 松濤寫 押印」とありますが詳細は不明です。この構図の羅漢図は倉田松濤の師であった平福穂庵(平福百穂の父)の所蔵作品にも同構図の作品が2点あるため、当方にとっては非常に興味深い作品でもあります。

最近はやたら蒐集するだけではなく少しずついままで蒐集した作品を丁寧に見返すことの必要性を感じています。



本日紹介する作品は、昨年末(2023年末)からの帰省で幾つかの郷里にちなむ作品を入手しましたが、本日紹介する作品もこの際に入手した倉田松濤の作品です。



災後鎮静記念 その3 倉田松濤筆 大正12年作  
紙本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱 
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦

 

地元の骨董店の店主が家内が倉田松濤のファンということもあって、取っておいてくれた作品にひとつですが、この作品と同図の作品がすでに本ブログにて紹介されています。またこの作品の賛から関東大震災に関連した作品ということも分かりますが、これと同じ賛の作品もこれ以前に入手しています。



この作品の賛には
「引首印 維時?大正十二年季龍集□陽 大□□九月一日(1923年 関東大震災の日) 帝京中心□□六縣古今 未曾有之大震災後 数十日鎮静記念 寫於小?海道□港臥□山□分福會□□秋風徐東之處 東都□□之俳畫禅寺□住 百三談有髪頭陀松濤 押印」と記されていて、関東大震災直後の作と推定されます。



いまさらながら、なぜ「分福茶釜」を描いたのだろうか? 改めて「分福茶釜」について記してみました。

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分福茶釜:分福茶釜(ぶんぶくちゃがま、ぶんぷくちゃがま):日本中で語り継がれている昔話のひとつ。文福茶釜とも表記する。タヌキがあらわれ、化けて人を騙す場面が見られる。

貧しい男が罠にかかったタヌキを見つけるが、不憫に想い解放してやる。その夜タヌキは男の家に現れると、助けてもらったお礼として茶釜に化けて自身を売ってお金に換えるように申し出る。次の日、男は和尚さんに茶釜を売った。和尚さんは寺に持ち帰って茶釜を水で満たし火に懸けたところ、タヌキは熱さに耐え切れずに半分元の姿に戻ってしまった。タヌキはそのままの姿で元の男の家に逃げ帰った。次にタヌキは、綱渡りをする茶釜で見世物小屋を開くことを提案する。この考えは成功して男は豊かになり、タヌキも寂しい思いをしなくて済むようになったという恩返しの話である。茂林寺の伝説ではタヌキが守鶴という僧に化けて寺を守り、汲んでも尽きない茶を沸かしたとされている。普通、物怪(もののけ)は鉄を嫌うが、このタヌキはその鉄の茶釜に化けており金の精霊たる所以を表している。 

茂林寺:狸は元の姿に戻れず、気の毒に思った茂林寺の和尚さんは、狸の茶釜を手元におき大切にしました。やがて、この茶釜は福を呼ぶと噂が広がり、「分福茶釜」と呼ばれるようになりました。

民俗学者「柳田國男」の説明:基話の狐の恩返しを基にすれば、動物と人間との交渉を物語る昔話の根幹には<動物援助>の考えがあり、選ばれた人間に神の使いである鳥獣が富を与えるのだという。そこで動物の危機を救ってやり報恩を受けるのを見ると、動物が献身的に尽くす好意も理解できる。動物援助から動物報恩に移行する過渡的な様相を帯びた話といえる。山形県米沢市南原横堀町の常慶院にも類種の伝説が伝わっているが、こちらでは狸ではなくキツネが登場する。

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関東大震災をうけて、ことが沈静化(地震がおさまるように?)するように祈念したり、被災者への救済の意味やことによっては書画会によって寄付を募ったのかもしれません。

この作品を入手して数日後の能登での震災があったことがなにかの因縁のように感じてしまいます。

作品中の印章や落款は下記のとおりです。



 

この関東大震災の被害に倉田松濤なりにかなり心を痛めていたのでしょう。俳画に興味を持ち、永平寺や総持寺の賛助を得て、自ら俳画禅寺を建立する計画を立てていたようですが、目的を果たせずに他界していますが、この震災が影響していたのかもしれませんね。

災後之預言者 倉田松濤筆 大正12年作 
(災後鎮静記念 倉田松濤筆 大正12年作 その2)
紙本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱 
全体サイズ:横477*縦1421 画サイズ:横330*縦440

この作品での賛は「災後之預言者 大正12年9月1日(1923年 関東大震災の日) 帝□□六縣古今 未曾有之大震災後九旬鎮静記念 □□落天裕□□ □□不□□□ 俳畫禅寺 □□松濤尊者 押印」となっています。



下記の作品が以前に紹介した作品です。

分福茶釜図 倉田松涛筆
(災後鎮静記念 倉田松濤筆 大正12年作 その1)
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入 
全体サイズ:横570*縦2100 画サイズ:横350*縦1350

ほぼ本日紹介した作品と同様の賛が「引首印 維時?大正十二年季龍集 □陽大□□九月一日 帝京以前古今未曾有ニ一大震災後数の日鎮静記念以外下脱六縣写於北?海道巴□臥牛山麓福會南□東都牛龍之俳畫禅寺□住百三談有髪 □□陀 松濤 押印」と記されています。


 

今年の元旦の能登地震では多くの寄付金などの支援が集まったようですが、関東大震災の頃の支援はどうだったのでしょうか? 現在のような情報手段のなかった時代は被災者はもっと悲惨だったようにも推定されますが、ともかく被災者には少しでも救済の手が届くように祈るばかりです。



同じような賛の作品を3点、展示室に展示しました。



ほぼ全く同じ絵を描ける・・、倉田松濤の画力には感嘆するものがあります。



震災と分福茶釜・・、この関連は面白いと思います。なお倉田松濤と曹洞宗の関係は深く、当方の蒐集にもその影響は少なからずありますね。

さて郷里に関連する作品なども郷里の「男の隠れ家」に移送していく予定です。すぐには見れなくなりますが、処分や移譲などを含めての年齢相応の断捨離が始める予定です。








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