今年の夏の帰省は母の七回忌の法要もありました。少しづつ母の遺品を片付けていましたが、今回は物置のあった雑物を処分しましたが、その中には捨てがたいものもあり、家内と仕分けて遺したいものは残しておきました。
母が住んでいた家にあったものや古くからある道具類は遺しておきます。夏用の障子は在京の茶室に使いましたが、まだ10枚ほど遺っています。また着物用の板、裁縫用の台など材質からいっても何かに使いたいものばかり・・。
さらに竹や木の皮でできた日常の道具類もあります。
背負い用の竹籠・・・。
箕・・・・、いずれも100年くらい前のものですが、ほとんど痛んでいません。痛みやすい部分には丈夫な材料が編み込まれています。
今でも秋田県の大平山の近くで1軒だけ作っているところがあるらしいです。
秋田の農業、生活を道具の面から支えてきた、オエダラ箕というものらしい。一本一本心を込め精巧に編まれた作品で、職人の誇りとこだわりが伝わってきます。生活、文化、歴史を感じさせる、次代に残したい逸品ですが、風前の灯・・・。
これは笊・・。
先が良く出来ていますが、何に使ったのでしょう。
物置の奥から取り出した道具は洗ってきれいにしておいて、また収納しておきましたが、他にも家銘が焼き印された大きな秋田杉の樽や切り込まれた練り用の臼など・・、小生にとっては宝物です。
さて本日の作品の紹介です。祖父の代から当方で所蔵している作品が下記の写真右の「松鷹之図 伝狩野芳崖筆」(本ブログにて紹介済)という作品です。この作品は一時期には手放していた期間がありましたが、所蔵主の好意により当方にて再び所蔵するようになりました。
本日紹介するのは、この「松鷹之図」の作品と対となった「松上鶴之図」という作品で鷹ではなく鶴を描いた作品(上記写真左)です。
*この作品は入手時に表具が痛んでいましたので、今回修復したこともあり紹介します。
真贋不詳 松上鶴之図 伝狩野芳崖筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 誂:合箱二重箱
全体サイズ:縦2065*横780 画サイズ:縦1290*横605
橋本雅邦の紹介されて明治12年頃に狩野芳崖は島津家に雇われますが、これを契機に、島津家および同家ゆかりの人々のために多くの作品を描いたと伝えられています。「松上鶴之図」もそうした縁で描かれた一幅とされます。
松に鶴という得意の主題が、狩野派の特徴的な描線と墨色によって見事に描き出されていると評されています。
ただしこの狩野芳崖の描いた「鶴」は弱弱しく評判は芳しくなかったということです。そのために「松上鶴」ではなく、上記の作品のように「鷹」を描いたとされています。複数の注文に応じるために背景の松の表現は同じにしたようです。
たしかに他の作品を観ても狩野芳崖には似つかわしくなく鶴は弱弱しい・・。
「松鷹之図」と松の構図や上部の朝日のような赤の共通部分により、本作品も島津家にゆかりの人の依頼に応じて描かれた作品ではないかと推察されます。
この作品は下書きとして描かれたものと思われ、紙を継いだ後がはっきりわかります。
後述しますが、同構図の作品が島津家伝来でありますので、この作品はその下図と位置付けされると推測していますが、その真贋は不明です。
実はこの作品と全く同じ構図の作品が思文閣で発刊されている「墨蹟資料目録和の美 第478号」に掲載されています。
参考作品 その1
松上鶴之図 狩野芳崖筆
思文閣 墨蹟資料目録「和の美」第478号掲載
作品NO52 「芳崖先生遺墨全集 乾」並「芳崖先生遺墨大観」所載
久原房之助(元衆議院議員、通信大臣)旧蔵
岡倉秋水箱書
全体サイズ:縦2250*横800 画サイズ:縦1350*横620
本日紹介している作品とほぼ同じ構図ですが、押印されている印章は別の印章です。
模倣したとしてもこれだけ同じく描けるものかという感があります。
箱書は岡倉秋水(岡倉天心の甥、日本画家。狩野忠信らと狩野会結成に尽力した。昭和25年没)によるもので、狩野芳崖が52歳の頃の作と推察しており、「この図は芳崖翁が五十二歳頃の作にして 島津家の於いて揮毫セルモノと鑑定候也」と鑑定しています。
*明治10年(1877年)に狩野芳崖の惨憺たる窮状に見かねた友人たちの勧めで上京しますが困窮は変わらず、日給30銭で陶磁器の下絵を描くなどして糊口をしのいでいまいした。明治12年(1879年)芳崖の窮状を見かねた雅邦や同門の木村立嶽の紹介で、島津家雇となり、月給20円を支給されて3年かけて「犬追物図」(尚古集成館蔵)を制作しています。 ちょうど52歳の頃のことです。
価格は驚きの1500万円・・。
いま一度、本作品の「松鷹之図」を観てみましょう。
松鷹之図 伝狩野芳崖筆
紙本水墨淡彩絹装上表具 本多天城鑑定箱布装カバー二重箱 軸先本象牙
全体サイズ:縦2300*横760 画サイズ:縦1282*横612
細かいところ以外は「鷹」と「鶴」以外はほとんど同じです。
両作品は鶴と鷹以外はすべてが同様の構図ですが、前述のように狩野芳崖の鶴は弱弱しくて評判が芳しくなく、本作品は武家にあうように武勇の象徴である鷹を描いた作品と推定されています。
この作品の仕立ては上等で、内箱は指物仕立てでタトウは絹製、さらに外箱には屋久杉が使用されています。一応は大名仕立て?というものらしいが・・。
問題は印章で、両作品共に同じ印章(下記写真左が鷹図で右が鶴図)が押印されていますが、資料の印影とは違和感がありますので、真贋不詳としています。おそらく模作なのでしょうが、一概に贋作とは言い切れない・・・・??
本日紹介した当方にて所蔵の「松上鶴之図」はよく見ると紙を継いでいますので、下絵のような感じであり、今回の入手時には保管箱も何もありません。
廉価での入手であり、摸写の可能性は大いにありうることで、真贋不詳ではありますが資料的な価値から、一応箱を誂えて保管しておくことにしました。
何度見てもサイズ、構図、描き方共々同じ・・・。思文閣の「和の美」掲載作品も含めて同じですが、印章だけは違う印が押印されています。
鶴の前にあった枝を後ろにした点が大きく違います。やはり鶴の作品の後に鷹の作品を描いたとして思えません。
鷹には胡粉が使われ、白く表現されています。
直線的な松の描き方と鶴の毛の対比がうまい・・・。
その対比が鷹の作品では失うことなく、より強調されていますね。
なにはともあれ、祖父の代から当方にて所蔵していた作品。