夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

水墨山水図 皆川淇園筆

2011-04-28 05:07:01 | 掛け軸
さて、飛行機の切符が29日以降とれないため、本日夕刻より帰省します。
今年の冬に凍結で水道管が破裂した自宅の復旧工事の打ち合わせ・・・保険が適用になり目処がつきました。家内の三回忌の段取り・・ブログのネタ探し・・。

震災復旧工事も一息つけるようになりました。ルネサスもテレビで報道のように目処がつきつつあります。

さて連休前は難解な??南画の投稿です。

私の最近のお気に入りの絵です。

水墨山水図 皆川淇園筆
紙本水墨軸装軸先木製 鑑定箱入
全体サイズ:縦1615*横683 画サイズ:縦782*横582

絵の技法的にはそれほどうまいとは思えませんが、構図が素晴らしい作品です。

光景に月を想像させます。離れて眺めて素晴らしさが解ります。画面から少し離れて目を細めて鑑賞するといいです




自在な画想は、自由な精神と遊び心にあふれ、観る者を幽玄な境地へ誘い込みます。

皆川淇園の作品をそれほどは知りませんが、これまでにない優品と思えますが・・。

箱の書付は「南州外史」とあります。無論、西郷南洲(西郷隆盛)ではありません。漢学者の近藤南州のことです。



箱表題
印 「而□手?」 「皆川淇園翁紙本水墨山水妙品」

1行目
皆川淇園寛政享和文化間之儒人
能書善畫當時応擧呉春輩
些以畫名淇園典之交友
其畫有似泒之臭氣

2行目
今此水墨山水多南宗之筆法
瀟灑税☆在淇園所作洵為希有矣
具備諸體是文人之所以為文人乎


戊午(1918年)秋暮 南州外史鑑 
印 「元粋」の朱方印と「南州」の白方印

箱・巻き止に所蔵印、

さて上の文章、読めますか?  意味が解りますか?
解らなくて普通です




皆川淇園:(みながわ きえん、享保19年12月8日(1735年1月1日)~ 文化4年5月16日(1807年6月21日))。江戸時代中期の儒学者。父は皆川成慶(春洞、白洲)で、実弟に国学者富士谷成章(層城、北辺)がいる。


淇園は号で、名は愿(げん)。字は伯恭。通称は文蔵。別号に有斐斎がある。生まれは京都。




伊藤錦里や三宅元献などに儒学を学んだ。易学について研究を深め、独自の言語論により「名」と「物」との関係を解釈する開物論を唱え、「老子」「荘子」「列子」「論語」など多くの経書に対する注釈書を著した。

亀山藩(松平信岑)・平戸藩(松浦清)・膳所藩(本多康完)などの藩主に賓師として招かれた。京都に家塾を開き、門人は3,000人を超えたという。また、江村綬の錫杖堂詩社に影響され、柴野栗山や赤松滄洲らと三白社という詩社を起こす。

画は初め望月玉蟾に学び、のち円山応挙・呉春・岸駒・長沢蘆雪らと交わる。絵画の腕も卓越しており、山水画では、師の円山応挙に劣らずという評価も受けている。

晩年の文化3年(1806年)には様々な藩主の援助を受けて京都に学問所(弘道館)を開いた。しかし、志半ばにして、翌年、74歳で没した。京極の阿弥陀寺に葬られた。墓誌は松浦清が文を製し、その書は本多康完が記した。

近藤南州(南州外史):漢学者。伊予松山生。松山藩士近藤名州の三男。名は元粹、字は純叔、別号に蛍雪軒・猶学書院。芳野金陵・藤野海南に学ぶ。大阪で風騒吟社をおこし、多くの門生を教育した。著に『日本外史講義』等。大正11年(1922)歿、72才。



参考作品1 24.5㎝×17.5㎝





【京都・有斐斎 弘道館】
花洛の鴻儒 皆川淇園の文人画 展






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